2019年5月19日 (日)

(671) 整理できない

我が家には、子供用のPCが一台あります。

何のことはなく、私が数年前まで使っていたPCのお下がりなのですが、意外と長持ちです(もう、購入してから8年になりますかね…)。

購入した時は、Windows7でしたが、無償アップグレードで10になっています。

 

それはさておき、システム的には全く問題が無いのですが、ある機能が使えなくなってきました…データの保存です。

息子が、カメラで動画を取るようになり、それでPCのハードディスク容量をほぼ埋め尽くしてしまいました。

主に電車なので健全ではあるのですけど、容量を増やすだけではイタチごっこになるだけなので、息子に不要なファイルは削除するように申し伝えました。

 

それから、1カ月半が経ちますが、そのままですねorz

発達障害の人の中には、整理できない人も結構いると聞きます。それは部屋の片付けの問題ではなく、このようなデータの整理にも表れるのだなあ、と半分は納得できるものの、社会でも必要とされる能力なので、気長に本人の成長を待ちたいと思います。

 

要不要の判断をできるようになることに加え、片付けようという意欲を持続し、片付けることによる自身のアクセスの容易さの向上を体験することが必要になるので、かなりハードルは高いでしょうねえ。

2019年5月 5日 (日)

(670) 発達障害の人の出口

発達障害についての理解は、以前よりは深まっていると感じます。

発達障害を取り上げた本や漫画も増えました。更に、ここ数年はNHKがいろいろな切り口で発達障害の特集を組み、何度も波状攻撃のように放映してくれたことや、ドラマ「透明なゆりかご」で原作・主役者が発達障害であることを劇中に織り込む等のこともあり、こういうことが複合的に影響しているのだろうと思います。

発達障害についての理解が深まったこと。そのこと自体は喜ばしいと素直に感じます。それにより、発達障害当事者の健常者との不必要な軋轢や奇矯に見える言動への非難をある程度防ぐ効果が生まれたと認識しており、それは取りも直さず発達障害者の生きやすさにつながるものだと思います。そして、学校での配慮も拡充してきました。これは大きな進展でしょう。

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2017年9月 3日 (日)

(612) 失敗に学ぶ

発達障害の子は、他者の行動を見て自分の行動にうまく取り入れることが苦手です。

よく言われることは、「動作を模倣することが苦手」であり、加えて見ただけでその動作を身に定着させることなどは更に苦手なこととなります。

これは、脳内の認知能力からくるものであって、本人の努力による克服は限界があります。でも、このことって、意外と理解されにくいことが多いです。

ですから、料理人の世界に顕著な「仕事は教わるものじゃない。見て覚えるんだ」、「技術は目で盗め」は、発達障害者にとってはまず無理な理屈となります。

他人の行動を客観視し、自分が同様に振舞うためには何をどうすれば良いか、更にそれを身に着けたらどうなるか、を推測しにくいことが原因となっていることから考えると、失敗経験から学ぶことはかなり困難であることは、容易に推測ができると思います。

最近、ちょっとブームが沈静化した感がありますが、少し前に失敗学が一世を風靡したことがありました。過去の失敗例を参考に、何が本質的な原因であるのか、それがどのように良くなかったのか、更に今後どうすれば良いかを考えることは、自分も有益なことだと感じています。でも、これは、明らかに健常者でなければできないことであって、発達障害者にはものすごくハードルが高いことだと思います。

何度も失敗してでも身に付けることができるのなら良いのですが、そこにたどり着くよりも前に意気消沈してやる気を根こそぎ奪われてしまう可能性の方が遥かに高いことを考えれば、やみくもにやらせて失敗させるよりも、正しい方法をキチンと最初に教える方が、発達障害者の学びにとって遥かに有益だと思います。

失敗に学ぶことができるのも、一つの能力と問われるべきでしょう。ですから、全ての人ができることではないと考えるべきもの。そう理解しています。

2016年12月 4日 (日)

(581) 多様な発達障害とその親の思い

発達障害の歴史は、レオ・カナーが自閉症の研究について1943年に発表したことが嚆矢とされていると認識しています。そしてその翌年(1944年)、ハンス・アスペルガーが後に彼の名を冠して呼ばれるアスペルガー症候群についての論文を発表しています。

