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2015年6月

2015年6月27日 (土)

(514) 異動の時期

人との距離感というのも、まさに人によってさまざまかと思います。

昨今は株主総会時期にあたっている会社も多いでしょう。上が代われば下も代わる。サラリーマン社会の風物詩であったりもする異動の時期を迎えて、そのたびに感じることの一つとして、過去にお付き合いがあった方との距離感の差異があります。

こちらはたくさんの関わりがあった、お世話になったと思っていた人に挨拶に行ったら、素っ気ない対応であったり、その逆にこちらがそれほどお付き合いが無かったと思っていたら、丁重な挨拶を頂いたり、ということは、皆さんにも経験があることだと思うのです。

これも、本当はもう一段の深掘りが必要で、関わりへの認識の差異のみならず、その認識に対して挨拶回り等でどの程度自分の思いを表出するかの差異が複合・重畳することだと考えられるので、それらを踏まえるとなると出方もいろいろでかなりややこしくなるのですけどね。

健常者(だと思う)同士でもこのような経験は少なくないことからすると、発達障害により人との関わりが苦手な子にとって、この時期って負荷がかかって辛いだろうなあと思うのです。ある人が挨拶に来たなと思ったら、しばらくしてまた別の人が挨拶に来て…と周囲の雰囲気も、多少ワサワサして落ち着きがなくなるということもそれに拍車をかけます。更に自分に直接関わることとして、異動を踏まえて、次に自分のカウンターパートになる人との新たな人間関係の構築や認識合わせもしなければなりませんし。

顔を覚えるの(相貌認知)にも苦手な場合がある彼らにとって、まさに鬼門となります。

常々人と自分の感覚の違いに戸惑い、ナーバスになっている彼ら。挨拶回りでもその差異を痛感することとなるでしょう。

でも、ここから先は身過ぎ世過ぎで、相手が自分の期待したリアクションをしなくても、自分はとにかくにこやかに頭を下げる、という単純な対処方法を教え乗り越えてもらうしかないだろう、と思うのです。

それはそれで、今度は「あの人って、何か表面的よね」という目で見られるかも知れませんが、無礼者だと思われるよりはマシでしょう。

優等でなくても、赤点を取らなければそれで良い。こういう割り切りも必要ではないでしょうか。

チラホラ始まった挨拶回りの光景を見ながら、そんなことを考えています。

2015年6月20日 (土)

(513) 子の障害への意識差

少し前にtwitterでかなり注目を集めた、男女の意識に関するこの漫画(👈クリックしてみて下さい)。

いろいろご批判もあろうかとは思いますけれど、私は「あぁなるほど~」と腑に落ちました。多少デフォルメがきつめだとは思うものの、恐らく読者の皆様も、こんなのデタラメだ、と言いきれない程度には納得性があるだろうと推測しています。

実は、我が子が障害を持っているという事実に突き当たった夫婦の間でも、このような意識の差があって、齟齬が生じがちになっているのではないか、だからこそその意識の差を軽視・無視してしまうと、後々に大きな禍根を残すのではないか、と思うのです。

もちろん、夫婦双方とも我が子の障害という事実に直面すれば、第一にはショックだろうと思うのです。これは疑いのないところでしょう。でも、その次に妻の側は、子の障害という事実を前に自分の受けたショックに対する共感を求める一方で、夫の側は、子の障害に対して何らかの解決に向けた具体的なアクションを起こさずにはいられなくなる、という状況に陥ることは、そう珍しいものでもないのでは? と考えます。

しかも、良し悪しは別として、妻の方が子に関わる時間がどうしても長くなるという事実がこれに加わるでしょうから、夫が解決に向けたアプローチを行い情報探しに奔走し、何とかそれを見つけたのは良いけれど、妻にその対応の大部分を投げてしまう、しかも、初めてで戸惑う妻の気持ちへの共感や配慮が手薄になってしまうようなことがあると、夫婦それぞれが役割分担しながら、できることを精一杯頑張ろうとしているはずなのに、ものすごくストレスフルな雰囲気が家庭内に充満する、というパラドキシカルな状況に陥ってしまいます。

ここまで絵に描いたような典型的なパターンに陥ったわけではありませんが、我が家でもこうなりかかったこともあり、夫婦の性差に基づく意識の差についても、「そういうことはあるものだ」との認識をしっかり持つことって結構大切だと感じます。

なお、あれこれ情報収集に奔走する私に歯止めをかけたのは、妻の冷静な「息子君のことばかり考えるのは、やめましょう」というひとことでした。妻もそれなりに不安だったのでしょうし、確固とした根拠も無いものの「何とかなる」という直観を持っていたようです。そして実際に今の状況を考えてみると、当時想定していた最悪の状況よりははるかにマシなところまで持って来ることができており、当時のそういう何気ないやり取りが意外に後につながることを実感します。

もし、妻がこのような直観を持つことなく、かつ共感を強く求めるタイプであったら、今はどうなっていたのだろう? と考えてしまいます。

2015年6月13日 (土)

(512) 不機嫌なわけ

妻によると、先日、こんなことがあったそうです。

その日、学校から帰った息子は、児童館に遊びに行きました。その後、息子は無事に児童館から戻ってきたものの、かなり不機嫌になってしまっていました。

どうしたんだろう…? 気になった妻が息子に児童館で何かあったのかを聞いてみると、息子曰く

・学校で、自分が「今日、一緒に遊ぼうよ」と声を掛けた子が、「今日は遊べない」と言って断ってきた。

・それで、仕方がなく行った児童館には、その誘った子がいて、その子は他の子と遊んでいた。

・自分は、裏切られたように感じた。

ということでした。

正直言って、この手のことって、間が悪いと言えばそれまでですが、大人でもありますよね。そう珍しいことではないと思います。

こういう認識もあって、妻は息子に対して、

・あなたが誘う前に、その子は、他の子達と先に約束してしまっていたかも知れない。

・その子は、息子が普段付き合いのない他の子とは一緒にならない方が良いと判断したのかも知れない。

・多分、たまたまそうなっただけだから、また機会があれば遊びに誘ってみたら良いと思う。

という話をしたそうです。

イマイチ納得しきれていない様子であったようですが、今ではもうこのことを引きずってはいないようです。こういうことって、「♪大人の階段昇る~」過程としてやむを得ないことだろうと思います。

