2019年12月22日 (日)

(687) 元農水事務次官による長男殺害に対する社会の反応

標題の事件については、このブログをご覧になる方も関心が高かったのではないでしょうか。

  • 被告は、元農林水産省の事務次官まで昇進した官僚。
  • 2019年6月1日15時15分頃、被告は発達障害の診断を受けた長男を刺殺(死因は失血死)。
  • 2019年12月16日、東京地裁で懲役6年の判決(求刑は8年)。
  • 2019年12月20日、東京高裁が保釈を決定。

以上が経緯であり、裁判の過程で明らかになったこととして、

  • 長男は中学時代からいじめを受けていた。
  • 長男は母親に対して暴力を振るうようになった。
  • 長男はアスペルガー症候群など(発達障害)の診断を受けていた。
  • 長男はごみ捨てができない。ごみ捨ては父親である被告が手伝っていた。
  • 長男は就職しても続かなかった。ゲームをして過ごしていた。
  • 長男は一人暮らししていたが、事件直前に実家に戻った。
  • 実家に戻った長男から被告は激しい暴行を受け、殺すと言われた。
  • 事件当日、近所の小学校の運動会の音に長男が激高、川崎の児童殺傷事件の直後で、被告は止める必要があると認識した。
  • 被告の妻は鬱病、長女は事件前に自殺していた。

ということがあるようです。

この件について報じるYahoo!ニュースのコメント欄を見ると、被害者である長男の冥福を祈るものが見つけられず、被告には寛容なものが目立ちます。発達障害と診断された子を育てる親としては、世間の発達障害者に向けられている厳しい視線、本音を突きつけられたようで、忸怩たる思いを抱かざるを得ません。

ただ、それでも言わなければならないことがあります。

そもそも人の命を私人が奪うことは、法が許しておりません。

それに、生前の長男の言動にかなり好ましからざるものであることは私も認容しますが、それでもなお、それが命を奪うに値するほどであったのかを考えると、それは無いと考えています。急迫性もなかったため、正当防衛も対象とされておりません。

虐待されて殺された子には大いに同情する世間が、本件では親の殺害行為を是とし、親として責任を取った、執行猶予を付けるべきだという論調で埋め尽くされるのは、何か違うと思うのです。いずれ何かをやらかすだろうという予断の基に、やられる前にやっちまえ、というのは、どう考えても合理的ではありません。

そして、漏れ伝わってくる情報では、母が暴力を受けるようになったのも長男の大切なものを壊したことがあったようであり、実家に戻った長男が、自身の人生について振り返って号泣したのに対して、被告がごみの処分について話題にするなど、ちぐはぐなコミュニケーションがなされていたように受け止めています。

ここで、私たちの育児と比較するとざっくり30年くらいの開きがあることは無視できないでしょう。この間に発達障害についての研究、療育体制の構築は大きく進みました。長男が診断を受けたのは大人になってからのようですから、逆に長男の未成年期には診断もなく、適切な関わりを受けることもなかった。今なら、療育というツールを用いて身につけられることが、そうできなかった。

このことは、残念ながらやむを得ないことであったと思います。従って、私のような者でも知っていることを被告が知らないこと、ゆえにそういう対応をしなかったことについて、今の視点から非難するのはフェアではないという自覚を持っています。

ただ、被告自身、このままではまずいという意識はあったでしょうし、自宅に戻った長男が自らに暴行を加えてくるに至った時に、誰かに助けを求めることもしなかった。しかも、霞が関人脈、東大OBのつながり等いくらでも頼れるものがあったと思うのに、その一歩を踏み出さなかったこと。それは、やはり踏み越えて欲しかった、と思います。

家庭内のことは家庭内で処理、というのは基本ではあると思いつつ、それでも限度というのはありますし、自分でどうにもならないことは、外に頼る。頼ることは恥ではないし、他者は軽々に非難すべきではない。そういうことを世の中の当たり前にしていくことが必要なのだ、ということを痛感した判決でした。

今年は、これが最後の記事となります。

末筆になりましたが、よいお年をお迎え下さい。

2019年12月12日 (木)

(686) 「自称」発達障害

最近の発達障害界隈を見ていて、気になること。

それは、自身が発達障害の当事者であるという主張の根拠は何か?