敗戦国で忘れられかけていたハンス・アスペルガーの業績を、1981年にローナ・ウイングが論文で再評価し、主流だったレオ・カナーの自閉症概念を広げた時に、今の発達障害という大きな枠組みで捉えられる原形ができたと思っています。

ものすごく端折った概略であり、また私の知識など大したことありませんので、間違いであればご指摘をお願いします。

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2015年11月15日 (日)

(533) 不妊と子の障害

発達障害に関わっていると、ともすれば忘れがちになることに、我々は子を授かっているという事実があります。

何を言っているのか? と疑念を感じられる方もおられることでしょう。ここで当方が感じているのは、そもそも子が授からずに悩んでいる方も、決して少なくはないということです。

子を授かるのは、当たり前のことではないのです。更に、人によっては、辛い不妊治療を経てやっと授かった子が発達障害だった、ということもあると伺っています。

何かが解決した途端、そのことで悩んでいたことは記憶の向こうに飛んでいき、別の悩みに捉われてしまう。このことを考えた時に、人間のサガとは何と罪深いものだろう…と思わざるを得ません。

不妊に悩んでいる夫婦と、子の障害に打ちのめされている夫婦。どちらも、心安らかには中々なれないでしょう。ともすれば生物学的、遺伝的な原因が夫婦の片方、あるいは双方にあると考えがちにもなりますが、最後は順列・組み合わせと運の問題もあります。あれこれ考えても心が晴れるような回答が出て来ない確率が高いことを考えると、そういう迷妄に時間を費やし心をすり減らすよりは、今与えられている境遇の中で精いっぱい生きることに注力した方が、美しいと感じます。

もちろん、楽ではないでしょう。でも、例えれば人生劇場において俳優・女優としてその役を演じ切ることって、それはそれなりに充実感が得られると思うのです。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ではありませんが、置かれた境遇の中で精一杯のことをして、今日も頑張ったという満足感を積み重ねていくことは、心の平衡に役立つ有効な手段ではないでしょうか。

2015年7月26日 (日)

(518) 健常社会に踏みとどまる

夏休みに入って、1週間が経ちました。

一学期を振り返ると、最後の方になるにつれてまた登校渋りがひどくなってきました。そこを何とか持ちこたえた、という状態です。

そんなこともあり、息子の件で学校の先生とお話する機会を持つこととなりました。担任の先生は、昨年度からの持ちあがりで、息子の特性をよく理解して下さっています。

そのお話の中で、「授業中の集中力が下がっている、指示を出してもボーっとしていてすぐに動こうとしない。作業に取り掛かるまでに何回か促しが必要」、「クラスメートに仕切りたがる子がいて、他者の指示に従う意欲の低い息子は当然そういう子との相性がイマイチで言い合いになったりする。この子とのやり取りもストレッサーの一つになっている」「息子から話を聞く機会も作っているが、その際にネガティブな発言が増えた。例えば、「自分なんてどうせ…」「学校なんて、無くなってしまえば…」といったことを言う」というようなご指摘がありました。

ただ「クラスでの係の活動は、キチンとやっている。((510) 息子、小学校最後の運動会に書いたように)運動会の得点係も全校生徒の前で良くやっていた(過去担任になるなど息子と関わりのあった先生は、皆息を詰めて大丈夫かなと思いながら、見守って下さっていたそうですw)、と思っている」「友達と仲良くなりたいという気持ちが芽生えているように感じる。一方でどう振る舞って良いのかがまだよくわかっていない印象」というようなお話も頂き、健常社会での生活で苦労しているなあ、と感じる一方で、適応不全が起きていることも認識しました。

夏休みの間、学校ストレスが無くなることもあり、まずは気持ちがのんびりするように持っていくとともに、2学期に備えどのように対処していけばよいか、今の問題点についてかかりつけの児童精神科の先生と相談してみようと思います。やみくもに何かをやらせようとすると大抵うまくいかないでしょうし、ここは慎重に対処していこうと考えています。

健常社会で踏みとどまってやっていけるよう、できることを考えていこうと思います。

2015年7月18日 (土)

(517) 面白さのツボ

息子は、基本的にはひょうきん者なのだろうと感じています。いつもそうではないのですが、面白そうに話しかけてくることが多いもので…。

ただ、本人が面白そうに話してくれる内容が、少なくとも私の能力ではイマイチ理解しきれないことが多いのと、たまに内容が理解できても今度はそのツボが少なくとも私のそれとはズレていることがほとんどなため、残念ながら私はそれを面白いと感じたことがほぼありません

