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2016年11月 5日 (土)

(577) 不登校について(1)

幸い、まだ息子は不登校にはなっていません。

その危機は少なからずありました。でも、その都度息子に対して説得を行い何とか気持ちを変えさせることができ、これまでは何とか学校には通い続けています。もっとも、そういうやり取りをする時期を過ぎたのでしょうか、最近ではそこまでクリティカルな状況に陥ったことはないです。

我が身を振り返ってみると、私が中学生の頃の学校観は、ものすごくシンプルでした。

学校は「行くところ」、「行かなければならないところ」

であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。ですから、そのことについてアレコレ考えることもなく、その必要もありませんでした。

ただ、大人になって考えてみると、単純に「行けばよい」、或いは学校に「行きさえすれば問題解決」なのかというと、それは違うと思います。

そもそも、何で不登校という問題が起こるのでしょう。

言うまでもないことですが、学校に行きたくないという気持ちが子供の中で大きくなって、抑えきれなくなった時に、不登校という事態が発生するのだと仮定するならば、更に「学校に行きたくない」という気持ちが沸き起こる要因は何だろう、という話になると思います。

大まかには友達関係、先生との関係、難しくなる授業内容等が思い浮かびます。それぞれ該当し得るとは思うのですが、意外とこれ以外の「特にどうといえるところはないのだけど、雰囲気が合わない、なじめない」が、不登校の理由になっている子も少なくないと聞いたことがあります。

何回か申し上げてきましたが、日本の学校制度は富国強兵政策と密接に絡む構造となっており、制度の端々に軍隊(並み)の規律正しさ、集団行動、個を犠牲にして全体の利益の追求という側面が表れています。そこに耐えられない、なじめない子が一定の割合で存在している、というところから議論を始める必要があると思うのです。

徴兵制を逆の面からみれば、多数の国民を兵隊にし得るようにしなければならないということですから、特殊異能の集団を想定したつくりではない、ということはご理解頂けると思います。大多数の国民がついてこれる内容やレベルを保持している必要がある一方、その場合の費用やかけられる手間暇は極小であることも想定していると思います。

そして、そのような仕組みができるのであれば、その制度は教育の現場でも適用できるということになります。日本において学校と軍隊の構造が似ていると思うのは、この効率重視の点であり、学校で不適応をきたす少数者については、構っている余裕がないということで、おざなりの対応で済まされてきた、というのが私の認識です。

(続きます)

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