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2020年1月

2020年1月26日 (日)

(690) 生産性

昨今、生産性について考えることが多くなっています。

私がこの言葉を聞いて、思い浮かぶのは以下の言葉。

飛鳥尽きて良弓蔵れ、狡兎死して走狗烹らる。(ひちょうつきてりょうきゅうかくれこうとししてそうくにらる。)

意:捕まえる鳥がいなくなってしまえば、良い弓でも袋に仕舞われる。 俊敏なうさぎが死ねば、猟犬は不要になって煮て食われる。

紀元前の中国の歴史書、史記に出てくる言葉です。

乱暴に意訳すると、用が済んだらお払い箱、です。

軽く2000年以上前からあるこの言葉は、私たちにかなり示唆的ではないでしょうか。

生産性の無い者の存在価値を疑い社会から排除すれば、生産性の無い者のいない社会が一瞬はできます。でも、その世界はそれで平和でいられるでしょうか?

今度は、生産性の低い者がターゲットにならないでしょうか? そして生産性の低い者が排除されれば、次にどうなるでしょうか?

こういうことを考えた時、自分が排除されない側に回れるよう、立ち回ろうとする人も出てくるでしょう。そういう人が現れて自分よりも低いと目した他者を蹴落とそうと動き回るさまは、まさに修羅の世界、地獄絵図と呼ばずして何と表現すれば良いのでしょうか?

純粋な人類愛だけではなく、功利的な観点からも、人を生産性でその価値を測って排除することは、いずれ我が身に返ってくる点で下策。

私はそう考えます。

2020年1月12日 (日)

(689) 相模原障害者施設殺傷事件の公判開始と社会の反応について

標記事件の初公判が、2020年1月8日に行われました。

被告人が、自身の小指をかみ切ろうとする奇矯な振る舞いで退廷となる等、この先もすんなり進むのかが懸念されます。

ただ、今回の事件は被告人も起訴事実自体は争わないようです。2月19日に結審、3月16日に判決が予定されているとの報道がありました。

この事件に関し、ネット上では被告人の心情も理解できる旨のtweetやニュースコメントが散見され、それらについて「いいね!」ボタンを押す人が結構な数おられることに、驚いています。

また、事件の現場となった施設において、虐待が行われていたことも県の検証委員会で明らかとされた(「やまゆり園」で25人に虐待の疑い 神奈川県検証委、初会合後明らかに  - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200111/k00/00m/040/126000c )ことを根拠に、被告人の犯行もある部分やむを得なかったように受け止めているものもあり、それには唐突感を覚えています。

正直、全く理解できない のです。

障害者に手が掛かるのは否定できませんし、そういう経験が続けばネガティブな感情(苛立ち、嫌い、憎しみ等)を持つことも、否定しません。私も世間ズレした初老のオヤジであり、世の中に聖人君主ばかりいるわけではないことも分かっていますから、その気持ちを持つことは防げないと思います。

でも、だからといって、そのネガティブな感情は、殺人という形でしか解消できないものなのでしょうか? そういう人ばかりであれば、世の中は殺人者だらけになってしまいますが、現状でそういう傾向は見られません。

次に、施設側での虐待については、それが事実であれば管理者側が責められるべきであって、入所者はむしろ被害者なのに、そちらに加害が及んだことを理解・納得できる理由が全く分からないのです。

被告人が、障害者について意思疎通のとれない障害者は生きる価値がない」との思想を持ち、衆議院議長に手紙で「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界」を訴えた。これは、あくまでも本人の内心に留まる限り、やむなしだと考えます(同意はしませんが、内心の自由は唯一無制限な自由ですし)。

しかし、それを実行した時点で、犯罪者以外の何ものでもありません。犯罪者は法の定める手続に則り、裁きを受けてもらう、それしかありません。心情を理解というのも、犯罪後に「逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい」等という、自身の行為が本来は犯罪であることを十分認識して実行したこと、自分に対して超法規的な取り扱いがなされ、むしろ社会が英雄のように取り扱ってくれるとの妄想を持っていたことまで理解してしまえるものなのでしょうか? 

実は、「理解」という言葉の含む範囲が、単なる表象に留まるのか、認容まで含むのかで結論は変わり得ます。それでも、理解される方の論調には、認容まで含まれている印象があり、それは違うだろう、と強く思うのです。

むしろ、被告人がいみじくも指摘した「全人類が心の隅に隠した想い」という言葉。全人類ではないことは声を大にして申し上げ明確に否定するものですが、障害者に対する差別意識は、残念ながら確かに複数の人の心の隅には存在し、それがネット上で露呈していることに、障害者家族として慄然たる思いを禁じ得ません。

社会に余裕が失われれば失われるほど、他者への思いやり・多様性の受容が減っていく。これは、一筋縄ではいかない課題だと考えます。

2020年1月 5日 (日)

(688) 息子の年越しと今年の展望

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、割と穏やかな天候の中で年末年始がほぼ終わろうとしています。

息子は、乗り鉄をしに行った日が多かったです。

大晦日も、夕食を取ると一人出て行き、初日の出を見る列車に乗りに行きました。
元旦の10:20頃に帰ってきましたが…

原資は、お小遣いと学習時間に応じた手当の支給wと昼食代の節約によりねん出しており、改めて親が出すことはしておりません。

金銭面を除けば、親からはかなり独立していると思います。一人で計画を立て、実際に出歩き、食事も自分で調達し、LINEでの呼びかけに対して返信することもできています。少し寂しい気もしますが、男の子は本来そういうものなのだろうと思っています。

よって、これから親の出る幕は、勉強を手伝うことと、将来を考えることに絞られてきたと思います。

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