ただ、楽しそうに話すこと自体は良いことで、楽しそうに話してくる人と接することによって、こちらも少し心が晴れると言うか、気が楽になったりはします。

そういうこともあって、息子の話を聞くと、こちらも張っていた気が抜けて口元が緩むことはあります。

周囲から見ると、この二人は話が通じていてお互いに面白いと感じているに違いない、と受け取られるかも知れませんが、両者の思いを詰めて比べてみると、実態はそうではない、ということです。

面白さを感じるツボについて、もう少し一般の人と同様であれば良いのだけどなあ、と思うことはありますが、こればかりはどうにもなりませんよね。もちろん、本人がつまらないと思っているものをお追従笑いさせるようなことは避けたいと思いますし。

逆に言えば、こちらも自分の笑いのツボを敢えて息子に合わせようとは思っていない、ということでもあります。

さて、夏休みになりました。長い休みの間にも、面白いと感じる体験がたくさんできると良いな、と感じています。

2015年7月12日 (日)

(516) 理解してもらうことの大切さの理解

発達障害のある子どもは、幼少期に言葉の発達が遅れることが多いです。アスペルガーの子はそうでもないと言われることがありますが、やはり言葉のニュアンスを正確に把握していることは少ないようです。

幼少期に遅れた言葉の発達を、そのまま引きずりながら成長していくことも多いと感じます。

こうなると、周囲の子がストレスなく普通に話をしていることでも本人はすごく難しく感じますし、その内容を理解をするのにも時間がかかったり、分からずにスルーしたりせざるを得なくなります。発信機と受信機のレベルが合わない以上仕方がないことなのでしょうけれど、こういう経験を繰り返した結果として、本人がコミュニケーションを取ろうとする意欲が減退することで、流してしまうことが多くなる結果、益々その能力差が大きくなりコミュニケーションレベルの差が広がる、という悪循環に陥ってしまいます。

本来、人に自分のことを理解してもらうためには、自分が口を開いて自分の思いや考えを相手に伝えるようにしていかなければならないのは当然で、これは健常者同士でもよくある普通なことです。

だからこそ、人に理解してもらうこと、そのことはとても大切であること、それは話をしないと始まらないこと、を本人が理解して、少しでもその方向に努力をし続けることってとても大切なことになるのですが、幼少期からのうまくいかない経験の積み重ねがそれを妨げてしまっているのではないか、と感じることも多くあります。

物事を成し遂げるためには、小さな努力の積み重ねが大切であるとはよく言われることです。この逆に、小さな失敗の積み重ねによって下がった意欲というのは、どのように持ち上げていけば良いのだろうか、と悩んでしまいます。

ただ繰り返しになりますが、伝えようとしなければ伝わらない、あくまでも伝えようとすることは不可避なことではありますので、少なくとも親としては、何かあってコミュニケーションを取らなければならない時に、急かさず、中々話が始まらずにイラッとしてもその思いを表情や態度に出さず、とにかくゆっくりでも良いから考えていること、感じていることを話してもらうように促し、聞く姿勢を保って待ち続けるしかないのかな、と感じています。

当たり前ですが、コミュニケーションは片方だけではできません。周囲の忙しい人達にまでこのような対応をお願いするのは気が引けるし実際できないことかも知れませんが、それでもあなたの話を聞こうとする人がいる、こういう態度で接してくる人がいたら、話をすることで何か得られることがある、ということを体験し理解できるようにするためにも、このような対応を継続していくしかないだろう、と考えています。

こういう地道な努力をしていかないことには、どうにもならないだろうと思いますし。

2015年6月27日 (土)

(514) 異動の時期

人との距離感というのも、まさに人によってさまざまかと思います。

昨今は株主総会時期にあたっている会社も多いでしょう。上が代われば下も代わる。サラリーマン社会の風物詩であったりもする異動の時期を迎えて、そのたびに感じることの一つとして、過去にお付き合いがあった方との距離感の差異があります。

こちらはたくさんの関わりがあった、お世話になったと思っていた人に挨拶に行ったら、素っ気ない対応であったり、その逆にこちらがそれほどお付き合いが無かったと思っていたら、丁重な挨拶を頂いたり、ということは、皆さんにも経験があることだと思うのです。