ということです。

「へ? お医者さんの診断を受けたからではないの?」

と思われるのはごもっとも。でも、特にネットで自分が発達障害当事者であると主張される方の自己紹介等を注意深く見ると、この人は本当に発達障害の診断を受けているのだろうか? と疑問を感じる記載であることが少なからずあります。

実は、自閉スペクトラム症と診断できる医師は、そう多くありません。小児神経専門医、児童精神科医、精神科医等のうちの一部、ということになります。従って、診断できる医師がいる病院はどこも診断希望者が殺到し、診断を受けるまでに半年以上かかるということも珍しくはありません。

それでも、キチンと診断を受けることで、その先の療育や教育システム、更には福祉につながることができます。

ただ、どうもあまり重くない方はそのまま成長し、生きづらさを感じたり他者との違和感を感じたりする中で、さまざまな本を読み、自分が発達障害なのではないかと思い至るケースがあるようです。

こういう方は、結局医師の診断を受けないまま、本人の感覚で自分が発達障害であると思い込んでしまうようです。

実際、特に成人以降になると、今の診断に必要とされている生育歴の調査がうまくできません。ここを担うのは親ですが、親の記憶もあまりに前のことだと薄れてはっきりしませんし、本人との関係性であまり仲良くない場合は、協力を得られないことも起こり得ます。

ただ、だからと言って自己診断を認めて良いのでしょうか? 私は、それは明確に不可だというスタンスに経ちます。

理由は簡単で、本人の感覚では、DSM-5等の診断基準と厳密に突き合わせることもできないでしょうし、本当に障害とするレベルなのかの見極めもつけられないからです。

ところが、世の中では「自称」発達障害の方の声が意外に大きくなってきていて、影響力を持つ人も出てきています。しかもそのイメージは、小さい頃に診断を受けて療育や特別支援教育を受けて育った、自らは声を発することの少ない診断済の発達障害の方々のイメージとは明らかに異なっていると感じることが多いです。これは、どう考えても発達障害を正しく理解することの妨げになりかねず、そのことを大いに危惧するものです。

「自称」者に対してむやみに沈黙を強いることはできませんが、彼らも自分たちが未診断であることについては自覚して発現する、或いは未診断であることを何らかの形で明示することは必要なのではないか、と思います。

2019年11月30日 (土)

(685) 発達障害の「障害」

昨今、発達障害が治るといった言説がチラホラとネット上で流れています。このことを考える前に、労働災害による傷病に関わる障害について、厚生労働省は以下のような見解を示しています。

業務上の事由又は通勤による負傷や疾病が治ったとき、身体に一定の後遺症が残った状態をいいます。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/faq_kijyungyosei36.html

これ、極めて示唆的だと思います。

治った後になお残るもの(後遺症)があれば、その状態が障害であるということであり、それは即ち障害は治るものではない、治らないというのが国の見解である、ということになります。

先天性の発達障害は、このような後天性の身体・精神障害とは異なるという反論があるかも知れません。では、逆に先天性の発達障害は、全部が治り得るものなのでしょうか?

もし、そういう認識に立つならば、障害として残る部分がない、いずれ消えてなくなることになります。そうすると、国が定めた発達障害者支援法は、治すための法律なのか? ということになってしまいますが、そうではありません。同法の第一条に「発達障害者の自立及び社会参加のためのその生活全般にわたる支援を図り、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする」と記載されていて、法目的と発達障害者は健常者と共に生きる存在と見なされていることは明らかです。

また、同条の前半は「発達障害を早期に発見し、発達支援を行うことに関する国及び地方公共団体の責務を明らかに」し、各種支援を定めています。この手の支援を定めつつ、それでも発達障害で治らない部分の存在を認めていなければ、このような条文の記載にはならないでしょう。

個人の思想信条は自由ですが、国の見解は把握しておく必要がある。私はそう思います。

2019年8月24日 (土)

(677)治ると譲ってみる

発達障害は治らない。

これは、今の医学的には「公理」だと認識していますが、治ると言い張る一群の方々がいます。

そういう方々は、個人的な経験至上主義であって、科学的な検証ステップを踏まないし踏もうともしない時点で一般論として語ることに無理があるとは思いつつ、それでも治るとしてみましょう。

