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2016年9月18日 (日)

(570) 異なる方向性

「子どもの将来に幸多かれ…」と思う。

障害の有無に関わらず、親が持つ子に対する普通の感情だと思います。

ただ、障害児の場合、自分でできることが健常児よりも少なく、できる程度も一部を除いて低くなりがちです。

障害児の親は、それを補うために療育をすることとなります。

一方で親は、親無き後の子の行く末を心配し、子の幸せのために福祉制度の利用も考えます。一般的には手帳の取得が第一歩になるでしょう。

療育と手帳の取得は、障害児育児の親にはどちらも避けて通れない検討課題となる一方、この二つは時に背反します。

療育では、少しでも子ができることを増やそうと思う。そのことにより、できないストレスを減らしてあげたいと考えます。でも、実際にその域に達することはマレでしょうけれど、仮に子が何でもできるようになると、どうなるでしょう。喜ぶべきことではありますが、恐らく手帳の取得が難しくなります。

手帳の取得の判定時には、親は今述べたのとは真逆の結果を願ってしまうこととなります。即ち、できるだけ「できない」ことを望んでしまうのです。

もちろん、みんながみんなそうではないでしょう。そもそもの能力からして、多少の出来不出来など関係なく手帳取得ができる人も少なくありませんから。でも、ボーダーラインの人にとって、これはその後の生き方にかなりの差異が生じる問題です。

目指していた手帳取得ができないということ。これは即ち、福祉からの援助が得られなくなるとともに、学校を出た後の就職活動でも健常者と同じ基準で選考されることを意味します。

発達障害の場合、発達障害に加え知的障害も合併している子の方が多いため、実際にこのジレンマを体験できる人は少数派に属することとなるでしょう。でも、その少数派に属している我が家の場合、子が療育によって能力が向上し、将来の選択肢が増えることによって、かえって生きにくさにつながるかも知れなくなるという皮肉な結果になりつつあることについては、どのように評価し受け止めれば良いのか、自分でも答えを見つけ切れておりません。

ただ、親として「現実にはこのような不都合もあるのだから、療育など頑張らない、もっと言えば何もしない方が良い」という考えには賛同しかねており、子の療育はやはりできることをキチンとするべきだと考えます。一方で、努力したことを何かの形で評価する制度・仕組みが別途必要なのではないか、という名状し難い思いも抑えられず、手帳の有無による福祉の頼りがいの差異が大きい中で、このままで良いとは到底考えられず、何らかの激変緩和措置が講じられるべきだろうと考えます。

なかなか難しいところだとは思いますが…

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