2014年11月 6日 (木)

(481) イヤな風潮

いきなりですが、日本は戦後もうすぐ70年が経とうとしています。この間、国民は曲がりなりにも戦禍に苦しむことも無く平和に過ごすことができています。波風が立たず、秩序が保たれた状態が長く続いている、と評価することもできます。

しかしながら、その過程でバブル崩壊後20年以上が経過し、景気の悪い時代が長く続き社会の隅々から余裕が失われてきました。しかも消費税は上がり、追加利上げも視野に入り、加えて既に年金の受給開始年齢は引き上げられています。今の若者は、景気が良いという経験をしたことがないのです。

他方でここ数年、パソコンが無くてもスマホから簡単にネットに接続できるようになり、情報を得られるようになりました。その裏腹で、出版不況が恒常化するようになっています。かつて、時間つぶしに文庫本を携えて行くことは普通にあった生活の知恵ですが、今では時間つぶしもスマホに取って替わられた感があります。結果として、深く物事を考える習慣が薄れ、コピペばかりで表現も独創性が失われ、一つの情報に皆が簡単に乗っかってしまう危険性があるように感じます。

以上に述べたことが直ちに原因だとまでは言えないものの、何らかの影響はあるだろうと思っていることとして、今の世相を覆う閉塞感・将来への不安感に対する直接的・刹那的な言動・行動が増えてきているのではないか、という受け止めがあり、そのこと自体がさらに先行きに対する不透明感を増大させるというイヤな風潮を生み出しているように感じています。

この風潮の中で、障害児の親としては、福祉というものの世間の印象が昨今かなり悪くなってきていることを危惧します。

本来、福祉とは自由(競争)主義を前提としつつも、その行き過ぎに対する修正を行うための原理として存在する概念で、個人の尊厳を守るための一手段として認識すべきものだと考えています。

生活保護の受給者に対する攻撃的・侮蔑的な言辞、盲導犬に対する卑劣な傷害、児童養護施設に対する浅薄なドラマ化、マタニティハラスメント、電車の中でのベビーカー論争、白杖に対する批判、等は、皆人を人として尊重するという基本的な考え方が、まだまだ社会に浸透していないことを示していると思います。

確かに、できるのにやらない人がいるならば、改善の余地があります。それはそれで取り組むべきだと私も思います。でも、できないことはやれないわけですし、できない人・弱い人に代わって、できる人がいてその人の負担がそれほど大きなものでもないならば、その人にやってもらうこと・負担してもらうことは合理的だと考えます。少なくとも、それほど悪しざまに言われることだとは、私は思いません。

昨今、已むに已まれぬ思いを乗り越えて救いの手を求めている人がいる、このことへの想像力が少なからぬ人から失われてしまっていることは、とても残念に思いますし、そもそも弱い人を叩くことは全く美しくありません。そのようなことをして、それで本当に溜飲が下がるのか、大いに疑問です。

朝の通勤電車の車内放送で流れる、人身災害による他路線の電車の遅延情報が日常になり、それを聞いても腹立ちしか感じなくなる人が増えるのは、とても寂しいことだと思うのです。

我々が目指した社会はこのようなものだったのか、今一度考えるべきだと感じています。

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