発達障害が治るメリットって何だろう? を私なりに考えると、人との円滑なコミュニケーションを取れることだと思うのです。興味が限定されたり、ルールに厳格だったり、パニックに陥ったり、というのは、健常者に取っても流そうと思えば流せる部分ですし。

一方で、事細かに全て必要な情報を伝えないと動かない動けない、表情を把握したり場の雰囲気を読んだりできない、不測の事態が発生しても何ら対応しない、ということが続くと、発達障害に不慣れな人たちにとってはストレスが蓄積することになります。

ここをキチンとクリアできているならば、治ったと言えるだろうと私も思います。ただ、ここには更に本人が職場の上長となって下位者をうまく使えるようになっていることまでも含むべきだと考えています。上長から使われる立場の場合、言われたことだけをやっていれば取りあえず優は付かなくても可は付くわけですから。

 

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2019年8月16日 (金)

(676)子は母を選ぶか

障害のある子を持った親に対して、「子どもは、親を選んで生まれてくるから。あなたには、育てる能力があるのだから大丈夫」等と言う人がおられます。

私は、この説には強い違和感を覚えます。その子は、障害を持って生まれることも選んだのでしょうか?

こんなことを考えたのは、たまたま以下の記事を見かけたからです。 

高嶋ちさ子 「ダウン症」の姉の面倒をみさせる為に…母は私を産んだ/芸能/デイリースポーツ online 

ご本人は、親に言われたことでめげることもなく育たれたそうですが、「きょうだい」と呼ばれる障害者の兄弟姉妹は、やはりその親を選んで生まれてきたのでしょうか?

親に対する慰めの言葉が、きょうだい達に対しては自己責任とされかねない剣の言葉となってしまうのを感じます。幼い時から葛藤を感じがちなきょうだい達が育つことを考えると、少なくとも私はきょうだい達にに対して「選んで生まれてきたんだよね?」等とは言えません。

そもそも、親と子だけの関係で社会ができ上っているわけではありません。むしろ、子は加齢に伴い(障害者であっても)社会との関わりを持つこととなります。そう考えると、親よりも社会を選んだ方が本人にとって生きやすい環境を手に入れられるのではないか? と思うのです。

そうであるならば、昨今の風潮に鑑みて障害者に対する社会の対応が未成熟な日本を選んで生まれてくるのってどうなのだろう? と考えてしまいます。

2019年5月19日 (日)

(671) 整理できない

我が家には、子供用のPCが一台あります。

何のことはなく、私が数年前まで使っていたPCのお下がりなのですが、意外と長持ちです(もう、購入してから8年になりますかね…)。

購入した時は、Windows7でしたが、無償アップグレードで10になっています。

 

それはさておき、システム的には全く問題が無いのですが、ある機能が使えなくなってきました…データの保存です。

息子が、カメラで動画を取るようになり、それでPCのハードディスク容量をほぼ埋め尽くしてしまいました。

主に電車なので健全ではあるのですけど、容量を増やすだけではイタチごっこになるだけなので、息子に不要なファイルは削除するように申し伝えました。

 

それから、1カ月半が経ちますが、そのままですねorz

発達障害の人の中には、整理できない人も結構いると聞きます。それは部屋の片付けの問題ではなく、このようなデータの整理にも表れるのだなあ、と半分は納得できるものの、社会でも必要とされる能力なので、気長に本人の成長を待ちたいと思います。

 

要不要の判断をできるようになることに加え、片付けようという意欲を持続し、片付けることによる自身のアクセスの容易さの向上を体験することが必要になるので、かなりハードルは高いでしょうねえ。

2019年5月 5日 (日)

(670) 発達障害の人の出口

発達障害についての理解は、以前よりは深まっていると感じます。

発達障害を取り上げた本や漫画も増えました。更に、ここ数年はNHKがいろいろな切り口で発達障害の特集を組み、何度も波状攻撃のように放映してくれたことや、ドラマ「透明なゆりかご」で原作・主役者が発達障害であることを劇中に織り込む等のこともあり、こういうことが複合的に影響しているのだろうと思います。

発達障害についての理解が深まったこと。そのこと自体は喜ばしいと素直に感じます。それにより、発達障害当事者の健常者との不必要な軋轢や奇矯に見える言動への非難をある程度防ぐ効果が生まれたと認識しており、それは取りも直さず発達障害者の生きやすさにつながるものだと思います。そして、学校での配慮も拡充してきました。これは大きな進展でしょう。

