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2016年6月

2016年6月25日 (土)

(559) 似て非なる他人の目

発達障害児を育てていると、

  • 身なりや服装に気を遣わない
  • プライドが高くバカにされることに敏感
という二つの性質を持っていることに気付きます。

考えてみれば、両方とも他人の目が関係するように感じます。でも、身なりについては全然構わない、後ろからシャツが出ていても毎日同じシャツを着ていても気にならないことが普通にある一方で、他人から何か言われること、特に悪く言われることについてはとてもセンシティブで、不愉快な感情がストレートに出てきます。

健常児の場合は、身なりや服装には気を遣うし、プライドがあってもそれをちょっと傷つけられたくらいでは、途端に感情を露わにして反応したりはしないと思うのです。

これをどう整合して理解すれば良いのでしょうか。いろいろ考えてみたのですけれど、やはり他人との共感、他者意識の想像力が弱いことに行きつくだろうと思います。

健常児の場合は、これが年齢なりに育ってきているからこそ自らの感情を露わにすることに対する他者からの目、それに伴う自分に対する評価の低下を恐れて、自制することができる。つまり、本当は、健常児もプライドはあるし、それを傷つけられたら不愉快になることはなるのだけど、特に年齢が上がれば上がるほどそれにストレートに反応することがふさわしくない、俗に「ガキっぽい」と受け止められて、かえって自分の社会的地位が下がってしまうということに意識が向くのでしょう。

よく巷で言われる「大人になれよ」というたしなめは、要はこういうことなのだということに気付きました。

まさに、精神発達年齢は健常児の7掛け程度で考えれば良いと言われる通り、「反応がガキ」になりがちなのが、発達障害児の傾向なのでしょう。

もちろん、バカにする方が悪いというのも一理はあります。けれども、その先にある他人評価の得失を読めないことがすなわち社会性の欠如と判断されるわけで、更にそのリアクションそのものがネタにされて損をする、という理不尽もあるのが社会の実態ですよね。

他人からどう見られても気にしないが、プライドはあるという厄介な性質をどうすれば良いのか、考え中です。

2016年6月18日 (土)

(558) 第二次構わずにはおれない時期

今回は、私の個人的な思いつきを書いています。

反抗期について、一般に幼児期を第一次、思春期を第二次として考えるようです。

それと並行する感じで、「構わずにはおれない時期」というのも第一次、第二次があるのではないか、と思うのです。

具体的には、周りのものに向いた関心を制御できず、不必要なのに過度に構おうとする姿。幼児期には虫だったりモノだったり、狭いスキ間coldsweats02だったりで、最後には死なせてしまったり壊してしまったり抜け出せなくなったりします。そういう過程で、周囲との関わり方を身に付けて行くのが第一次。

これに対し第二次は、専ら人に関心が向きます。そして、自分と気質の合う人間とは徒党を組み、合わない人間とは不必要に反目する。反抗期と密接に絡み、異質な人間を過度に排除しようとしたり、逆に支配下に置こうとしたり…端的にはイジメにもつながります。

しかも、幼児的な分かりやすい勧善懲悪への懐疑からか、本人が妙にワルぶってみせたり、周囲も悪い行為を悪いと言うことを子供っぽいと感じるのか、見なかったことにしたり、と反応も複雑かつ悪化していきます。

大人になってしまうと、やはり良くないことは良くないと分かりますし、合わない人と適度な距離を保って付き合うこともできるようになります。が、それもこの時期のこういう試行錯誤があったからではないか、とも考えられます。

もちろん、そのただなかにいてイヤな思いをさせられている側の人間からすれば、先の見えない暗闇にいるようなものですし、理不尽としか言いようがありません。誰かを犠牲にしなければ大人になれないとしたら、人間の持って生まれた欠陥だとしか言いようがありません。

ただ、良くないことを良くないと言うだけでは、この時期の子供達に通じません。その心に響かないのです。かといって、自律を期待せず管理を徹底すべし、何かやったら厳罰に処すべし、も違うと思うのです。

名案はありません。できることは「ただ関心を持って見守る」。今流行の表現としては、「セコム親」になるしかないのかなあ、と感じています。

2016年6月 9日 (木)

(557) 息子の体育祭(運動会)

先週、息子の体育祭(運動会)が開催されました。

息子の行事嫌いは相変わらずで、体育祭前には「大地震が起きないか…」等と極めて物騒かつ不謹慎なことを言っていて、当日はどうなることかと心配していました。しかも、娘の運動会とは異なり、奇麗に晴れ渡った空の下…というとすごく良さそうに聞こえますが、参加者にとっても、見に行く親にとっても、この時期の太陽の下にいるということ自体が、かなりの苦行とですよね。

不安はありながらも妻と見に行きました。結果から申せば、彼は自分のやるべきことをキチンとすべてやっていたと思います。100mも走り切りましたし、なぜか全員リレーもあって、それもバトンを受け取り、走り、次の子に渡し、という一連の行動を若干の不器用さはありながらも全てこなしていました。

入場行進から閉会式まで、周囲から奇矯だと思われる行動も全く無く、集団に紛れられており、この点ではもう大丈夫だな、と胸をなでおろしているところです。

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2016年6月 5日 (日)

(556) 娘の塾通い

昨年度までの娘の学校のテストの状態を見る限り、この子は中学受験させてみても良いかと思い、塾に通わせ始めて2カ月…かなり厳しい状態です。

そもそも、親である私と妻が地方出身で高校まで公立でやってきていた、それが普通だと思っていたということが一つのネックになっています。中学受験というものへの感覚が、親の側でまだよく身に付いていないため、適切な導きができないということです。

そして、受験勉強と学校の勉強は基本的にリンクしていないことがわかりました。いきなりやったことがないようなものを次々に教えられても、中々消化できないということかと思います。

更に、どちらかというと幼い感じの娘ですので、今やっているものが例えわけがわからなくても、頑張った先により良い環境を得られる可能性が高まる、ということを想像・実感できておらず、そのためにモチベーションが上がってこないということもあるかと思います。

結局、健常域にいても精神発達の早い遅いは当然あって、精神発達の早さも受験の重要なファクターになるんだな、ということが分かってきました。

また、算数の問題は意外と空間認知能力を要求するものが多いと感じています。これは、今までの学校生活であまり問われてこなかった部分だと思っており、もしかしたら弱点になるのかな、とも感じています。

地頭の良さと精神発達の両方がそろわないと、受験しても期待した成果が得られないかも知れない…ではどうするか、をこれから考えていきたいと思います。

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