2018年5月27日 (日)

(640) 娘の運動会

昨日は、娘の小学校最後の運動会でした。

幸い、午前中は曇っていて、夏至近辺の強い日差しを浴びずに済んだのはラッキーでした。

娘は中肉中背で、特段変な動き方をすることがありません。故に全校生徒の中に入ると、擬態をしているかのように全く分かりません。おかげで、シャッターチャンスを逃すこともありました。

息子も、今はかなり目立たなくなってきている方です。それでも、他の子とワンテンポ遅れるとか、目線が他の子と違っているために「あそこにいる」ということが分かりやすいというメリットはありました(メリットか? というご指摘もあるでしょうけど)。

他の多くの親御さんは、単純にわが子の姿を見つけきれないことを、もどかしいとしか思わないのでしょうけれど、こういう育児を経てきた身には、目立たないことは最高の喜びだと感じられます。

ただ、娘にとって、個々のところ毎回負ける側に属してきたこともあり、最後の運動会こそ勝ちたいと願っていたところ、残念ながら今年もそれはかなわないこととなりました。

意外に勝ち負けにこだわるところがあるのは、息子にもあった特性の一部なのかという疑問はないわけではありません。

何はともあれ、無事に気がすることなく最後までやり切った娘を褒めたいと思います。

なお、息子に「応援に行かないか」と誘いましたが、「いや、いい」と言下に却下されたことは、少し残念です。

2017年9月30日 (土)

(614) 教育の理念

当家では、息子だけでなく妹も受験のための準備も始めています。来年度、兄妹がそれぞれ高校・中学を受験することになります。

高校受験は義務教育ではありませんから、あまり違和感は無いと思います。首都圏以外の大多数の地方では、普通に行われることですし。

でも、中学受験については、義務教育でもありいろいろなご意見もあるでしょう。ただ、親としてはどちらでも良いと妹には伝え、妹が地元の公立校には行きたくないと言っていることから、わが家では受験する方向で進んでいる、ということです。

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2017年8月27日 (日)

(611)7掛けの成長

今日の新聞に、厚生労働省が来年度の概算要求において、発達障害に係る費用を約3倍増やすという記事が掲載されていました。 https://mainichi.jp/articles/20170827/ddm/016/010/016000c

発達障害の子を持つ親として、素直にありがたいと思います。その上で、私はここで、表題の通り発達障害の子は定型発達の子の7掛け程度の精神年齢である、ということを踏まえた支援が必要になるのではないか、ということを改めて申し上げたいと思っています。

率直に言えば、例えば定型発達の子が22歳で社会に巣立つとした時に、発達障害の子はその7掛けの年齢、15歳程度の精神発達しかしておらず、そのままでは複雑化した社会に適応できないだろう、ということであり、そのまま社会に出すことは無謀と言わざるを得ません。

これをクリアするためには、発達障害者は、ほぼ定型発達者の22歳に相当するであろう30~31歳に達するまでは、なお学校に留まれるという制度が必要なのではないか、と考えています。もちろん、その年齢まで学校に留まること自体は現在でも不可能ではありません。でも、現状ではそのようなことは社会からかなり奇異だと受け止められてしまいますし、いざ就職活動をしようとしても、社会の側で弾いてしまうことが容易に想像できる状況になっています。

このことへの対処として、まずこれは文部科学省の管轄になるのでしょうけれど、学校側でもそういう子に適した指導プログラムを更に拡充すること。次に、社会の側でもそういった生き方もあるということが受け入れられるような教宣活動を行うこと。そして、そういうルートを経た雇用ニーズについて、一定程度行政からも支援が行われること。少なくともこれらの3つについて、国を挙げた協働が行われることで、このことも少しずつ社会に受け入れられていくようになるだろう、と考えています。

言うのは簡単ですが、そう簡単にできることではない、小手先ではどうにも乗り越えられない発達障害をめぐる大きな壁となるであろうことは、十分理解しています。でも、人口減少化が明らかになりつつある日本で、新たな、そして大きな可能性と個性を持った労働力を掘り起こすために、私達が取り組んでいかなければならないことだと確信しています。

こういう部門横断的な取り組みが、日本が最も不得手とすることだとは理解しつつも、何とかならないものでしょうか…?

