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2015年10月

2015年10月31日 (土)

(531) 息子のイボ

昨日朝、息子が「足が痛いんだ…」と言ってきました。学校嫌いなので、また行きたくない理由を言い出したのかな? と思ったら、実際に右足にイボのようなものができていました。

あらら、これは痛いだろうなあと思ったので、ちょうど自分が夏に魚の目ができていた時に使っていた「うおの目保護パッド」(厚みがあり、かつ患部だけ穴が空いたパッドで、着けると当たる力が弱くなる)がまだ残っていたのを思い出し、それをあてがって当座をしのぐこととしました。着けたら患部が直接地面に接することがなくなり、無事に登校しました(走っていましたしw)。

本日、時間を見計らって息子と皮膚科に行きました。結果はやっぱりイボで、「焼きましょう」の一言。「焼く」という言葉に緊張した様子はありましたが、液体窒素を浸した大きな綿棒を当てられるだけなので、最初は特に感じなかったものの、数回繰り返すうちに、手が小刻みに震え始めました。

医師に「痛い?」と聞かれて「痛いです」と答えられましたし、私が「まだ我慢できるか?」と問うたら「まだ、大丈夫」と答えられました。

普通の人から見たら極めて当たり前の受け答えですが、このような会話ができるようになったのも、おうむ返し時代から見れば長足の進歩だと感じます。

その後、足の皮が剥けていることを指摘され、「水虫の検査もしておきますね」と言われてピンセットで皮をはがされたりもしましたが、こちらは陰性でした。

イボを焼く治療は1回では終わらず、「また2週間後くらいに見せて下さい」と言われました。まあ、ジンジンする痛みも耐えられたし、次回はもっと楽だろうと思います。

取りあえず、大したことにならずに良かったです。

2015年10月24日 (土)

(530) 親の会の困難さを検証(2)

親の会に関わり、設立目的は主に①行政・議会への請願と②相互の情報交換の2つがあること、でも特に②について、設立者のキャパシティとその後に入る人のニーズがかみ合わない場合があることを、前回お話しました。これをもう少し深掘りしてみましょう。

もう少し親の会の構成員を俯瞰すると、皆に共通するのは、子が障害を持っているという一点のみである場合が多いということに気付きます。加えて、しかもその唯一かもしれない共通点も、子供の障害の種類や程度は個体により千差万別です。

もし、子に障害があること以外にも共通するものがあれば、お互いの交流ももっとスムーズになる可能性が高いでしょう。しかしながら、育った環境も学歴も勤め先も趣味も嗜好も興味関心も違うとなると、元々一点だけの共通点でみんながまとまることって、かなり難しくなりますよね。

しかも、せっかく集まっても、子の障害の種類や障害の軽重によって、参考にならない部分も少なからずあるとなると、唯一の共通点により集まって活動することにより達成・獲得される成果がかなり大きく充実感の得られるものでない限り、活動が盛り上がりにくくなるのは仕方がないと思います。先輩親に学べるものが多くある、というのはかなりの部分で運とタイミングが作用します(∵そもそも障害児の人口密度は低く、その中で種類や軽重度合が同じ人と出会えることは、僥倖だと捉えた方が的確だと思います)。

そうこうするうちに「親が自分の家庭の足元課題の解決に追われてしまい、周囲と関わる余裕がなくなってしまう」状態になって足が遠のく、集まりが間遠になるのもむしろ当然だ、くらいに受け止めるべきことだと考えます。

一方で、そのような状況であっても、行政や議会に届かせようとする声の内容が、あらゆる障害種別、障害の軽重に共通するものであれば、皆が必要性を感じ、取組みも盛り上がるでしょう。そういうテーマを発掘する余裕と熱意を、運営するコアメンバーがどの程度持続的に維持できるか、それができない限り、親の会の持続可能な発展は難しいと言わざるを得ません。

それでも、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」ということで、情報交換以前のおしゃべりの場、もしかしたら単なる愚痴吐き場としての機能というのもあって、その存在意義は、意外にあると思っており、緩やかな繋がりを持てる場として、細々と続いていく、というのはそれはそれでアリではないでしょうか。

壮大な理念と目的のために一瞬で燃え尽きるよりも、細く長く地味に続くことにこそ重みがあるのではないか、と捉え直すことも必要だと感じています。

2015年10月18日 (日)

(529) 親の会の困難さを検証(1)

障害児親同士がまとまることって、難しいです。

単なるママ友(ちなみに、パパ同士って、友達にならないことが多いです、残念ながら。オヤジの会というのもできたりしているようですが、少数派ですし)程度であっても、元々合う合わないの問題が生じます。