一般的に、思春期に差し掛かると、これまでの何となくの付き合いから、気の合う人間を探し、選別するようになっていきます。だからこそ、修学旅行の班決めでもめたりもするのですけれど、これはもう不可避のことだと思います。だから、もしかしたらその子は、息子が何度誘ってももう一緒に遊ぼうと言ってくれないかも知れない。思春期ってそういう苦い経験をして大人になっていくための時期だと割り切らざるを得ません。

考えてみれば、今までもその子はよく息子と遊んでくれましたけど、親から見ても息子と一緒にいて本当に楽しいのだろうか? と疑問を感じてしまう部分も無いとは言えず、もしかしたら、来るべき時が来たのでは、と覚悟しています。

振り返って考えてみると、息子に友達ができて家に遊びに来る、なんて障害の告知を受けた当時は想像もできないことでした。それを実現してくれたその子に対しては、むしろ、よくぞこれまでお付き合い頂いた、と感謝したい気持ちでいっぱいです。

なお、それ以上に私達が注目したのは、息子が「自分が仲間から外されている」という意識を持っているということ、それがイヤなことだと感じていること、そして友達が欲しいし大切だと思っていること、です。

周囲の目に無頓着だった頃のことを思い出し、やっぱり息子は息子なりに成長してきているんだな、との思いを新たにしたできごとでした。

2015年6月 6日 (土)

(511) 娘の運動会

前回、運動会に関わり息子を中心に記載しました。今回は、娘(妹)を見ていて気付いたことを書いてみます。

娘は、生まれてこの方、特段問題となるor解決・対応が必要になるような課題はありませんでした。幼稚園時代も、先生からは「全く手がかからないお子さんで…」「何でもよくできていますよ」と言われていました。

けれども、今回の小学校の運動会にあたっては、課題がいくつか見つかってきました。

まず、これまで体を動かすことは全く問題がない…どころかむしろ得意なことだと思っていました。けれども、今回の運動会を前に、練習で「疲れた~」を連発し、ともすれば休みたがる娘の様子から、「あれ、今までと違うな…」と感じたことから、恐る恐る学校での様子をお伺いした担任の先生からは「運動会で学年全体演技となる踊りなのですが、あまり上手じゃないようなので、いろいろと指導をしています」とのお話を頂き、こちらとしてはまさに青天の霹靂でした。娘については、大丈夫だろうと思っていたので、これにはかなり驚きました。

今まで娘についてそういう話を聞いたことが無かったので、その点ではやむを得ないことではある一方で、うっすら「この子、人の話をちゃんと聞いていないな…」「ここで、そういう受け止めをする?」と思うことがチラホラあって、(505)で書いたようにこの子も発達障害系の要素を持っていると思って接した方が良いな、との思いを強くしていたところではあり、松坂選手とは異なり「懸念が確信に変わった」という心境になりつつあります。

ちなみに、娘本人に「踊り、苦手なの?」と聞いたら「うん、どう動いたらよいかがわからなくて…」というご返事。更に「今まではそんなこと無かったよね~」と問うたところ「何かできなくなっちゃった」という答えが返ってきました。

そういう不安がある中で、前回書いた息子の振る舞いが更に不安に拍車をかけることとなった運動会本番では、結局踊りでそんなに周囲から逸脱するようなことはありませんでした。少なくとも、そういう情報を何も知らずに見れば、そう気にならないレベルではありました。一方で徒競走は昔だったら圧勝一位だったのに、結局二位になってしまいました。明らかに、運動面での優位性が下がってきています。

まあ、そうは言ってもまだ相対的には上位な方ですし、運動会自体も幸い兄(息子)と同じ赤組で、今年は赤が勝ったことからヤレヤレと思っていたところ、そこで更に一波乱がありましたbearing もう一つの課題であり、こちらの方が厄介だと感じています。

娘は、運動会後に泣きながら帰ってきました。「もうヤダー」と言いながら。勝ったのにどうして泣いているのだろう? と思うのは当然で、何があったのかを聞くと「私が悪口を言っていないのに、○○さんに「お前が悪口を言った」と責められた」というのです(○○さんは、男の子です)。

本人の言うことだけに乗っかるわけにもいかず、妻が担任の先生に確認したところ、

・教室で、娘が「赤組が勝った」を何度も言っていた。

・それを聞いた○○さん(白組)が、腹を立てて「悪口を言うな」と怒った。

という事情が明らかになりました。

これって親としては微妙、もっと引いて考えればどっちもどっちだな、と思います。もちろん、悪口を言っていたという○○さんの受け止め方は、やはり間違っていると言わざるを得ません。でも、敗者の前で「勝った勝った」とはしゃいで何度も言いたてるのは、当然慎むべきことです。しかも、3年生ですからね、そろそろそういう配慮ができないと、と思うのです。

娘は、これからさらにややこしい女の子社会で生きていかなければなりません。息子はある意味峠を越えた感がある中で、社会性の観点で足りない部分の垣間見える娘は、この先どうなるのだろう…?といにしえのゲームのテトリスミュージックが頭の中で鳴り響いています。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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