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2016年7月

2016年7月26日 (火)

(563) 障害者の生きる価値

今朝のネットニュースで度肝を抜かれた、相模原市の障害者福祉施設での大量殺人事件。人間、ここまで独善的になれるものかと驚きを禁じ得ません。

「障害者なんていなくなればいい」「施設利用者に安楽死を」…そう思うのは勝手ですが、ちっぽけな自分を省みない容疑者の薄っぺらい屁理屈で、今日現在19人の方が亡くなり、26人の方が負傷しています。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方の早い回復をお祈り申し上げます。

そもそも、他者が生きる価値を決められる資格・地位・権利なんて、この現代社会においてあろうはずがありません。生きる価値は生そのものに内在しています。この点で容疑者は、根本から間違っています。

本来、他者の人生は他者のものであり、容喙すべきものではありません。人は合わない人とは距離を置けば良いのであって、他者を放置できない社会性の高さが仇になった感を禁じ得ません。これは発達障害児親ならではの、奇矯な視点なのかも知れませんが。

生き残られた入所者の一日も早い平穏な生活への復帰を、心から願っています。

2016年7月16日 (土)

(562) 「天国の特別なこども」への深い懐疑

(202) 障害児を育てること」でも触れた表題の詩。障害児を育てている方なら、どこかで一度は見聞きしたことがあると思います。

私は、この詩の内容はやはりとても受け入れられないと思っていますが、検索をかけてこの詩に触れている方のブログ等を見ると、意外と好意的に受け止めている方が多いようで、ちょっと驚いています。

私が一番引っかかるのは、人間ならば普通に湧き起こる疑問に対して一切答えていないからです。

  • 特別な子が所与の存在として記載されているが、全知全能のはずの神がなぜ特別な子をわざわざ作ったのか。言い換えると、普通の子にしてあげなかったのはなぜか。
  • 「神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親」ということであれば、その子の成長は神様のために必要だということとなるが、神様のニーズは何か。
  • 逆に、両親側のニーズではないのに、なぜ「二人は自分たちに与えられた特別の神の思し召しをさとる」こととなるのか。
  • 信仰心を深める方法は、特別な子を育てる行為以外にないのか。

一応宗教的なものを持ちだすのであれば、人生の懊悩に答えるべきだと思うのですが、この詩の中にその要素は全く見出せません。

加えて、この詩は徹底的に親の視点からのみ見ていて、肝心の子どもの気持ちや思いが全く表現されていません。これは、アウトだと思います。この子は特別な子になりたかったのでしょうか。

「困った子は困っている子」という言葉に照らして考えれば、困りたがる子などいないはずで、本人が困ることの多い特別な子になりたかったとは、とても思えません。まして、「両親」の信仰心を深めるためのツールとしての人生ってあり得ないと思います。

詩の作者は、恐らく善意で創作されたのだとは思います。でも、「神様に選ばれた特別な存在だ」とおだてることで納得させようというのには、あまりにも理屈があやふやで、やはり私には合いません。

皆様は、どのように受け止められているのでしょうか。

2016年7月10日 (日)

(561) 定期テスト

息子の定期テストの結果を見て、愕然としています。crying

鎌倉幕府滅亡の年(1333年)の語呂合わせ、悲惨散々状態でした。

どうも、試験には周到に準備し、その時間には精神集中して全力で取り組まなければならないという「当たり前」の心構えができていないように思います。

勉強をみてやっている中で、これはできてもおかしくないものが空欄だったりしますし…集中力が足りないことが根本の原因だと思います。

妻とも話し合い、これはマジに立て直さないと今後が危ういという認識で一致しました。

幸いなのは、本人も「もう少しできるようになりたい」という意欲を口にしてくれているところ。むしろ今課題が明確になったことを奇貨とできるよう、家族で協力して頑張りたいと思います。

2016年7月 2日 (土)

(560) 中学校の不必要な厳しさ

息子は、中学校で思想改造を受けています。

…等と書くと、ついにこの人も頭がデンパモードになってしまったのか? とご心配される方もおられることでしょう。大丈夫です(多分)happy01

ただ、恐らく息子本人はそういう被害的な受け止めをしている、と感じています。小学校時代と比較しても、学校に対して更に拒否的になっていますから。

自分が中学校にいた時のことを思うと、確かに小学校から中学校に変わって先生の対応が厳しくなったとは思いました。そして、その厳しさが今の自分の人格形成に役立ったか? を改めて考えてみると、それは「無駄に厳しかった」という結論に至ってしまいます。

そもそも、自ら実社会に出た経験の無い先生が、社会の厳しさを口実に人にあれこれ指図をして言うことを聞かせようというのは、その発想のスタートからして間違っていると感じます。もちろん、実社会の厳しさは私も経験していて、「社会に出たら大変だ」というのは理解しています。でも、社会はもう一面で、常に厳しく大変なばかりではないというのも事実。緩いところは緩いし、手を抜けるところも結構ある、と感じています。

会社においても、常に甲乙が決まっているわけではなく、部署によっては後輩であっても頭を下げなければならない相手というのもいますし、関連会社に転籍された場合は、後輩たちから仕事を受ける立場に回ります。そういうのも含めて臨機応変かつやり過ぎない人との関わりを身につけるのが、社会性だと思います。

むしろ、常に自分は師であり甲であるというスタンスから人と接してばかりいると、不必要に強圧的になってしまうのではないか、それを当たり前だと子ども達が受け止めてしまうと、指示待ち姿勢になってしまって、いざ社会に出た時にはそのギャップから円滑な社会人モードへの移行のハードルがかえってあがるのではないか、と心配になってしまいます。

息子には、「先生とはそういうものだ。言われたことをいちいち気にしなくても良いよ」と言ってはいますが、生真面目な息子は、そのご指導に反発心を抱きつつも「どうしよう」と悩んでいるようです。

何とか夏休みまでこぎつけたら、一度先生方とお話してみようかな、と考えています。

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