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2015年1月17日 (土)

(491) できないこと

あなたは、何かができない時にどうしますか。

どうしてもやる必要があって、放っておく、諦めるという選択肢が選べない場合、人の手を借りてでもやろうとしませんか(場合によっては、幾ばくかの負担を負うか(お金を払う、等)はともかくとして、です)。

社会生活を営む上で、「できることは自分でやる」「できることを増やそうと努力する」までは望ましいことであり特段異論は無いように思うのですが、どうしてもできないことについては、どうでしょうか。「できないと諦めるのは甘えである」「できると信じて、本人にできるようになるまで取り組ませる」というのは、少なくとも療育の分野においてはいかがなものかと思うのです。

そもそも、できないこと・不得手なことがあるからこそ障害があると診断されているのですよね。私は、努力で何とか克服できるものは障害特性ではないと考えていますし、実際人によってはどうしてもできないことというのはあると思うのです。

世の中で、絶対にその個人が独力でやらなければならないことってあまりないと考えており、誰かに頼むことができて、かつその頼まれた人がそれほど負担に感じないようなことであるならば、素直に頼んでやってもらった方が合理的ではないかと考えています。

ただ、どうも療育で効果が出ていると、次もイケるだろうと思い込んでしまって、実は能力を超えた負担を子に強いてしまう可能性が高くなります。せっかくできたのに、更にハードルが上がる一方であれば、いずれ疲れて息切れしてしまうことも十分にあり得ると思うのです。

このリスクを負うのは誰か。結論から言えば親では無く子であることを考えれば、もう少し慎重になるべきだと思うのですが、意外にそういうことは意識されにくいようです。確かに、たまたまうまくいってしまう場合というのは世の中に一定の割合であって、かつ成功談はウケが良いですから、これはやむを得ないことではあります。

ただ、やはり潜在的なリスクというのはあることを認識し、うまくいった人が声高に「為せば成る」と言っていても、安易に飛びついてしまうことは避けるべきだと思います。もちろん、よくよく考えて、過去実績を踏まえてこれくらいならできそうという内容であり、かつ万が一リスクが発現した時の対処まで考えているならば、この限りではありませんが…。

素直に人に頼めるということも、大切なスキルです。人に頭を下げることの価値を、過小評価してはいけません。それで、後に大きな失敗につながったりするよりは、遥かに良いことでしょうし。意地とプライドのために失うものは多いと思いますが、いかがでしょうか。

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コメント

私がクライアントによく伝えているのは
『苦手なモノから逃げずにおっしゃぁ!やってみるか!!の気持で臨んでみて。
やっているうちにどうしても自分で乗り越えられない壁や物事の限界が分るはず。
そういう時は周りに素直に手伝ってと声をかける必要性も学んで欲しい』
という事です。
障害特性の程度にもよりますが、ある程度は自分で壁や限界を客観的に理解して
おくことも必要だと思っています。
特に軽度と言われる人達はこれが分かっていないと追い詰められてしまうから…
実際助けてって言っても良いんだと知らなかったとか、どこで助けを求めればいいのか
分らなくて困っていたという声も多くあります。
努力なしで手伝ってと言われても周囲が特性とその本人を理解していないと甘えだと
判断されてしまうでしょうからね。

瀬津喩さま

コメント頂きありがとうございます。

やらず嫌いはやはりダメだと思います。やってみて、「ああ、ここまでならできる」あるいは、「ここからならできる」というところを見つけられれば、その分本人も達成感が感じられてやる気が増すだろう、と思っています。

「助けて」と言っても良いんだよ、と予め教えていても、実際に自分から声を上げることが苦手な子が多いなあと感じることが多いですし、助けを求められるというのも一つの才能だと感じます。

自力と他力をうまく組み合わせられれば良いのですが、それができるのは健常なのでしょうねえ。

今回も胸にささります。

どんな時代になろうと、転んでも一人で起き上がる力をつけさせたい
と、恐らく子より先に死にゆく私は思っていました。
どうしようもないとき、周りに助けを求める事も必要ですよね。「みんな共に同じ時を生きる仲間」と差別や偏見の目を持たせたくないって教えているくせに、一人で起きあがれ!は寂しいですよね…私、矛盾してるかぁ…と笑ってしまいました。
手をさしのべてもらったり、背中を押してもらったりは健常さんでも当たり前。もちろん、自分が逆の立場も。
自分がそうやって生きてきたくせにどれだけ発達障害の息子を強靭にしようと思っていたのやら…
強い子に育てたい、いずれはたった一人でも生きていけるように!なんて思ってたけど、違いますね。
みんな共に生きているから、助け合いがうまれて、みんなで生きていくんですよね。
人が困っている時ばかり敏感に、○○してあげたら?○○って言うと元気でるんじゃない?と子供に声をかけていましたが、逆に自分が困っている時も周りに助けてって言えばいいんだよって事も付け加えなくてはいけないですね。

北田さま

コメント頂きありがとうございます。

できるようになるために努力することも、できないと判断して助けを求めることも、いずれも大切です。

その見極めが、自在にできるようになると良いのですが、これは個体の問題となるため統一的な見極め基準を作ることは難しいでしょう。

また、発達障害の子は、気持ちの切り替えが困難なことが多く、最後まで自分でやることに固執する可能性も少なくありません。

彼らも、できないことを喜んで目指しているわけではないでしょうから、例えば3回挑戦してみてできなければ助けを求める、というルールを設定して反復継続しているうちに、多少改善するのではなかろうか、と考えています。

少なくとも、バンザイ突撃よりは、勇気ある撤退の方がマシだと思いますし、子がこのような選択ができるよう教えていくことが肝要かと。

ありがとうございます。
我が長男は、一年生までよく言われるのび太型の完全なるのび太くんでした。やる前から、どうせボクはできない!と言っておりました。それから二年、今は、あれもこれもやってみる!向かってみる!と前向き。その変化をほめておりました。
「無理かもしれんけど、やってみるわ」は初めて何かをする時の口癖。できたら「初めてなのにすごくない?!」と褒めて~!の猛アピール。ダメなら、「やっぱりできないと思ってたぁんだ…だって○○だもん」と言い訳風。でもこうやって言う事で、できなかった自分を追い詰めないでいるようです。逃げ道を自分で考えて自分を守るのも大事かなって思った事があります。チャレンジできた事が何よりすばらしいんですけどね。
でも、本人に苦痛としかならないものを求めては自分を守る事も難しくなりますね。ハードルは本人にあった高さを求めていかなくては苦しいですね。
がんばった事はとてもほめてやりたい。結果はどうあれがんばった事実を力にしてほしい。ただ、ハードルに向かわせる前に本人の限界を見極めてからでないといけないのですね。自らを守るための限界、逃げ道を知るのは大事ですね。

北田さま

コメント頂きありがとうございます。

発達障害の子って、プライドが高いことが多いですよね。そういう話をよく見聞きします。

コミュニケーションが人との相互作用であることを考えれば、そういう能力が弱い彼らは、多分一段降りて相手に譲るということが不得手なのだろうと思いますし、それができないことから、「結果として」プライドにしがみついているように見えてしまうのだろう、と考えています。

言い訳ができることも能力の一つだと考えたら、ちょっと前向きに評価できますよね。

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