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2017年9月30日 (土)

(614) 教育の理念

当家では、息子だけでなく妹も受験のための準備も始めています。来年度、兄妹がそれぞれ高校・中学を受験することになります。

高校受験は義務教育ではありませんから、あまり違和感は無いと思います。首都圏以外の大多数の地方では、普通に行われることですし。

でも、中学受験については、義務教育でもありいろいろなご意見もあるでしょう。ただ、親としてはどちらでも良いと妹には伝え、妹が地元の公立校には行きたくないと言っていることから、わが家では受験する方向で進んでいる、ということです。

この受験について考えていくうちに、ある事実に気付きました。すなわち、中学受験を経て入学する中学のそれぞれが持っている「建学の精神」や「学園の理念」等は、よく読むと極めて上から目線で書かれており、子どもの個性に着目していない、ということです。

具体的には「〇〇ができる子」、「△△が身についた子」を育成、養成していきたい、というスタンスなんですよね。でもこれは、「〇〇ができるように教育していく」「△△が身につくよう指導していく」ということに他ならず、要は「自分たちが良いと思った価値観に従って 入学した子を染め上げていく」と言っているのに等しいと思うのです。

「何を言っているのだ」、「皆が良いと思っていることを、子どもに身につけさせて何が悪いのか?」というご批判はあるでしょう。それは、ごもっともだと思います。

でも、これが発達障害児育児の場であったらどうでしょう。恐らく「画一的な教育では子どものためにならない。子どもの個性を大切に」、「その子の良いところを伸ばし、良くないところを減らす教育を」と言い出すはずです。教育者の理想など、アウトオブ眼中だと思うのです。

この差って、何なのでしょうか。これについて私なりに思いつくのは、「子どもの能力をできるだけ高めたい」という親の意向はどちらでも同じで大差がないということ。一方で、発達障害の子の教育環境については、あくまでも子どもの側の興味・関心・意欲に合わせたアラカルトが最適だと思われる一方、健常の子の教育環境については、必勝パターンのコース料理が望まれる、ということになるのではないか、と思うのです。

大多数の子の教育において経験から積み上げられた必勝パターンは、一定程度普遍性もありますし、それに適応しなじむことができる健常の子は、それに則ることで個々人の能力も伸ばすことができ、伸ばした能力を基により良い人生を歩めるのでしょう。それを期待して、親もお受験させるのだと思います。

でも、発達障害の子の教育では、個々のニーズに合わせた組み合わせ、まさにアラカルトが必要になる、ということだと理解しています。

本来、教育においては個々のニーズにできるだけ応じることが大切なはずなのですが、成果の出やすい必勝コース料理パターンの方が一般的に選ばれてしまっていて、その経験を経て社会に出る子が世の多数派を占めている。

このことは、もっと意識されるべきだと思います。

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