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2019年9月

2019年9月28日 (土)

(680) 文化祭

息子の高校の文化祭に行ってきました。

私が高校の息子の居場所にたどり着いた時、息子はちょうど展示品の並びを微調整していました。

この種の作業は、空間認知にこだわりのある息子にも向いていると思いました。

近付いて話しかけても、特に表情も変えず家にいるのと大差ないリアクションの小ささに少しがっかりですが、それでも、息子も見に来てくれたことは喜んでいたと思います(そう信じたいです)。

よくよく話をすると、展示品については息子が担当というわけではなく、クラブのメンバーで時間ごとに分担を決めていて、その時息子分はオフだったそうですが、気が付いたからやっているとのことで、好きなこととは言え役割を超えて自発的に動くことができているのだな、という点に成長を感じました。

発達障害の特性で、自分が原因じゃないと言ってやらないことがありがち(端的にはドアを開けたのは自分じゃないから、閉めない等)なのですが、そういう点が薄まってきているのかも知れません。

あまり親が居座ると息子も見張られているようで居心地が悪いと思い、私は廊下に出ました。そこから遠巻きに様子を見ていると、クラブの人の話しかけにも素直に応じて何やら答えていたので、チャンと溶け込んでいることを知り、嬉しく思いました。

中学の時に比べると、積極的に学校活動に参加しているように感じます。親としては一安心でした。

文化祭は学校での様子が良く出ます。これから受験される方でその学校のナマの姿を知りたい場合は、是非足を運ばれることをお勧めします。

2019年9月16日 (月)

(679) 高機能児の将来を考える

「高機能」という言葉、一般用語ではそのまま「高い機能」を意味し、ハイスペックなものを指します。並より上のものとなります。

しかし自閉症界隈では、「知的障害がない」ことを意味します。見方を変えると、普通の知能でも自閉症界隈では高機能と表現されるのです。

これは、自閉症児の研究の歴史が、知的障害のある子からスタートしたことによります。言い換えると、自閉症、という言葉には知的障害があることも含んでしまっていたのですが、その後、通常或いは通常以上の知的能力を持つ子もいることが分かり、そういう子たちについては、高機能という冠をつけて区別した、という背景があります。

もちろん、通常以上の高い知能指数を示す子であっても、同じ高機能に分類されます。超高機能とは言いません。

このことは、世の中での受け止めと乖離があるように思います。

知的障害があることを前提とされるにはそれなりのわけがあります。高機能と表現される普通の知能を持つ自閉症児は、かなり少数派であり、通常以上の知能を持つ自閉症児は、更に少数となります。

ただ、一般の人の高機能の意味は自閉症界隈とは異なりますから、すごい能力を持っている人、という目で見てきます。実際、そういう子もいて、時に彼らがセンセーショナルな取り上げられ方をしてしまい、誤解に拍車がかかることがあります。

でも、それは「高機能自閉症児」の全体像を表してはいませんし、代表ポイントでもありません。

通常の知的能力の高機能自閉症の子は、言語も獲得している場合が多く、成長するにつれてパニックやこだわりも減ってきます。コミュニケーションもパターン化して覚えたりする等して何とかできるようになると、親が特に強く希望しない限りは普通の学校に進み、就労も一般就労になりがちとなります。というよりも、精神障害者保健福祉手帳を取得しない限り、障害者就労を選択することはできず、一般就労せざるを得なくなります。

まさに「普通の人生」を歩むこととなるのですが、自閉症の特性が全くなくなるわけではありません。また、昨今普通の人間が普通の生活を維持することも容易いことではなくなっていますから、知的障害のない健常児であってもつまづくことはあり得ます。そういう世相の中で、何かの折に自閉症由来の特性が顔を出して、周囲から浮いてしまう、仕事に支障が生じてしまうようなことがあると、場合によっては職を失うこと、或いは本人が就労意欲を喪失して周囲から言われる前に自ら退職を選んでしまうこと、更にそれを契機にうつなど心の病になることもあり得るのです。

なお、そういう状況に陥って初めて医師にかかって自分が自閉スペクトラム症だと診断される場合もあり、これはいわゆる大人の発達障害と呼ばれるようになっています。

親は、このようなリスクが決して低くないことを念頭に置かなければ高機能児のサポートはできないと思われますし、リスクの発現を早期かつ的確につかむためには、日頃から本人の様子を観察し続ける必要があります。仕事の内容は本人の成長により変わりますし、本人・同僚・上司のいずれも異動のあり得る職場ならば、その誰かの異動によって環境は変わりますから、最初たまたまうまく行ったとしても、それが継続するとは限りませんし。

そんなことを考えるようになったのは、息子も高校生であり、就労する日がそう遠くないことを意識するようになったからです。無事に就労できるか、できてもそれが継続できるか、最終的に親の助けがほとんどなくても何とかやっていけるか、を考えると遥かなる道のりのように感じています。それでも、千里の道も一歩からだと割り切って、遠くのことをうっすらと思いながらも目の前の課題を一つずつ解決していくしかないだろうな、と感じています。

2019年9月 7日 (土)

(678)お医者さんにできること

お医者さんは、「医療における総合プロデューサーである」という見方を、もっとされるべきだろうと思います。

医療行為における責任者であり、診断を下し、関係する医療スタッフに指示を出し、薬を処方する。もちろん、その指示や処方は適当な思い付きではなく、過去の医学的知見に基づくものです。また、一部は自ら実施することもあります。これがお医者さんにできることです。

よって、難病とされるもの、予後がよくないとされるものについては、医学的知見として治療につながるものが見つかっていないわけで、そうなるとお医者さんができることは限られてしまいます。

ただ、この仕組みを理解していることって大事で、お医者さんが治せない時にその個人が医者として治せないのか、医学的に見てどの医者であっても治せないのか、を区分する必要があると思います。

個人として治せないのであれば、それは他の治せる医者に行くという選択肢はあり得ます。しかし、医学的に治せないものは、他に治せる医者はいないのです。

後者の場合、治せないことをもって医療に絶望し、医学的に未検証なものに手を出すことが往々にして起きますし、気持ちが収まらないのであれば、それはやむを得ません。それでも、こういう事実を踏まえ、かつお医者さんたちも現状で良いと思っているわけではないことを認識したうえで、本当にそれに手を出すべきかをよくよく考える必要はあると思います。医学的に未検証なものを宣伝する人で、うまく行かなかった時に責任を取った例って聞いたことがありませんから。

お医者さんが誠実であればあるほど、治せないことを率直にお話されるでしょう。それは、歯を食いしばってもキチンと受け止めるべきだと、私は考えます。

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