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2018年12月

2018年12月30日 (日)

(660) この一年

今年最後の記事となります。

更新頻度は、明らかに下がっています。それでも今年37本目、一年間は52週ですから、2週間に1回以上、10日に1回は更新していることになります。

頻度が下がった理由として、息子が受験生になって親も学校見学や入試説明会等に行かなければならなくなったこと、私の母の介護対応で家を空けることが増えたこと、そして、現状で成績が余り芳しくないことを除いては、それほど困ったことが無くなっている(でも、これはこれで問題なのですけど)ことが挙げられます。

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2018年12月25日 (火)

(659) サンタクロース

今回の三連休は、私の母の介護対応もあって、私が家にいたのは、一日目の午前までと三日目の午後以降となってしまいました。

私が帰宅すると、娘は既にクリスマスプレゼントで嬉しそうに遊んでいました。

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2018年12月14日 (金)

(658) 障害の受容時の心の痛み

我が子の発達障害の受容について考える時に、私はどうしても遠藤周作の『沈黙』のクライマックス部分を思い浮かべてしまいます。そのクライマックス部分とは

「夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。」

というくだり(出典「Wikipedia」)。

我が子の障害を受け入れることは、親である私たちにとっても、かなりの重大事です。私たちのこれまでの生きざまからの決別、これまで築いてきた実績の放棄、これまであたり前だと信じてきた未来像の瓦解にもつながることです。軽々に受け入れることはできません。理屈では分かっていて、そうしようとしても、心にかなりの痛みが伝わってくることなのです。

我々が我が子の障害の受容に直面した時、残念ながら『沈黙』のようにイエスが話しかけてくれることはありません。全く孤独な作業となります。

誰も理解をしてくれないという孤独感、そこから派生する絶望感は、私も分からないわけではありません。その痛みは重く強く私たちにのしかかってきます。

ただ、障害を持つ子の親は、自分たちが初めてではなく、そういう辛い場面を乗り越えて先人たちも生きてきたということ、だから自分は孤独ではないことを、後から来る親たちにも知ってもらいたい、とは思いますし、その努力はこれからもやっていきたいと思います。

2018年12月 8日 (土)

(657) 就労の誤解

就労には、一般と福祉がある。

では、障害者枠での就労は、どちらに属するでしょうか?

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