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2017年1月21日 (土)

(588) 障害者のマネを考える

まだ就任前のこととはいえ、「障害者のマネをした」と非難されているトランプ大統領。

彼に対する批判は、今回の趣旨ではありません。

もちろん、褒めたたえるようなことではないのですが、障害者側の思いを考えた時に、ちょっと複雑な心境になります。

自分がこれまでの人生で関わりを持った障害者の方を見ていると、彼らが「真に対等な付き合い」を渇望していることを、強く感じます。

ただ、例えばトランプ大統領を批判している方々が、普段から障害のある方とそういう付き合いをできているか、そうなるように接しているか、ということについて、必ずしもそうじゃないのではないか、との大きな懐疑を抱いてしまうのです。

もちろん、あからさまな差別的言動をする人はさすがにいないでしょう。でも、教条的な立場でしか言わない人、或いは、妙に腫れ物に触るかのような緊張感をもって接する人って少なからずいるのではないかと思うのです。

私自身、障害児を育てていて、障害者に対する心構えは世間一般の人よりはできているつもりですが、やはり意識が先行してしまう、言い換えると自然体からは程遠いことは自覚しています。

そういう心の内については、障害者の方も鋭敏に感じ取ることが多く、一番辛いのは「そういうのが面倒だから関わらないようにしよう」という態度を示されることだと聞いたことがあります。そうなると、例え自分を低く見ている人であっても、自分に構ってくれる人の方がまだマシだ、という思考を持つこともあるようです。

また、親の側でも同様な思いを持つことがあります。障害のあるわが子と、何とか遊んでもらおうと、家にゲームをそろえたり、普通の家では絶対出されない量と質のお菓子をおやつとして振舞ったりすることがあります。実際に障害のあるわが子と関わることが少なくても、来てくれるだけでもありがたい、という気持ちからの行動なのは、痛いほどわかるのですが。

人が人を求める気持ち。障害者もその親もそれぞれの置かれた現状の中でもがき、それを表現し、数少ない或いは満たされぬ思いを伴うリターンを受け入れることって本当に人間の性というか業という他なく、ただただ深い哀しみを覚えます。

大統領という立場の人であることを考えれば、今回の件は問題外だという言い方もできるでしょう。でも、障害者の側にはそういう哀しみを背景に抱えている人がいることを踏まえると、私たちの意識とふるまいにも再度自問が必要なことなのではないかと思います。

「汝らのうち、罪なき者、まず石をなげうて」と言われた時に、自分はどうでしょうか。

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