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2019年10月

2019年10月20日 (日)

(683) 第二の受容

児童相談所で子どもの障害告知を受けた時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。劣化することはありません。

その衝撃の大きさに打ちひしがれて、それでも我が子の障害を受容し、気を取り直して親子で療育に通い、今ではパッと見で単なる勉強のできない子になりましたw もちろん、見る人が見れば自閉症のこだわり因子を見つけられると思いますけど。

親としてはそれなりに努力した結果として現在に至っていますが、それでも何か一つくらい取り得があるだろう、そのうち何か芽を出すだろう、という気持ちが全くなかったかと言えば、そうではありません。うっすらと、「発達の偏りなのだから、強みを発揮する偏った部分というのもそのうち見えてくるのではないか」と思っていました。

しかしながら、世の中の健常者を基準とした仕組みの中での時間の流れは速く、その強みを見つけられないままに、もう高校卒業後のことを考えなければならなくなっています。こうなると、我が子の強みを見つけられないまま、時間切れを迎えることを甘受しなければなりません。

これも親が受容しなければならないことだと考えると、まさに第二の受容ではないかと思うのです。第一の受容は障害の受容、第二の受容は我が子に対する社会からの評価の受容、と言えるかも知れません。確かに第一の受容時に、我が子に障害があることを受容はしました。でも、それは家族内に収まるもので、親と子の関係という狭いものでありました。しかし第二の受容は、それをベースに社会から我が子がどう見られるのかについても、推測も含めて受け入れることとなります。

我が家の場合、息子を高卒後すぐに社会に出すのはまだ無理だと判断しています。さりとて大学や専門学校の選択肢についても、今の学力やこれまでの勉強面での傾向から判断すれば、それほど広くなるとは思えません。更に、その先については、高校からの進学先の過去実績からある程度推測できることを考えると、前途洋々とはなかなか言えないなあと感じます。それでも親は、この事実を受容しなければなりません。

これはこれで、踏み越えて行かなければならないことなのでしょう。現在進行形なので、まだ揺れはありますが…。

実は、意外と親のこういう気持ちについて取り上げたものって少ないと思っておりますので、敢えてさらけ出してみた次第です。

2019年10月17日 (木)

(682) 頭の良さ

今回は、発達障害に関わるお話ではありません。

皆さんは、一般に「頭が良い」という表現を聞いて、どのようなことを思い浮かべるでしょうか?

恐らく、「勉強ができる」とか「求められていることを的確に把握して反応できる」という答えが返ってくるものと思います。私も、これに対しては同意です。

ただ、最近ちょっと違うんじゃないかなと思う部分があります。

確かに人間の理解力・表現力は人によって差があります。でも、その差を生み出す原因って何だろうと考えると、実は好奇心と集中力なのではないかと思うのです。言い換えると、好奇心を持って集中力を持続できることで、ものごとを解決できる、それを頭が良いと表現しているのだ、ということです。

何にでも興味関心を持って、自分の頭で理解するまで粘り強く試行錯誤するというのも能力であって、誰にでもできることではありません。それでも、よくわからない課題を出された時に、すぐに諦めてしまわずにわかるまで取り組む人は一定程度いて、そういう人は勉強にも同じように取り組むでしょうから、当然勉強ができるようになります。

また、何にでも興味を持って取り組む好奇心があれば、さまざまなものについても一通り手を出してみるでしょうし、その結果として得られた経験値は、何かを求められた時に比較対照することができますから、結果的に求められている正解に早く近づけるようになります。

実は、今のシーズンでは多くの中学や高校で学園祭が行われています。「頭が良い」と言われる学校の学園祭での展示は、そうでない学校のものと比較すると、完成度も高く、かつ大人が見ても面白いものが多いです。それは、頭が良いという評価とは別に、単に彼らが興味関心を持って納得いくまで集中して取り組んだ成果を展示しているからではないか、と思うのです。

ひらめきを大切にする人を否定するつもりはありませんが、やはり多くの場合は目の前のことに興味を持って集中的に取り組んだことにより、次のステップが見えてくることが多い、と私は思います。

頭の良さを単に持って生まれたものとして「あの人は頭が良いから」で終わらせるとそこで思考が止まってしまいますが、このような見方をすることで、例えば我が子に足りないのは好奇心なのか集中力なのかという分解ができます。そうすることで、どちらでつまづいているのかを把握でき、補う取り組みができるようになると考えています。

2019年10月 6日 (日)

(681) 妹の体育大会

今回は、発達障害系のお話ではありません。

昨日、娘の通う中学校の体育大会が開催されました。

その数日前、一応息子に参観意向があるかを確認したものの、予想されたごとく「僕は行かない」と却下されたので、妻と一緒に見に行きました。

晴れて季節外れの暑さの中、娘たちは最後まで頑張っていました。しかし、中学生になると小学校にはあった生徒用の日よけテントがなく、この環境はいくら若くて元気だとしても、かなり厳しいと思いました。もっとも父兄席もそういうものが用意されているわけではないのですが、こちら側は木が生えていて、木陰から見られるようになっていたので、娘たちには申し訳なかったな、と思います。

娘は背も中くらいで、更に父兄席からは遠い側にいることが多かったので、同じ服装の似たような背格好の子がワラワラといる中でどこにいるのかの把握はかなり難しく、写真を撮るのには往生しました。それでも、息子に鍛えられた私たちは、集団の中で目立たない、分からないというのは良いことであるという少数派の認識を持っていて、それを喜びと感じ前向きに受け止められるようになっています。

今回見に行って気付いたこととして、競走系種目にも、一目で身体障害があると分かる子も他の子と一緒に走っていました。当然、大きな差が付くのですが、見ている人も温かく声援を送り、本人も頑張って無事に完走していました。反対意見もあるでしょうが、こういうのって何か良いな、と私は思いました。

なお、全ての競技が終わった後で、娘の組は残念ながら負けました。実は、娘は小学校から通算すると6連敗というなかなかシビアな状況であり、娘は「64分の1の確率なのに…」と嘆いていました。

普段は快活な娘がこのことに意外とコンプレックスを感じていて、そういう娘を見るのは親としてもちょっと辛いものがあります。来年こそ勝って連敗脱出することを期待しております。

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