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2016年11月12日 (土)

(578) 不登校について(2)

不登校となる子は、規律但しさ、集団行動、個を犠牲にするという点では確かに普通の子に比べて劣ると思います。でも、その評価が万能で、今後もそれを以てすべてヨシとできるのか、については大いに疑問がわきます。

今までの学校教育は、戦後復興から高度成長期には見事な適応を見せ、そのおかげで社会は急速に進歩してきました。でも、バブル崩壊後の長い不況の時期を経て、今一度行動成長期のようなことが起こるのかを考えれば、明らかに無理があります。つまり、教育制度も、今までのやり方を墨守するだけでは、大人になって社会に巣立った時に役に立つ人材の供給につながらなくなってきていると思うのです。

これまでの日本のコアの労働力となってきた、「中の上」の頑張り屋さんだけでは、不透明な先行きを見通すことも、乗り越えることも難しくなってきています。私は、パラダイムシフトを起こすような異能を探し、育てなければならない時代となってきたと受け止めています。

少なくとも、これまではおざなりの対応しかなされず、未活用のままで済まされてきた不登校者の活用について、今一度対応を考えるべき時に来ていると思うのです。人類の進歩の過程で、淘汰されることなく一定程度必ず生まれてきている彼らには、何らかの役割があると思った方が自然であり、学校に行かない=ダメな奴ではなく、それでも学べる方法を整備し、その独特の感性や視点から生み出されるもの、それが何かは私も凡人ゆえにわかりませんが、その独創に期待すべきだと思うのです。

もちろん、その全てがパラダイムシフトを起こすような大きなものばかりではないのは承知しており、この発想自体が楽観過ぎかもしれません。でも、「じゃあ他に何かあるのか?」と問われたら、何もないのも事実であり、少なくともその成果を見定めることをしても良いのではないでしょうか。

ブラック企業、過労死とも今の仕組みが限界にきていることを示しており、今の仕組みを変えるための試みは、無駄にはならない。私はそう考えます。

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