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2016年1月12日 (火)

(541) 社会全体での育児

「子育てをお母さん一人に押し付けるな」という主張を、よく見聞きします。私も、それはその通りだと感じています。

でも、これに続いて「子供は、社会全体で育てるものだ」という主張がくっついてくると、私は「?」と感じてしまいます。

少なくとも、家族と社会は横一線に並んで位置するものではありません。やはり前に立つべきは家族だと思います。言い換えると、家族が主、社会は従です。

もちろん、お母さんだけが育児の負担を背負うことはおかしい、でも社会という曖昧かつ抽象的なものが、具体的に責任を持って子供を育ててくれる等と期待はできないと考えるのです。

子育てに関わる一つ一つの作業を誰が行い、誰がその責任を負うのか。授乳やオムツの取り換えを社会なるものが深夜でもやってくれるのかを考えたら、私の感じている疑問・違和感を理解していただけるかと思います。

社会で見守ることを軽視するものではありません。もちろんそれも大切だとは思っています。でも、それはどうしても受動的なものとならざるを得ないのではないでしょうか。この手の「美辞麗句」には、私達も常日頃から気を付けなければならないと思います。

ただ、もしかして「誰か助けて~!」と思っていて、もっと社会に助けてもらいたい、という思いを抱いている方もおられるとは思います。でも、じゃあそれであれこれ社会の方から手を出されたとしたら、それはそれでやりにくくなるのではないでしょうか。社会なるものが具体的な手順を定めて親と対等に子育てに参加しようとしたら、それは自分の願う通りのものとなるでしょうか。

特に、障害児育児に慣れた社会というものは無いと思っており、その社会の持つ常識に従って子育てをされることになったとしたら、私達の子供に対してかなりストレスを与えることとなるでしょう。親が環境を調節しようとしても、その一存では通らなくなる可能性が出てきてしまいます。それで良いのでしょうか。

確かに助けは欲しい。母親の負担は減らすべきですし、障害児家族を孤立させてはいけないとも思います。でも、イニシアチブはあくまでも親が担い、社会の支配力を認めるわけにはいかないとなると、社会に任せられる範囲は限定されがちであり、どうしても親が頑張らなければならない部分はある、ということになります。

悩ましいですが、涙を流しても顔を上げて踏み越えるところなのでしょう。

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