これも、本当はもう一段の深掘りが必要で、関わりへの認識の差異のみならず、その認識に対して挨拶回り等でどの程度自分の思いを表出するかの差異が複合・重畳することだと考えられるので、それらを踏まえるとなると出方もいろいろでかなりややこしくなるのですけどね。

健常者(だと思う)同士でもこのような経験は少なくないことからすると、発達障害により人との関わりが苦手な子にとって、この時期って負荷がかかって辛いだろうなあと思うのです。ある人が挨拶に来たなと思ったら、しばらくしてまた別の人が挨拶に来て…と周囲の雰囲気も、多少ワサワサして落ち着きがなくなるということもそれに拍車をかけます。更に自分に直接関わることとして、異動を踏まえて、次に自分のカウンターパートになる人との新たな人間関係の構築や認識合わせもしなければなりませんし。

顔を覚えるの(相貌認知)にも苦手な場合がある彼らにとって、まさに鬼門となります。

常々人と自分の感覚の違いに戸惑い、ナーバスになっている彼ら。挨拶回りでもその差異を痛感することとなるでしょう。

でも、ここから先は身過ぎ世過ぎで、相手が自分の期待したリアクションをしなくても、自分はとにかくにこやかに頭を下げる、という単純な対処方法を教え乗り越えてもらうしかないだろう、と思うのです。

それはそれで、今度は「あの人って、何か表面的よね」という目で見られるかも知れませんが、無礼者だと思われるよりはマシでしょう。

優等でなくても、赤点を取らなければそれで良い。こういう割り切りも必要ではないでしょうか。

チラホラ始まった挨拶回りの光景を見ながら、そんなことを考えています。

2015年6月20日 (土)

(513) 子の障害への意識差

少し前にtwitterでかなり注目を集めた、男女の意識に関するこの漫画(👈クリックしてみて下さい)。

いろいろご批判もあろうかとは思いますけれど、私は「あぁなるほど~」と腑に落ちました。多少デフォルメがきつめだとは思うものの、恐らく読者の皆様も、こんなのデタラメだ、と言いきれない程度には納得性があるだろうと推測しています。

実は、我が子が障害を持っているという事実に突き当たった夫婦の間でも、このような意識の差があって、齟齬が生じがちになっているのではないか、だからこそその意識の差を軽視・無視してしまうと、後々に大きな禍根を残すのではないか、と思うのです。

もちろん、夫婦双方とも我が子の障害という事実に直面すれば、第一にはショックだろうと思うのです。これは疑いのないところでしょう。でも、その次に妻の側は、子の障害という事実を前に自分の受けたショックに対する共感を求める一方で、夫の側は、子の障害に対して何らかの解決に向けた具体的なアクションを起こさずにはいられなくなる、という状況に陥ることは、そう珍しいものでもないのでは? と考えます。

しかも、良し悪しは別として、妻の方が子に関わる時間がどうしても長くなるという事実がこれに加わるでしょうから、夫が解決に向けたアプローチを行い情報探しに奔走し、何とかそれを見つけたのは良いけれど、妻にその対応の大部分を投げてしまう、しかも、初めてで戸惑う妻の気持ちへの共感や配慮が手薄になってしまうようなことがあると、夫婦それぞれが役割分担しながら、できることを精一杯頑張ろうとしているはずなのに、ものすごくストレスフルな雰囲気が家庭内に充満する、というパラドキシカルな状況に陥ってしまいます。

ここまで絵に描いたような典型的なパターンに陥ったわけではありませんが、我が家でもこうなりかかったこともあり、夫婦の性差に基づく意識の差についても、「そういうことはあるものだ」との認識をしっかり持つことって結構大切だと感じます。

なお、あれこれ情報収集に奔走する私に歯止めをかけたのは、妻の冷静な「息子君のことばかり考えるのは、やめましょう」というひとことでした。妻もそれなりに不安だったのでしょうし、確固とした根拠も無いものの「何とかなる」という直観を持っていたようです。そして実際に今の状況を考えてみると、当時想定していた最悪の状況よりははるかにマシなところまで持って来ることができており、当時のそういう何気ないやり取りが意外に後につながることを実感します。

もし、妻がこのような直観を持つことなく、かつ共感を強く求めるタイプであったら、今はどうなっていたのだろう? と考えてしまいます。

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