« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年2月

2017年2月25日 (土)

(593) 発達障害と主治医

発達障害は、持って生まれたもので、かつ今の医学では治らないとされています。従って、絶対に医師に診てもらわなければならないものでも、診てもらえば治るというものでもありません。

しかしながら、医師の診断を受けることで初めて診断名を得ることができ、それを基に例えば障害者手帳の取得ができる等、手続きを進められるようになります。

ただ、児童精神科医の数は少なく、どこの市町村にも普通にいるものではありません。たまに無医村がマスコミ等で問題として取り上げられることがありますが、児童精神科医については、無医市町村の方が遥かに多い一方、それを取り上げられることはありません。

昨今、発達障害に注目が集まるに連れて、診察を申し込んでも中々診てもらえない状態だと言われます。たまに新患を受け付けると、あっという間にそれも満杯になる、というお話を、息子の主治医から伺ったことがあります。

一方で、最初の診断の時から、成長過程の折々で相談できる主治医の存在は、やはり必要なものだと感じています。従って、今の状況は改善すべきことだと考えます。どうすれば、或いはどうなれば児童精神科医が増えてくれるのでしょうか。

他の診療科だと、実際に診てもらう時間は数分のことが多い一方で、児童精神科に息子を連れて行った時に数分で済むことは、経験上ありません。それで、窓口での支払額が時間数に見合って高額になるのかというと、そうでもありません。これって、診療科を選ぶ時にインセンティブが働きませんよね。

しかも、現状では治らない。主「治」医という表現の妥当性が問われる中で、医師としてのやりがい、モチベーションがどうなのか、ということも影響するだろうと思います。達成感が得にくいでしょうし。

それでも、敢えて児童精神科を選んで頂いた医師には、もっと感謝した方が良いのかも、と思っています。

2017年2月19日 (日)

(592) 放置できるのも能力

学校で、誰にも構わずに居られる人って意外に少ないですよね。

元々、子どもは好奇心が旺盛ですし、加えて集団行動を徹底しようとする学校側の教育によって、人と違う奇異な行動をすると途端に周りから一斉射撃を食らうことになりがちです。

このパターンが習い性になってしまうと、口さがない世間一般の人間のできあがりとなってしまいます。人の個性を個性として認め、尊重できる人間って元々の人間性の根本に確固たるものがないと、長じるに従ってそうではいられなくなるように感じます。

変わった子に対し「へえ、そうなんだ」「まあ、いいや」と流せる人が多いと、発達障害の子は生きやすくなります。

でも、今の学校では、そういう放置能力を養うような教育がなされていないんですよね。この点、海外の方が、多様性を認めることが多くあって、素直にうらやましいと感じます。

2017年2月13日 (月)

(591) コミュニケーション全盛の時代に

今の世の中では、コミュニケーションが下手な人は「コミュ障」とまで言われて、蔑まれることとなってしまっています。

ネットスラングとはいえ、こういうダメ出しはいかがなものかと思います。

ただ、メール、掲示板、twitter、Facebook、ライン等、コミュニケーションツールは充実するばかりなのに、それがうまくできない人、うまくできているつもりで足元をすくわれる人が後を絶ちません。最悪、殺人事件にまで巻き込まれてしまう人もいます。それでもなお、人との繋がりを求める人が引きも切らない状況というのが一方であって、これをどう評価すれば良いのでしょうか。

繋がっていることって、それほど価値を置くべきことなのでしょうか。それを確認し続けたりその数を競うことに、意味なんてない。私はそう思っています。必要だと声を上げた人に、手を差し伸べればそれで良いのではないでしょうか。でも、繋がっている事実に重きを置く人って、多いんですよね。

こういう世相の中では、人との関わりにハンディキャップがある発達障害系の人たちは、ただ立ちすくむばかりとならざるを得ません。ジッと堪えていくのが男の修行とは言われるものの、これはかなりつらいことでしょう。人と繋がれないことのみならず、マイノリティの悲哀も味わうこととなる可能性が高く、親としては忸怩たる思いを禁じ得ません。

でも、レコードやカセットテープが「味がある」とされて、若干復権してきているように、心ならずも孤高であり続ける彼らにも、もしかしたら日が当たる時が来るのではないか、と思うのです。

確率としては、かなり低いかも知れません。でも、メインストリームとはならなくても、そういう生き方を認められ、猫額の狭さであっても居場所を持てるようになるならば、それはとても素晴らしいことだと感じますし、それならそれでも良い、と思っています。

完全に平等などそもそも無理なことだと達観すれば、ニッチな生き方を許容するくらいの裕度を求める方向もアリだ、と考えるのは楽観に過ぎるでしょうか。

2017年2月 5日 (日)

(590) 女子力の低さ

我が家には、健常の娘がいます。

しかしながら、小学校でも学年が上がってくるに従って、健常ではあるのだけど、ちょっと…と感じられることが散見されるようになってきました。

続きを読む "(590) 女子力の低さ" »

« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