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2017年9月 3日 (日)

(612) 失敗に学ぶ

発達障害の子は、他者の行動を見て自分の行動にうまく取り入れることが苦手です。

よく言われることは、「動作を模倣することが苦手」であり、加えて見ただけでその動作を身に定着させることなどは更に苦手なこととなります。

これは、脳内の認知能力からくるものであって、本人の努力による克服は限界があります。でも、このことって、意外と理解されにくいことが多いです。

ですから、料理人の世界に顕著な「仕事は教わるものじゃない。見て覚えるんだ」、「技術は目で盗め」は、発達障害者にとってはまず無理な理屈となります。

他人の行動を客観視し、自分が同様に振舞うためには何をどうすれば良いか、更にそれを身に着けたらどうなるか、を推測しにくいことが原因となっていることから考えると、失敗経験から学ぶことはかなり困難であることは、容易に推測ができると思います。

最近、ちょっとブームが沈静化した感がありますが、少し前に失敗学が一世を風靡したことがありました。過去の失敗例を参考に、何が本質的な原因であるのか、それがどのように良くなかったのか、更に今後どうすれば良いかを考えることは、自分も有益なことだと感じています。でも、これは、明らかに健常者でなければできないことであって、発達障害者にはものすごくハードルが高いことだと思います。

何度も失敗してでも身に付けることができるのなら良いのですが、そこにたどり着くよりも前に意気消沈してやる気を根こそぎ奪われてしまう可能性の方が遥かに高いことを考えれば、やみくもにやらせて失敗させるよりも、正しい方法をキチンと最初に教える方が、発達障害者の学びにとって遥かに有益だと思います。

失敗に学ぶことができるのも、一つの能力と問われるべきでしょう。ですから、全ての人ができることではないと考えるべきもの。そう理解しています。

2016年12月 4日 (日)

(581) 多様な発達障害とその親の思い

発達障害の歴史は、レオ・カナーが自閉症の研究について1943年に発表したことが嚆矢とされていると認識しています。そしてその翌年(1944年)、ハンス・アスペルガーが後に彼の名を冠して呼ばれるアスペルガー症候群についての論文を発表しています。

敗戦国で忘れられかけていたハンス・アスペルガーの業績を、1981年にローナ・ウイングが論文で再評価し、主流だったレオ・カナーの自閉症概念を広げた時に、今の発達障害という大きな枠組みで捉えられる原形ができたと思っています。

ものすごく端折った概略であり、また私の知識など大したことありませんので、間違いであればご指摘をお願いします。

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2015年11月15日 (日)

(533) 不妊と子の障害

発達障害に関わっていると、ともすれば忘れがちになることに、我々は子を授かっているという事実があります。

何を言っているのか? と疑念を感じられる方もおられることでしょう。ここで当方が感じているのは、そもそも子が授からずに悩んでいる方も、決して少なくはないということです。

子を授かるのは、当たり前のことではないのです。更に、人によっては、辛い不妊治療を経てやっと授かった子が発達障害だった、ということもあると伺っています。

何かが解決した途端、そのことで悩んでいたことは記憶の向こうに飛んでいき、別の悩みに捉われてしまう。このことを考えた時に、人間のサガとは何と罪深いものだろう…と思わざるを得ません。

不妊に悩んでいる夫婦と、子の障害に打ちのめされている夫婦。どちらも、心安らかには中々なれないでしょう。ともすれば生物学的、遺伝的な原因が夫婦の片方、あるいは双方にあると考えがちにもなりますが、最後は順列・組み合わせと運の問題もあります。あれこれ考えても心が晴れるような回答が出て来ない確率が高いことを考えると、そういう迷妄に時間を費やし心をすり減らすよりは、今与えられている境遇の中で精いっぱい生きることに注力した方が、美しいと感じます。

もちろん、楽ではないでしょう。でも、例えれば人生劇場において俳優・女優としてその役を演じ切ることって、それはそれなりに充実感が得られると思うのです。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ではありませんが、置かれた境遇の中で精一杯のことをして、今日も頑張ったという満足感を積み重ねていくことは、心の平衡に役立つ有効な手段ではないでしょうか。

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