« (506) GW帰省を終えて | トップページ | (508) これが望んだことか »

2015年5月10日 (日)

(507) 学校に行きたくない人が…

息子の登校渋りについては、以前にも書きました。

最近、妹も若干その気配が漂ってきて、鬱になっていますbearing 我が家で学校に行きたくない人が、増殖していますwobbly

妹は、具体的に学校に「行くのがイヤだ」と言い出してきているわけではありません。でも、朝起床すると頭、足、お腹、背中等々体のアチコチが痛いと言い出して、学校に「行けない」という言い方をしており、広義の登校渋り、或いは登校渋りの前段だな、と判断してます。これに対し、親としてどう対応すべきなのか思案投げ首です。

ただ、様子を見ているとどうも本当に痛いらしいので、無下に仮病だと否定するわけにもいかず、そうは言っても学校には行ってもらいたいと思っており、なだめすかして学校に行かせている、というのが実態です。

この点、まだ兄妹ともに、不登校には至っておらず、まだ余裕があると言えばありますけれど…。女の子の場合、周りのお友達も含めてそろそろ女の子らしさが出てくるお年頃でもあり、その中で「うまくやる」ことには、それなりの精神的な苦労があるのだろうと推察しています。

学校は集団生活の第一歩、とはよく言われます。でも、学校ほどの規律が本当に社会に出て必要なのかは大いに疑問です。

実際、自分が会社に入って感じることは、マイペースな人って結構同僚にもいて、「集団生活の和を大切に、集団行動を乱さないように」という学校時代の指導が、どの程度浸透しているのかについては、甚だ心もとないように感じます。また、マイペースな同僚が、もちろん会社の主導的地位にいることは少ないものの、そうかと言って会社の業務遂行の妨げになっているかと問われれば、決定的にそうなっていることもないわけで、一般的に言われているほど重要度って高くないのではなかろうか、と感じています。

集団の中でうまく振る舞うことも、本来は「できないよりはできた方が良い」という程度のもののはず。でも、気が付いたら「できなければダメだ」に置き換わってしまっています。本来個性を伸ばすべきなのに、個を殺して集団に合わせることのみに専心するようになってしまったら、本末転倒ですよね。もっとも、実際そこまで極端に行ってしまうことも少ないのでしょうけれど。

集団の中で、どこまでなら許容できるのか、どこからが行き過ぎなのか、を改めて社会が考えるべき時なのではないかと思います。また、一人で過ごすことも大切だと教える必要もあるでしょう。少なくとも、その呪縛で大学生になっても「ボッチが怖い」から便所飯、を選択してしまう風潮は、やはりおかしいですし。

« (506) GW帰省を終えて | トップページ | (508) これが望んだことか »

きょうだい児」カテゴリの記事

家庭での様子」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/514748/61565041

この記事へのトラックバック一覧です: (507) 学校に行きたくない人が…:

« (506) GW帰省を終えて | トップページ | (508) これが望んだことか »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