2017年8月 5日 (土)

(609) 自尊感情とのトレードオフ

特別支援学級・学校ではなく、普通学級に通わせたい。

これは、親心だと思いますノーマライゼーションによるインクルーシブ教育であれば当然そうすべき、というご意見もあろうかと思いますが、こういうイデオロギー以前に、自然の感情としてわが子が社会の一員として皆の中に溶け込み、健やかに育ってほしい、と思うのは、極めてナチュラルな感情でしょう。

とはいえ、普通学級に通わせた場合、通わせられる本人にとって本当に望ましい環境であるかは、見極めが必要となります。

周りの子ができることを、自分はできない、という現実に直面する。周りの子も幼く、ストレートな表現で、そのことをあげつらい、笑う、非難してくる、ということがどうしても起こります。

これで、自尊感情が保てるでしょうか?

普通学級に入れた場合、この手のリスクは避けがたいものとなる。普通学級の選択と自尊感情はトレードオフになる、ということはもっと意識されても良いことだと思います。

今は穏やかになりましたが、結構な長い期間、息子は学校やクラスメートに対してやさぐれたことを言うことがありました。

皆様のお住まいの地域にある学校で、たまに土曜登校をする日があると思いますが、息子はそれをすごく嫌がっていました。これは、恐らく特性から来るイレギュラーな対応への忌避感に加え、日頃から自尊感情を損なう経験をしてきたことも大きいと思います。

大人になれば、あからさまにそのような侮りや非難を受けることもなくなる(大人でそういうことをやる人は、まさに「お子ちゃま」として逆に嫌われることになりますよね)のですが、そこにたどり着くまでに自尊感情をすり減らさせてしまって良いのか。

親として、このことは今でも悩むところです。

2017年4月30日 (日)

(598) 特別支援学校の在籍者急増に伴う教室不足に思うこと

今朝のネットニュースに、標記の記事が掲載されていました。

http://digital.asahi.com/articles/ASK4X0QSNK4WUTIL07N.html?rm=569

親の側の理解が進んだことが一因となっていることは、間違いありません。それは評価されるべきことだと思います。

一方で、不足するくらいですから志望者はもちろん増えているのでしょうけれど、それが急だったのかと言えば、そうでもないようです。少しずつ、じわじわと、それでも確実に特別支援教育へのニーズが深まった結果としてこのような事態に陥っているのですから、じゃあ文科省は今まで何をやってきたのか? と聞きたくなってしまいます。

インクルーシブ教育推進と、特別支援学校の教室不足は、感覚的に方向性に矛盾が生じているのは否めません。「障害がある子とない子がともに学ぶ」ことを推進するならば、特別支援学校の存在自体が真逆の方向を示すものだからです。教室不足を奇貨として特別支援学校そのものを縮小化していく、というのも考えとしてはあり得ると思います。

ただ、本来教育は私事性があります。子の教育についての方向性は、第一義的にはそれぞれの家庭の考え方を尊重すべきであり、現状のように、特別支援学校を志望する親が増えているのであれば、その意思を踏まえて行政としてできることをやっていく、という考え方もあると思います。

むしろ、家庭の側でその選択ができる環境を維持することが大切で、国としてどちらか一方をエイヤーで決めて選んでしまうという考え方こそ、厳に慎むべきだと思います。

なお、インクルーシブ教育については、もう少し拡張して捉えた方が良いのではないかと思うことがあります。東京に住むようになって感じることですが、優秀な子の多くが小中時代から私立に通っていて、彼らは障害児と過ごすこともなく社会に出て、かなりの確率でその優秀な能力を基に主要な地位を占めることになっている、という現実。こういう流れを無視してインクルーシブ教育を主張しても、どの程度意味があるのでしょうか。

2017年2月25日 (土)

(593) 発達障害と主治医

発達障害は、持って生まれたもので、かつ今の医学では治らないとされています。従って、絶対に医師に診てもらわなければならないものでも、診てもらえば治るというものでもありません。

しかしながら、医師の診断を受けることで初めて診断名を得ることができ、それを基に例えば障害者手帳の取得ができる等、手続きを進められるようになります。

ただ、児童精神科医の数は少なく、どこの市町村にも普通にいるものではありません。たまに無医村がマスコミ等で問題として取り上げられることがありますが、児童精神科医については、無医市町村の方が遥かに多い一方、それを取り上げられることはありません。

