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2017年10月

2017年10月28日 (土)

(617) メデュース号の筏

皆さんは、「メデュース号の筏」という絵をご存知でしょうか。

私は、中学校の美術の時間で習いました。この絵からは、人間の性と劫を強く感じられます。

生への欲求、具体的には、生きるためには何でもやる、絶対にあちら(死者)の側に行きたくないという思いを実際の事件を基に見事に芸術として昇華した傑作だと思います。

今、発達障害のある子を育てる立場になって改めてこの絵を見ると、やはり発達障害の世界に身を置き子を育てる親それぞれの思いに無意識に当てはめてしまって、人間はどのような状況でも変わらないなあ、との思いを禁じえません。

健常児にしたいという欲求、健常児にするためには未検証、すなわちエビデンスのない療法や風説に従って何でもやる、自分は健常児にするために努力する気力を失ったダメな親の側には行きたくないという思い、と比定して書き換えてみたら、見事に相似的関係になることに気付きます。

人間の性というものは、原罪的に避けられないものだとは理解します。でも、やはりこのように一歩引いてみたら、どう見ても美しくないことは明らかです。しかも、発達障害については、エビデンスがない療法が本当に奏功したのかについて、やはり検証がなされていない以上わからない、ということになります。それで良いのでしょうか。

得体の知れないものに縋らない勇気。当たり前だと笑える人ばかりではありません。ご用心、ご用心。

2017年10月21日 (土)

(616) 最近感じていること

今回は、発達障害とは内容が外れています。

元々何となく感じていて、先般の高速道路煽り停車による死亡事件で「ああそういうことか」と気付いたのですが、人間の成功は、努力できる才能と、我慢できる才能の2つで決まるのではないか、と。

元々の知能の高さとそれによる理解力の高低も全くないわけではありません。それでも、興味を持ったことを探求して自分の能力にまで高められる才能と、その過程で蓄積する疲労を甘受し、ほかのもっと平易に手に入れられる享楽に釣られない才能を持っているか否か、でその人の人生の大きな方向性、幸せの量が決まるのではないか、と思っています。

人間、そもそも努力できなければ、身につく能力もおのずと知れてしまいます。そして、不快に対する耐性が低いと、身につける能力の量と質が更に下がります。また、それに加えて、我慢できないことにより何かきっかけがあれば、他者への攻撃性も増すこととなります。

努力でき、我慢できる人は、そういう子が集まる学校に行ってそれが当たり前になるとともに、その才能を更に広げていきます。そうでない人は、努力や我慢ができない人が集まる学校に行って、お互いに傷を舐め合うか、不満をぶつけ合うサバイバル生活に陥ります。

それが社会に出たらどうなるか…火を見るよりも明らかですよね。

しかも、努力できる側の問題として、彼らは出来ない側と幼い時に別れて交わらずに育つことが増えています(少なくとも、首都圏ではそうですよね)。仲間意識のない両者が、社会の中で共存(正確には、社会的地位による支配と服従)するのって、お互いにものすごくストレスフルになります。

かつて、一億総中流と言っていた頃とは、明らかに時代が変わっていて、お互い様意識が薄れ、双方が分断されてきていることを、もっと真摯に受け止めなければならないと思います。

お互いに相手が全く別の世界の「連中」で、特にできない側がやむなく従うしかないという関係性の認識に至った時、自分が守るべきものの小ささと自らの不満への我慢能力の低下が背景にある時、何かの機会があれば簡単に火を噴くこともあろうと思うのです。

今までの一億総中流意識の残滓として忘れがちになっていますが、治安はタダではありません。固定化しつつある社会的地位、非正規雇用による生活不安、貧富の差の拡大、が強まれば強まるほど、下側に行った人の今の社会に対する不満も高まることは必至です。

私も、グローバル化、規制緩和、自由競争は本来あるべき姿だと思っていますが、その実現に向けて発生するこれらのリスクというのは確かにあって、それに対し何ら対処をしないのは、国民の幸せの総量が下がる。そう思っています。

2017年10月12日 (木)

(615) 最近の疑念

息子が通う中学校における定期テストも終わりました。

ボチボチその結果も返ってくると思います。

息子は、先の三連休を利用して、お座敷列車に乗りに行ってきたとのこと。

息子がお座敷列車に乗ったのは、これが初めてではありません。ですので、私が「一緒に乗った人に話しかけられたりしないのか?」と質問したところ、

「あまり話しかけられたりしない」との答えが返ってきました。

旅の楽しみはおいしいものとの出会いと人とのふれあい、と思っている私には理解不能なところではあるのですが、戻ってきた息子は、それなりに満足しているようです。

ここのところ、特筆すべきこともない、ありきたりの日常生活を送っています。

そういう日を望んでいながら、いざそうなると「これで良かったのだろうか?」との思いが頭をもたげます。

発達障害児育児は、普通を志向するものになることが多いと思います。でも、いざそれがそこそこ実現した時に去来するくすぶり感をどうするのか、が最近の懸念事項であるとともに今後のテーマだなと感じています。

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