« (489) 新年を迎えて | トップページ | (491) できないこと »

2015年1月12日 (月)

(490) 兄妹ゲンカへの対処

冬休みが終わって、第一週を何とか乗り越えて迎えた3連休。明日からまた学校が始まりますね。

学校が始まってホッとする理由としては、家での兄妹ゲンカが減るという極めて世俗的な事情があります。

息子は、「自分は兄であり、年長者である」という自覚と思いを持つのは社会的な立ち位置を自覚できているということを示しており、甚だ結構なことだと思いますが、その分妹の自分への態度が気に入らなくなっているというマイナス面を伴ってしまっています。また、妹は妹で、いわゆる女の子的な身過ぎ世過ぎが身に付きつつあるせいか、口が達者でうまく立ち回ろうとします。

この両者が同じ場所に長くいると、物理的に衝突しやすい状況が現出してしまいます。

妹が兄に対してちょっかいを出すと言った方が良いのでしょうか、ちょっと嫌味っぽいことを言いますし、それに対して兄は、特性も相まって過剰に反応してしまいます。お互いに、それを言ったところで相手が折れて頭を下げることなどないことなどとっくの昔にわかっているはずなのですが、まだ経験から学び、自らの行動を変容するところまで至っておりません。

親として、兄に対しては、イチイチ反応せず聞き流すことを繰り返し説いていますし、妹に対しては、言わなくて良いことを言わないように、とたしなめていますけど、あまり効果が出ていません。そうすればお互いに角突き合わせずに済んで楽になることが、まだ想像できないのでしょうね。それでも、一時ほどケンカのボルテージが高くなくなっている、という印象はありますが、こういうことが頻繁だと、親としてもちょっと辛いところです。

でも、兄弟姉妹がいてケンカをしたことがないという人は、まずいないのではないでしょうか。私にも姉がいて、恥ずかしながらしょっちゅうケンカをしていたことを記憶しています。そういう姉と今会っても、ケンカになることはありません。いつかはお互いに大人になって、譲れるようになる時がやってくるのだとは分かっていつつも、何とかならないかなあという気持ちはどうしても湧き起ってきます。

療育の先生等に伺うと、「今は、お互いに譲り合いができない段階だから、一緒にいないように親が仕切って物理的に離すよう心がけるしかない」というお答えでした。確かに物理的に近くにいなければ、ケンカにもなりませんよね。

個人的に、ケンカについては、障害児・健常児で対処を変え過ぎてはならないと感じています。ありがちなこととして、健常児に我慢を強いてしまうということがありますが、これはよろしくないと思っています。これをやると、健常児のナチュラルな感情表出が阻害されてしまいますし。

もちろん、多少は配慮をしますけど、基本は是々非々であり内容や状況を考慮して理屈で説明するような対処をしています。

喧嘩両成敗という古人の考え方は、社会をうまく回すための知恵だな、と改めて感じています。

« (489) 新年を迎えて | トップページ | (491) できないこと »

家庭での様子」カテゴリの記事

コメント

初めて書き込みさせていただきます。北田と申します。私は小3の発達障害の息子と、小1で通級に通う息子と、3才になった娘をもつ母です。最近、悩む所があり、ネット検索中このブログを拝見致しました。まさにいい出会いでした。読めば読むほど涙がとまりません。分かる分かる…が吐き気がするほどの苦しみを溶かしてくれるような気がしました。
今回の兄弟喧嘩も然りです。あるある!(笑)
うちだけじゃないんだ~他にもあるんだ~って少し安心しました。私もまたがんばれそう。
これからも心の勉強としておじゃましに来させてください。

北田さま

コメント頂き、ありがとうございます。

何かの役に立てばと思って細々と続けているブログですが、実際にお役に立てているようで、私もとても嬉しいです。

ありがたいお言葉を励みに、これからも頑張りたいと思います…ただ、中々ネタも尽きてきておりますので、何かご要望がありましたら、何なりと仰ってみて下さい。

明日は低気圧が接近してきますし、お子様達の機嫌が悪くならないことをお祈りしております。

ありがとうございます。

私は今、私の子に対する思いと小学校の校長先生との思いが違っていて悩んでおります。(担任の先生、教頭先生は私と同じ思いなのですが)
校長先生も自分の子供時代に辛い思いがあるようで、自分は発達障害だと思うとお聞きしました。私は二人しかいない支援クラスの子供の母と言うことでお聞きする機会がありました。だから、周りに理解をもっと求めたい!と少々強引なかたちで策をうちだしていかれるのですが…あまりこちらの気持ちや当人達の気持ちは無視されたかんじなのが気になるのです。
担任の先生も教頭も守ろうとしてくださるのですが、あまり効果はなく…
校長先生に自分は発達障害だと思うと言われてから、私は思いをいい辛くなったんです。校長先生と将来の我が子を重ねてしまうんです。あぁ、こういう場面で困るのか。組織になるとこんな風に自分も周りも困るのか…と具体例を見せてもらっているような気持ちになって、なんだかこれ以上言いたくないと思ってしまい…
校長先生の思いが強くこうと決めて突っ走るのが見ていられなくなってきたんです。私はこう思っているので…こうの方が子供も喜ぶと思いますが…と言ってもなんだか伝わらない。
担任の先生は、うちの子やその家族を守るためなら喧嘩になってもいい!っておっしゃるくらい強く話はしてもらっていますし、教頭先生もがんばってくださります。それがまた辛いんです。
我が子や私達家族のために、力になってくださる先生方の立場が悪くなるのも辛いばかりです。
肝心な周りへの理解はさほどよくなるわけではありませんし、むしろ逆では…?と感じてしまいます。
校長先生の気持ちは有りがたい。けれどやり方がマズイのではないかと。
どうしていけばいいのか分からなくなってしまいました。
校長先生のやり方を認めて、何がおころうと我慢していくのが、当然なんでしょうか。先生は選べませんし、そういう場合でもうまくやっていくのが当たり前ですよね。子供のフォローもしつつ私がどう思うようにすれば「うまくいく」のか分からないんです。
私事なのに長々とすみません。