単なる情報交換程度であれば、それでも良いでしょう。でも、現行の制度・組織運営等に不満を感じ、改善を求めるべく行政や議会に声を届かせようとすると、徒手空拳ではいかんともなしがたく、どうしても仲間を集めることが必要になります。

でも、親の会を組織して…と考えて実行することには、かなりの困難が伴います。残念ながら、会ができたは良いものの、しばらくすると活動が停滞してしまうという例も、少なくありません。

何がそうさせてしまうのだろうか、を考えてみました。

結論から言うと、親が自分の家庭の足元課題の解決に追われてしまい、周囲と関わる余裕がなくなってしまうから、に帰結してしまうと考えています。

親の会って、結成した頃は、少数の志を同じくする人間同士で親の年齢も近く、しかも子供の年齢も近いといった共通項が多くあります。

でも、しばらく経つと、新しく入ってきた親や子とのジェネレーションギャップが生じます。これは、単なる年齢や世代によるものだけでなく、成長した我が子の課題と新しく入ってきた人の課題が当然異なることも含まれます。

会を立ち上げた側から見れば、後から入る人は、かつて自分が通った道を歩き始めることとなります。だから、彼らに対して自分達は経験をお話し、ノウハウを伝えることができます。後から入る人も、それを期待していることでしょう。ここに親の会の存在意義の一つがあるものの、我が子は年が上がれば上がったなりに新しい課題に直面することとなります。その解決への取り組みで目いっぱい、手いっぱいとなってしまうのもやむを得ません。そうなると、相互に十分コミュニケーションを取れなくなって、双方にフラストレーションが溜まっていく、ということはあり得ます。

本当は、もっと引いて考えるべきなのでしょう。健常児であっても自分の子が卒業すれば、親も親の会から手を引いて新しい場所で新しい繋がりができていくわけで、障害児親が元々多くの負担を背負っていながら、いつまでも関われるものではないということもあり得ます。

組織の先頭を行く者の負担が大き過ぎる一方、後から入る人は障害児親となったフレッシュさとナイーブさから、それを軽減することは困難となります。これだと、続かないのもやむを得ないですよね。

(続きます)

2015年10月12日 (月)

(528) お受験

名古屋出身者の感覚からすると、東京のお受験事情はやはり異常です。

中学受験をするのが珍しい名古屋と、当たり前の東京では価値観が異なるのはやむを得ないことでしょう。

私は、名古屋を出て約30年が経ちますが、このお受験熱は未だになじめないところです。莫大なお金と時間をお受験に突っ込んでも、皆が一流とされる学校に入れるわけではありませんし。

本番の緊張に極端に弱い子であれば、戦略的に二番手、三番手校でも大学まで行ける学校を選択するのはアリだと思いますけれど、そうじゃなければ、お金と時間を楽しい思い出や経験に使った方が良いのではないかと思っています。自己肯定感を育むのに役立ちますし。

私の中学時代の同級生は、進学校でもない高校に進み、急に勉強をやる気になって某国立大学の医学部に進学しました。最後の1年半程度の頑張りで何とかできる程度のことなのに、小学校から塾通い、某アルファベットマークのカバンを背負った子がコンビニにたむろするのは、健全なことなのだろうか、と大いに疑問を感じています。

先憂後楽思想も行き過ぎると弊害が大きいように感じます。

2015年10月 4日 (日)

(527) 身の程

①我が子の特性を知り、良いところを伸ばし、良くないところは改善する。

特に引っかかるところはないと思います。

ただ、これを

②身の程をわきまえて、身の丈に合った対応をする。

と言うと、かなり投げやりというか、卑屈な印象を受けます。

でも、この二つは、その印象に比して言っている内容にそれほど差異は無いように感じます。皆様は、いかがでしょうか。

確かに②の方が、醒めた印象を与えますし、人間の可能性を最初から限定しているかのような対応にも、それでいいの?感は漂いますよね。ただ、①もそれをオブラートに包んだだけだと言われたら、なかなか反論できないのではないかと…。

正直なところ、道徳的には人間の可能性は無限大だとされ、それを否定するのは憚られるものの、実際のところ、大多数の人間は東大に入ってオリンピックにも出る、等と考えてはいません。そういう事実から遊離した正論は、時に有害なのではないかと思います。

普通学級で何とかやってこれたから、これからもそうする。というのも、本当に身の程に合っているのか、よくよく考えなければいけないなあと感じています。そもそも健常児でも、七五三教育と言われて久しく、小学校でも7割しか授業についていけていないわけですから。

まして、中学校は5割となると、それでも学校に行くことがイヤにならなければ良いなと親としては思いますし、本人に合う学校を探さないとなあ、と感じます。

秋は選択の秋でもありますね。

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