« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »

2017年9月

2017年9月30日 (土)

(614) 教育の理念

当家では、息子だけでなく妹も受験のための準備も始めています。来年度、兄妹がそれぞれ高校・中学を受験することになります。

高校受験は義務教育ではありませんから、あまり違和感は無いと思います。首都圏以外の大多数の地方では、普通に行われることですし。

でも、中学受験については、義務教育でもありいろいろなご意見もあるでしょう。ただ、親としてはどちらでも良いと妹には伝え、妹が地元の公立校には行きたくないと言っていることから、わが家では受験する方向で進んでいる、ということです。

続きを読む "(614) 教育の理念" »

2017年9月24日 (日)

(613) テスト前

息子の学校では、来週に定期テストが行われるようです。

妻が、テスト範囲を把握して、課題を出してやらせているのですが…

ちょっと目を離すと手が止まっているdespair

…ことが多々あるようで、困っています。とりあえず、学習をしなければならないことは理解しているのですけれど、集中力というものが基本的に弱いんですねぇ。

しょうがないから、妻が脇について見ていると、そこそこ進むようですけれど。

同じような話は、補習塾の先生からも聞いていて、「課題に取り掛かってしばらく経つと、ぼうっとしている」けれど、「席の近くを通ったり、目が合うとまた始める」らしいです。

何とか学習習慣が身についてきたので、次は集中力だなあと思っています。

2017年9月10日 (日)

(613) 軽度・重度

発達障害に関わる言葉として、「軽度発達障害」は耳にすることがありますが、「重度発達障害」は聞いたことがありません。

では、「重度」という言葉が遣われることがないのかというと、そうではありません。「重度知的障害を伴う」自閉症、というような遣われ方をします。

これは、よく考えると軽度と重度が非対称になっていることに気付きます。つまり、所謂「自閉症」に関わる部分と「知的能力」に関わる部分について、軽度の場合は(知的にはあまり問題ないけれど)自閉的な部分がある、と自閉的に注目がなされているのに対し、重度の場合は、知的能力そのものに注目がなされている、ということです。

そもそも自閉的な部分が重度の場合、人とのコミュニケーションに大きな弱みがあることは想像に難くありません。この場合、検査を行っても、そこで指示を受けた内容を理解できず、また理解できてもその通りに動く意欲が高いとも思えず、迅速的確に対応することは困難です。その結果として、知的能力についての評価も低くなりがち、ということは十分に起こり得ます。

ゆえに重度の場合、自閉的な部分と知的能力を厳密に分ける実益に乏しいという理解も成り立ちます。なぜなら、純粋に知的能力だけを取り出して評価されることは難しいからです。このことが「重度発達障害」という言葉が世に存在しない理由になっているのかも知れない、とは思います。

この点について、発想を変えると重度とされている人でも、情報のインプットを工夫すれば指示内容を理解できやすくなって、今まで以上のパフォーマンスを発揮できる可能性がある、という推測も成り立ち得ます。

発達障害については、この「あたり前に思われがちだけど、実は詰めて受け止められていない」構造が理解されていない実態があり、この実態についてはより意識される必要があると感じています。なぜなら、このことが発達障害者の就労・社会進出についても、多くの困難を招来してしまう大きな要因になっていると考えるからです。

具体的には、軽度の人は、なまじ中途半端に意思疎通ができてしまうために、支持者は全てを当然理解できると思い込みがちです。このことが、結果として不出来だった時の軽度発達障害者への評価を不必要に低く下げてしまうことにもつながっていると認識しており、この点についての社会の理解度を上げていくことが、不可欠であろうと思います。

「これくらいは言わなくても」と「分かるように言って欲しい」のギャップを意識し、埋めることを不断に行うことが、お互いの不幸を避けるために大切でしょうから。

2017年9月 3日 (日)

(612) 失敗に学ぶ

発達障害の子は、他者の行動を見て自分の行動にうまく取り入れることが苦手です。

よく言われることは、「動作を模倣することが苦手」であり、加えて見ただけでその動作を身に定着させることなどは更に苦手なこととなります。

これは、脳内の認知能力からくるものであって、本人の努力による克服は限界があります。でも、このことって、意外と理解されにくいことが多いです。

ですから、料理人の世界に顕著な「仕事は教わるものじゃない。見て覚えるんだ」、「技術は目で盗め」は、発達障害者にとってはまず無理な理屈となります。

他人の行動を客観視し、自分が同様に振舞うためには何をどうすれば良いか、更にそれを身に着けたらどうなるか、を推測しにくいことが原因となっていることから考えると、失敗経験から学ぶことはかなり困難であることは、容易に推測ができると思います。

最近、ちょっとブームが沈静化した感がありますが、少し前に失敗学が一世を風靡したことがありました。過去の失敗例を参考に、何が本質的な原因であるのか、それがどのように良くなかったのか、更に今後どうすれば良いかを考えることは、自分も有益なことだと感じています。でも、これは、明らかに健常者でなければできないことであって、発達障害者にはものすごくハードルが高いことだと思います。

何度も失敗してでも身に付けることができるのなら良いのですが、そこにたどり着くよりも前に意気消沈してやる気を根こそぎ奪われてしまう可能性の方が遥かに高いことを考えれば、やみくもにやらせて失敗させるよりも、正しい方法をキチンと最初に教える方が、発達障害者の学びにとって遥かに有益だと思います。

失敗に学ぶことができるのも、一つの能力と問われるべきでしょう。ですから、全ての人ができることではないと考えるべきもの。そう理解しています。

« 2017年8月 | トップページ | 2017年10月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