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2015年7月

2015年7月26日 (日)

(518) 健常社会に踏みとどまる

夏休みに入って、1週間が経ちました。

一学期を振り返ると、最後の方になるにつれてまた登校渋りがひどくなってきました。そこを何とか持ちこたえた、という状態です。

そんなこともあり、息子の件で学校の先生とお話する機会を持つこととなりました。担任の先生は、昨年度からの持ちあがりで、息子の特性をよく理解して下さっています。

そのお話の中で、「授業中の集中力が下がっている、指示を出してもボーっとしていてすぐに動こうとしない。作業に取り掛かるまでに何回か促しが必要」、「クラスメートに仕切りたがる子がいて、他者の指示に従う意欲の低い息子は当然そういう子との相性がイマイチで言い合いになったりする。この子とのやり取りもストレッサーの一つになっている」「息子から話を聞く機会も作っているが、その際にネガティブな発言が増えた。例えば、「自分なんてどうせ…」「学校なんて、無くなってしまえば…」といったことを言う」というようなご指摘がありました。

ただ「クラスでの係の活動は、キチンとやっている。((510) 息子、小学校最後の運動会に書いたように)運動会の得点係も全校生徒の前で良くやっていた(過去担任になるなど息子と関わりのあった先生は、皆息を詰めて大丈夫かなと思いながら、見守って下さっていたそうですw)、と思っている」「友達と仲良くなりたいという気持ちが芽生えているように感じる。一方でどう振る舞って良いのかがまだよくわかっていない印象」というようなお話も頂き、健常社会での生活で苦労しているなあ、と感じる一方で、適応不全が起きていることも認識しました。

夏休みの間、学校ストレスが無くなることもあり、まずは気持ちがのんびりするように持っていくとともに、2学期に備えどのように対処していけばよいか、今の問題点についてかかりつけの児童精神科の先生と相談してみようと思います。やみくもに何かをやらせようとすると大抵うまくいかないでしょうし、ここは慎重に対処していこうと考えています。

健常社会で踏みとどまってやっていけるよう、できることを考えていこうと思います。

2015年7月18日 (土)

(517) 面白さのツボ

息子は、基本的にはひょうきん者なのだろうと感じています。いつもそうではないのですが、面白そうに話しかけてくることが多いもので…。

ただ、本人が面白そうに話してくれる内容が、少なくとも私の能力ではイマイチ理解しきれないことが多いのと、たまに内容が理解できても今度はそのツボが少なくとも私のそれとはズレていることがほとんどなため、残念ながら私はそれを面白いと感じたことがほぼありませんhappy02

ただ、楽しそうに話すこと自体は良いことで、楽しそうに話してくる人と接することによって、こちらも少し心が晴れると言うか、気が楽になったりはします。

そういうこともあって、息子の話を聞くと、こちらも張っていた気が抜けて口元が緩むことはあります。

周囲から見ると、この二人は話が通じていてお互いに面白いと感じているに違いない、と受け取られるかも知れませんが、両者の思いを詰めて比べてみると、実態はそうではない、ということです。

面白さを感じるツボについて、もう少し一般の人と同様であれば良いのだけどなあ、と思うことはありますが、こればかりはどうにもなりませんよね。もちろん、本人がつまらないと思っているものをお追従笑いさせるようなことは避けたいと思いますし。

逆に言えば、こちらも自分の笑いのツボを敢えて息子に合わせようとは思っていない、ということでもあります。

さて、夏休みになりました。長い休みの間にも、面白いと感じる体験がたくさんできると良いな、と感じています。

2015年7月12日 (日)

(516) 理解してもらうことの大切さの理解

発達障害のある子どもは、幼少期に言葉の発達が遅れることが多いです。アスペルガーの子はそうでもないと言われることがありますが、やはり言葉のニュアンスを正確に把握していることは少ないようです。

幼少期に遅れた言葉の発達を、そのまま引きずりながら成長していくことも多いと感じます。

こうなると、周囲の子がストレスなく普通に話をしていることでも本人はすごく難しく感じますし、その内容を理解をするのにも時間がかかったり、分からずにスルーしたりせざるを得なくなります。発信機と受信機のレベルが合わない以上仕方がないことなのでしょうけれど、こういう経験を繰り返した結果として、本人がコミュニケーションを取ろうとする意欲が減退することで、流してしまうことが多くなる結果、益々その能力差が大きくなりコミュニケーションレベルの差が広がる、という悪循環に陥ってしまいます。

本来、人に自分のことを理解してもらうためには、自分が口を開いて自分の思いや考えを相手に伝えるようにしていかなければならないのは当然で、これは健常者同士でもよくある普通なことです。

だからこそ、人に理解してもらうこと、そのことはとても大切であること、それは話をしないと始まらないこと、を本人が理解して、少しでもその方向に努力をし続けることってとても大切なことになるのですが、幼少期からのうまくいかない経験の積み重ねがそれを妨げてしまっているのではないか、と感じることも多くあります。

物事を成し遂げるためには、小さな努力の積み重ねが大切であるとはよく言われることです。この逆に、小さな失敗の積み重ねによって下がった意欲というのは、どのように持ち上げていけば良いのだろうか、と悩んでしまいます。

ただ繰り返しになりますが、伝えようとしなければ伝わらない、あくまでも伝えようとすることは不可避なことではありますので、少なくとも親としては、何かあってコミュニケーションを取らなければならない時に、急かさず、中々話が始まらずにイラッとしてもその思いを表情や態度に出さず、とにかくゆっくりでも良いから考えていること、感じていることを話してもらうように促し、聞く姿勢を保って待ち続けるしかないのかな、と感じています。

当たり前ですが、コミュニケーションは片方だけではできません。周囲の忙しい人達にまでこのような対応をお願いするのは気が引けるし実際できないことかも知れませんが、それでもあなたの話を聞こうとする人がいる、こういう態度で接してくる人がいたら、話をすることで何か得られることがある、ということを体験し理解できるようにするためにも、このような対応を継続していくしかないだろう、と考えています。

こういう地道な努力をしていかないことには、どうにもならないだろうと思いますし。

2015年7月 4日 (土)

(515) 量を減らす

発達障害の子は手先が不器用なことが多い。だから、健常の子と同じ量をやるのは負担感が大きく、過大な課題(シャレではありませんw)はやる気を損なう可能性がある。ゆえに、量を調節してあげると良い。

…という親向けの指導が書かれている本が散見されます。けれど、これについては一つ抜けているところがあるのではないでしょうか。

これだと、理解できているか、身に付いているのか、ということへのチェックが無いのです。

理解できている、身に付いているようであれば、もちろん量を調節して減らすというのはアリです。でも、このチェックも無しに、ただ量を減らしただけでは、みんなと一緒に取り組むという形式は満たされても、実質的に理解もできておらず身に付いてもいない、ということになってしまいます。それで良いのでしょうか。

やる気を重視することは、もちろん大切です。その意欲を摘まない、というニーズもわかります。けれども、やっても理解できない、身に付かないという状態が継続すると、それはそれで達成感が得られないことになります。

これに対しては、理解できていない、身に付いていない課題について、やはり時間を置いて再度チャレンジさせるとか、指示の出し方、伝え方等を工夫するといったフォローが必要になるだろうと感じます。ですから、ここまで親に一連で指導する書き方にしないと、余計な混乱を生じさせたり、後になって困ってしまうことになったりすることを危惧します。

発達障害児への療育での取り組みには、このような細かな部分への意識も必要になってきますね。

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