昨今、発達障害に注目が集まるに連れて、診察を申し込んでも中々診てもらえない状態だと言われます。たまに新患を受け付けると、あっという間にそれも満杯になる、というお話を、息子の主治医から伺ったことがあります。

一方で、最初の診断の時から、成長過程の折々で相談できる主治医の存在は、やはり必要なものだと感じています。従って、今の状況は改善すべきことだと考えます。どうすれば、或いはどうなれば児童精神科医が増えてくれるのでしょうか。

他の診療科だと、実際に診てもらう時間は数分のことが多い一方で、児童精神科に息子を連れて行った時に数分で済むことは、経験上ありません。それで、窓口での支払額が時間数に見合って高額になるのかというと、そうでもありません。これって、診療科を選ぶ時にインセンティブが働きませんよね。

しかも、現状では治らない。主「治」医という表現の妥当性が問われる中で、医師としてのやりがい、モチベーションがどうなのか、ということも影響するだろうと思います。達成感が得にくいでしょうし。

それでも、敢えて児童精神科を選んで頂いた医師には、もっと感謝した方が良いのかも、と思っています。

2016年12月29日 (木)

(585) 療育施設の一風変わった使い方

タイトルを見て、「療育施設は、障害のある子に療育を受けさせるための施設だろう?」と思われる方は、健全です。

私もそうだと思っておりましたが、ある方の意見を伺って、ちょっと目から鱗でした。

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2016年12月18日 (日)

(583) 障害児親に必要なサービス

この週末、妻が療育施設に通う親の有志による忘年会に行ってきました。とても楽しんで帰ってきたようです。

子に障害が無ければ出会うことも関わることもなかった人たちではあるものの、こういう集いを開催しようという機運が仲間内で盛り上がり、実際に会って話すことで日ごろの思いを語り合えるというのは、精神の健康を保つうえでもとても大切なことだと思っています。

発達障害に限らず、障害のある子を育てるというのは、自分の意思が伝わらない、不測の行動により世間様から厳しい目で見られる、或いは批判的なことを言われる、夜もおとなしく寝てくれるとは限らない、等々とてもシンドイことであるのですけれど、だからこそ親にとっても息抜きの場というのは絶対に必要となります。

その息抜きを実現するためには、一時でも親の代わりに子の面倒をキチンと見てくれるサービスが必要となります。この種のサービスは、昼間であれば提供してくれるところもあるようですが、これが夜となるとどうでしょうか。もしかしたらあるのかも知れませんが、まだまだ数は少ないでしょう。寡聞により私が認識できていないだけかも知れませんが、私の周辺には無いと思っています。

親が謹厳実直に常に全精力を持って我が子に向き合え、というのは抗しがたい正論ではありますが、たまの息抜きまでも否定してはならないと考えます。真顔でこのような正論を言うのは、人を追い詰めます。障害のある子を育てているとしても、その親が楽しむことを諦めさせられる理由は無いのです。

夜もキチンと預かってくれるサービスが拡充することを願いますし、そのサービスの利用により親が取り戻す英気を軽く見てはならないと思います。

2016年12月10日 (土)

(582) 発達障害児育児と持ち家(2)

今回は、(580)での記載内容とは別の視点で考えてみました。

持ち家に伴う転居については、それまでと基本的な生活圏が大きく変わらない範囲での移転と、生活圏が全く変わってしまう移転がある、と思います。特に、我が家の場合、いずれ実家に帰って住む(相続する)ことを考えており、それは首都圏から完全に離れることとなりますから、後者に該当することとなります。

この場合、障害のある子をどうするのか、という問題に突き当たることとなります。

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2016年11月26日 (土)

(580) 発達障害児育児と持ち家

マイホームhouse、おお何と甘美な響き…happy01

子どもがある程度大きくなったら、持ち家を考えるという方も多いでしょう。健常のお子さんを育てている場合、お金の問題を除けば(そう簡単に除ける問題ではない、というご意見はその通りです)、そういう発想は全くナチュラルだと思います。

しかし、私たち発達障害の子を育てている家庭ではどうでしょうか。

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