2016年10月23日 (日)

(575) 同窓会シーズンに思う

一気に秋も深まってきました。

先月中旬より、私や妻宛に同窓会の案内状が送られてくるようになりました。

私の同窓会についての心境は、複雑です。

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2016年6月25日 (土)

(559) 似て非なる他人の目

発達障害児を育てていると、

  • 身なりや服装に気を遣わない
  • プライドが高くバカにされることに敏感
という二つの性質を持っていることに気付きます。

考えてみれば、両方とも他人の目が関係するように感じます。でも、身なりについては全然構わない、後ろからシャツが出ていても毎日同じシャツを着ていても気にならないことが普通にある一方で、他人から何か言われること、特に悪く言われることについてはとてもセンシティブで、不愉快な感情がストレートに出てきます。

健常児の場合は、身なりや服装には気を遣うし、プライドがあってもそれをちょっと傷つけられたくらいでは、途端に感情を露わにして反応したりはしないと思うのです。

これをどう整合して理解すれば良いのでしょうか。いろいろ考えてみたのですけれど、やはり他人との共感、他者意識の想像力が弱いことに行きつくだろうと思います。

健常児の場合は、これが年齢なりに育ってきているからこそ自らの感情を露わにすることに対する他者からの目、それに伴う自分に対する評価の低下を恐れて、自制することができる。つまり、本当は、健常児もプライドはあるし、それを傷つけられたら不愉快になることはなるのだけど、特に年齢が上がれば上がるほどそれにストレートに反応することがふさわしくない、俗に「ガキっぽい」と受け止められて、かえって自分の社会的地位が下がってしまうということに意識が向くのでしょう。

よく巷で言われる「大人になれよ」というたしなめは、要はこういうことなのだということに気付きました。

まさに、精神発達年齢は健常児の7掛け程度で考えれば良いと言われる通り、「反応がガキ」になりがちなのが、発達障害児の傾向なのでしょう。

もちろん、バカにする方が悪いというのも一理はあります。けれども、その先にある他人評価の得失を読めないことがすなわち社会性の欠如と判断されるわけで、更にそのリアクションそのものがネタにされて損をする、という理不尽もあるのが社会の実態ですよね。

他人からどう見られても気にしないが、プライドはあるという厄介な性質をどうすれば良いのか、考え中です。

2016年1月24日 (日)

(542)薬に手を出す

薬というと、何となく人聞きが悪いですよねcoldsweats01。実は、前々から妻と相談してきたことではありますが、今年から息子にある薬を使ってみることにしました((519)で書いた薬とは、別です。そちらは、その後落ち着いたこともあり、中止しています)。

念のために申し上げますが、薬と言っても刑事物のドラマで頻出の「白い粉」ではありませんbleah。 コンサータです。前々から注意欠陥傾向が散見されていましたが、昨秋の終わり頃からますますその傾向が強くなってきたこともあり、中学への進学等今後のことも考えるとお薬を試す他ないなあ、ということになりました。

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2015年12月30日 (水)

(539) 今年の終わりを迎えて

今年も残すところ2日を切りました。

息子の小学校生活も、あとは三学期を残すのみとなります。やむなく普通学級を選んだ時期からすれば、既に6年を経過しています。中学への円滑な移行のため、近所の中学校の説明会に行ったり、通級指導が行われている中学校の説明会にも出向いたり、とやるべきことはやってきてはいるのですが、まだ近々中学生になることを、今一つ実感を持って感じられていません。

本当に行けるか、行って大丈夫なのか、とかなり不安を感じてスタートした息子の小学校生活ではありますが、爾来5年9カ月、何とか普通学級に在籍したままで過ごしてくることができました。

でも、普通学級を選択した当時から、「いずれ普通学級だと限界が来る時があるかも」と考えており、特別支援学級の一つである情緒障害学級があれば、迷わずそこを志望したのに、という思いは今でも多少あります。息子の通う学区には、情緒障害児向けのものが設置されていないことから、やむを得ず普通学級を選択しました。今の普通学級に通級指導教室を加えた形が、最善では無いものの次善ではあったのだろう、とわかってはいつつも、「でもねえ…」との感をぬぐいきれません。

私の住む地域では、通級指導教室は現在形を変えつつあります。

具体的には、これまでのように子供が通級指導教室の設置されている(自分の在籍校とは別の)学校に通うのではなく、それぞれの在籍校の中で通級指導教室で実施されている内容を受けられるよう先生の方が各学校を巡回する「特別支援教室」の準備を進めており、その準備が整ったところから順次そのような対応を実施していくというもので、週に一度とはいえ親の設置校までの送り迎えの負担が軽減されますし、同じ学校内ですから個体の情報の共有もこれまでよりは容易、ということになろうかと思います。もっとも、息子は卒業してしまうので、この制度改革の恩恵にあずかることは無いのですけれど…。

この時期、どうしても過去の振り返りと、それに伴いもう少し良い方法があったのではないかという無いものねだりの気持ちが強くなります。

今年一年の中で一番思い出深かったことというと、(510)で書いた運動会での息子の成長ぶりです。中でも、紅白各組の得点を集計し、全校生徒の前でそれを発表するという大役を果たした時の感動は、今でも印象深いものでした。

得点係であることは知っていたものの、その係の仕事の中にそのような大役も含まれているとは知らされていなかったので、いざその場面が始まった時には驚きましたし、不安で祈るような気持ちにもなりました。無事に大役を務め終えられたのは、息子の成長とたまたま息子の属する組が勝ったという偶然の相互作用によるものだろうと思います(まだ、勝ち負けにこだわりが多少残っているのでcoldsweats01、もし負けていたらどうだったろう? と考えると背筋が寒くなりますが、それも含めて「持っている」子なのかも知れないと思い直しています)。

そのほか、秋には2泊3日で実施された校外学習(修学旅行)にも参加し、無事に帰ってきました。家族のために、ちゃんとお土産も買ってきてくれました。ただ、よくある旅先のクッキーで、本人の食べるものでもあったため、厳密に100%家族のためのものだったのか、疑問は残りますけれど。

たまに、友達と約束して家に遊びにきてもらえたりもしますし、入学当初にはこのような友人との交友ができるようになるとは想像できませんでしたし、それが継続できるとは思いませんでした。親としては嬉しい誤算でした。

一方で、学校嫌い、学校への拒否感・否定感はまだまだ継続しています。何がどうイヤなのか、を本人に具体的に指摘させるのに苦労しているものの、聞き出せたことは担任の先生と話をしてできるものは改善するようにしています。

この一年、過去経緯も含めて考えると本当にいろいろあったな、と思います。残りの3か月が、実り多いものになることを願っています。

皆様も、良いお年をお迎えください。

2015年12月13日 (日)

(537) 雄弁は銀

我が子の言葉の発達が遅くヤキモキしてきた親にとって、やっと言葉が出るようになった時の喜びは、とても大きなものがあったと思います。でも、発達障害児・者においては、それで言葉の問題が全て解決するわけではありません。むしろ、言葉を発することができるようになった後で、問題は更に複雑化・深刻化します。

それをひとことで言えば、「発言の不適当さ」に尽きます。ここで言う「不適当」は、内容のみならず表現の仕方、タイミング、状況といったさまざまな側面から判断して、一般的な価値観からすれば、不適当となるということです。

発達障害児・者は、健常者が暗黙の了解としている内容を理解しにくく、周囲が「ここでこの人にそんなことをそこまで言うのか」と驚き、呆れてしまうようなことを言ってしまいます。しかも、無邪気に。

無邪気とは、悪気が無いという意味では全くそうであるものの、それだけに時に人の肺腑をえぐるような鋭さを持っていることもあります。そして、かつてはそういう特性を持つ人がいて、脳の器質的なところが原因のためその無邪気さを治すことも難しいということが知られていませんでしたから、徹底的に排除の対象となってしまってきました。これは、一面ではやむを得ないことだったと思います。

私達発達障害児の親は、言葉の遅さに気を病むことが多かったと思います。実は、言葉が出てからも常に周囲の子と比較して、言葉の発達の遅さは歴然としていましたし。そして、やっと言葉が増えてきたなと思ったら、今度はその不適当さで悩むようになるのは、とても皮肉なことです。人よりも周回遅れで社会性の芽が育ってくることが多い彼らにとって、既に周囲の大多数が通過し、その年齢では許されない発言をしてしまうことが多いという事実は、否めません。

世の中において、「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉があります。これは、「沈黙」を銀よりも高価な金にたとえたもので、よどみなく話せることも大事だが、黙るべきときを知ることは、もっと大事だ、という意味だそうです。

この言葉は、恐らく発達障害児・者を念頭に置いたものではないでしょう。そして、恐らくは健常者と言えどもこの手の「口はわざわいの元」により痛い目にあってきた人が多いからこそ、共感を得て人口に膾炙してきた言葉だと思うのです。

発達障害児・者には、ADHDを合併している方も少なからずいて、不用意な発言を本人もやめたいと思っているのに、思い浮かんだことをそのまま言ってしまう場合もあります。衝動性を抑える薬というのもありますが、個体による相性に加え医師によっては薬を使うことに消極的な場合もあって、なかなか思うような結果につながりにくいことが多くなります。

ただ、だから放置というわけにもいきません。少なくとも我が家では、「本当のことだから言って良い」のか、「自分が言われても不快に思わない」のか等、家族での会話の中で、この発言はどうかなと思う時には、流さずに問いかけ、「周りの子は、そういうことを言われたくないと思うよ、お父さんはイヤだよ」と伝えるようにしています。これが正しい最短距離だとまでは思いませんが、少しずつ「黙る」技術を身に付けるためには、理解し納得することが必要だと思っています。周囲との関係を決定的に悪化させてしまっては、本人も辛い思いをしますし。まだマシな状況でいるためには、そうするより他にないだろうと思います。

奏功すると良いのですけれど。

2015年12月 6日 (日)

(536) 続・子離れ(息子の一人旅)

今日、息子は一人旅に出ました。

この一人旅に名を付けるならば、都内の電車乗り継ぎツアーですtrain

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2015年11月29日 (日)

(535) 子離れ

健常児育児においては、子が受ける親からの影響力は、段々小さくなっていきます。健常児が大多数を占める世の中では、それが普通とされています。

成長過程において、生まれた当初は親だけしかなかった世界。そこに友達やその親、更に学校の先生やお店の人等が加わって、影響を与える存在が増えていきます。そうなると、相対的に親の影響力は低下せざるを得ません。

でも、障害児育児ではそうではないのですよね。どうしても、できないこと・不得手なことが多く、親が関わる割合が多くなります。健常児同士であれば、子供同士で解決させるような場合でも、自分の状況を説明できなかったり、考えをうまくまとめて伝えることが難しかったりする場合も少なくありません。かえってこじれることを避けるためには、やむなく親が介入する等関わり度合いが多くなってしまうことは否めません。

ただ、それをいつまでも繰り返していてもいけないとは思うのです。腹を括って、一度は一人でやらせてみる、特に本人がやりたいという意思を示した場合は、その発意を認め、取り組ませてみるということは、成長のためにも必須であろうと思います。

キツイ言い方をすれば、親は自分が面倒なことに巻き込まれたくなくて、騒動の発生を未然に防ぐことを優先していないか、もっと言えば自分がラクをしたいために、介入していないか、を考えなければならないと思うのです。

もちろん、生死にかかわるようなチャレンジングなことを、いきなり一人で全部やれ、というのはやり過ぎです。ここまでなら一人でもできるだろうという判断をしたことについて、例えば困った時の連絡先と連絡手段を手配する、世の中では、こういう時はこうした方が良いとアドバイスする、等のサポートをして、最後はエイヤーでやらせてみる。そういうことをいつかはやらなければならない…そう思います。

世間様よりも遥かに遅くなってはいつつも、親はいつまでも生きられません。見守れる時間には限りがあることを視野に入れ、子離れ準備をしていかなければなりません。見ていてハラハラさせられても、グッとこらえる。何もしないことも、時に子供のためになると思います。

2015年9月27日 (日)

(526) 息子との外出

先週は、息子ととある乗り物系博物館に行ってきました。

大宮の鉄道博物館は規模も大きく、それを目当てに来る大人もいるのですけれど、今回行ったところは規模も小さいせいか、もっぱら幼稚園~小学校低学年の子がほとんどでした(もちろん、その子供達を連れてきた親はいますけれど)。

こういう環境になると、やはり息子は頭2つ分くらい大きく、場違い感が漂います。でも、本人は至って楽しそうで、展示物を眺め、模型電車の運転をしたりと満足したようです。

乗り物系の博物館って、どこもそれが売りなんですけどね。本当は、地味な展示物である昔の路線図だとか、当時の写真だとか、鉄道の装置の説明等がメインであるべきなのでしょうけれど、そういうものにはほとんど興味を示しません。

他の趣味ができれば良いのに、という思いと、まあこれで済むならこれでも良いか、という思いが交錯します。人に迷惑をかけたりすることはありませんしhappy01

思い起こすと、昔は少しも目を離せませんでしたけど、今は普通に時間を決めて「11:45にまたこの場所に集合」と約束して別れられるようになっています。時間はほぼきっかり守りますし、当時は将来をかなり心配していたことを思うと、悲観し過ぎてはいけないな、と思います。

とはいえ、相変わらず乗り物への興味は強いですし、余暇の過ごし方も、ワンパターンになってきている傾向があるので、何か無いかな、とは思っています。

それとは別に、こうやって親子で一緒に出掛ける機会も、今後段々減っていくのだろうなあ、と思います。ありがたくもあり、寂しさもあり…

「手がかかって大変」と「手持無沙汰で寂しい」は、表裏一体の感情なのでしょうね。

2015年9月20日 (日)

(525) ゆっくりとした心の成長

シルバーウイークも2日目、それでも残り3日も休めるのかと思うと、天にも昇る気持ちになります。恐らく息子もそうでしょう。

シルバーウイークの後、2日学校に行けば又お休み。9月もほとんど終わっていきます。残り半年で卒業です。

入学後現在に至るまで、結局最後まで学校好きにはなりませんでしたけれど、不登校にはならずに済みました。不登校については、読者の方もいろいろとお考えはあるとは思います。

私はイジメ等が無い限りは、ここは譲らない方が良いと考え、そのように対処してきました。遅れても良いから(本当は良くないけれど)学校には行かせる、お休みをするのは体調が悪い時だけ、体調が悪くて休むのであれば、その理由から考えて当然ゲームしたり遊んだりは不可、おとなしく寝ている、というルールを徹底して、休んだ方が得にならないようにしてきたことが、それなりに奏功したものと考えています。

何度か着陸寸前までの低空飛行を経験しましたが、一貫してそのルールを徹底してきたことにより、今では前ほど学校に対する「イヤ」の声が小さくなってきました。そして、少しずつですが、やっぱりみんなと一緒に行動したい、という気持ちが大きくなってきたように感じます。

発表会での楽器演奏等苦手なことがあった時、親としては「やっている真似だけでも良いよ」と譲っても、本人が「それではイヤだ」と一緒にやることにこだわりを見せるようになってきたことは、一般の人から見れば「大したことない」「当たり前」のことなのでしょう。でも、昔を知っている親としては、格段の進歩だと思うのです。

いつの間にそのような心持ちになったのだろう、ゆっくりだけどやはり心は成長するのだな、と親バカながら嬉しく思います。

どうなることやら…と心配し続けてきた息子の小学校生活ですが、今後急に波乱があることは想定しがたく、このまま行けるのではないかと思えるようになってきました。

そうなることを期待しています。

2015年9月12日 (土)

(524)それぞれの進路(2)

(前回の続きです)

妻は、通級指導教室の保護者会だけでなく、その他の療育先でも、それなりに親御さんと知り合いとなっていることもあり、彼女たちと今後の進路について情報交換をしてきたようです。

読者の方からすると期待外れcoldsweats01かも知れないですが、そのまま公立中学校に上がって引き続き通級指導教室に通う、という子がメジャーです。それでも、中には普通学級しかない私立を受けようとする方もおられます。

こういう時、健常児の親同士なら「あら、勉強できる子は良いわね~」等と素直さとやっかみが入り混じったリアクションをするのでしょうけれど、こちらの世界の方々の場合は、そういうところよりも「入って何の支援も無くて大丈夫?」という心配の方が先に立ちます。

もちろん、成績がギリギリだという意味での学習支援についての話ではありません。人とのコミュニケーションが苦手な我々の子供達が、バリバリの健常者の世界に支援なしで入って、本当にやっていけるのか? ということを心配してしまうのです。他人の子だから放っておけ、という見方もあるでしょうけれど、やはり我が事のように感じてしまうのですよね。

その親御さんは、「書字をあまりしなくても良くて、宿題が多量に出る等学習指導があまり厳しくない学校を考えている」のだそうです。こういう基準で学校選びをする親って、世間一般ではあまりいないだろうな、と感じるとともに、やっぱり子の特性を良く見て考えておられるのだな、との思いを新たにしました。

親とはかくもありがたいものだ、ということなど今の段階の子供達にはまず理解されないことでしょうね。

残された小学校生活も半年近く、お受験までは4ヶ月半(のところが多いと思っています)となっていますが、皆がそれぞれの希望を達せられると良いな、と感じます。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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