北田さま

コメント頂きありがとうございます。

推測ですが、北田さまは我が子のリアルの学校生活に影響が出ることを懸念された結果、若干抽象的に書かれておられることと拝察致します。それは、やむを得ないことでしょう。ただ、そのために校長先生が実際にどのようなことをおっしゃって行動に移しているのかまでは読み取れませんでした。ですので、多少ズレたことを書いてしまう可能性が高いことをお許し下さい。

校長先生の「周りに理解をもっと求めたい!」というお気持ちは尊いものだと思うものの、理解を求める対象が何なのかな、と若干疑問を感じました。

私達親も、理解という言葉をよく使いますが、理解の対象は大きく二つあると思っています。つまり一つは、障害特性によって変わった行動を取る子がいるという知識、もう一つは、目の前の(我が)子が変わった行動を取ることへの受容ではないかと思っています。

実際は、この二つの両方が混じっていることが多いと感じています。

ただ、ご自分も「発達障害だと思う」という校長先生が求める理解は、恐らく受容よりもかなり知識の側によっているのではないかと思うのです。

ものすごく雑な言い方をすれば、目の前の子が生きやすいよう配慮をしてもらいたい親にとっては、校長先生が周囲に対して障害一般に関わる知識を持ってもらうことに執心してしまうと、明らかに方向性が自分の求めるものと違ってしまって、ニーズに合わないだろうと思います。そもそも、障害に対する知識の習得を強いるようなやり方だと、子どもも負担感を感じますし、却って反発を買って我が子のためにならないということも十分に考えられます。

実は、理解するって知識にせよ受容にせよいずれも手段であって目的ではないだろうと思っています。目的は、子が生きやすくなることだと考えれば、私が北田さんの立場であったなら、今の校長先生の発案によって、子の生きやすさにどうつながるのかを筋道を追って具体的に校長先生にご説明頂くようにするだろうと思います。

ここで、「とにかく理解を求めることが大切だ」というアバウトなご説明であったなら、理解を求めることは目的ではないことを淡々とお話するしかありません。

根本的に考え方の合わない人との話し合いは、結構面倒臭いことではありますが、これは踏み越えるべき場面だと思います。

ありがとうございます。
私の下手な文章からよく分かっていただけた!と感謝と感動がまずひとつ。ごめんなさい。分かりにくかったですね。大正解とくす玉を割りたいほどのお返事です!私が思う理解は受容の方の理解で、校長先生の理解とは知識によるものです。こんな子もいればこんな子もいる、十人十色の子供達をそのまま、受け入れてもらえるような理解を願い手段を担任と支援クラス保護者で話し合っておりました。でも、うちは田舎で全校34人の小学校、学年問わず入り乱れて遊ぶ中にもちろん差別やいじめは聞きませんし、我が子の事も、「○○するのが苦手みたいだけど落ち着いたらできるし、△△はすごいよね!」と子供達は息子を通して意外とドーンと受け入れてくれたようです。そのような理解をこんどは子供から親、地域の方が気づき大切にしていただけたら…と思っております。
校長先生は知識理解を求めておいでで、新年あけての校報が発達障害の文献を引用してのせ、こういう子達もいるから理解してください、というものでした…しかも説明文がヒドイ文献で、私の息子にあてはまらず、見ていて暗くなるようなものでした。うちの小学校で発達障害とみとめられた子は二人。我が子をよく知らない地域の方はこの嫌な文献通りだと思われるのか…と不安も残ります。それに対して校長先生は最近グレーゾーンの子供も増え、あちこちでトラブルが起きているため校報に載せたとの事で、我が子に対して書いたものではないとの返事。
納得がいかないままでした。
実は明日参観日なんです。
時間をとっていただけるか調整してもらっているところです。時間がかかれども、気持ちはきちんとお話して、子供が楽しんで行ける学校であって欲しいと思います。
お返事を拝見し、絡まった糸をほどいていただいたような気がします。理解に繋がる手段、方法、しっかり考えていきます。最終的に、校長先生も私も分かって欲しい思いは同じだから、たくさんたくさん話せばまた何かいい方法がうまれるかもしれないですね!今後の息子の将来につながるような話し合いをたくさんしてみます。
ありがとうございます。

北田さま

コメント頂きありがとうございます。

まずは、話し合いをするところから始めるしかないと思います。ただ、話すからにはより良い方向に進むことを目指すべきで、そのためには非を責めるよりは目指す着地点を示してお話した方が良いだろう、と愚考します。

私は、発達障害であるか否かはそもそもあまり問題ではないと考えています。子が直面している困ったこと、苦手なことという事例に基づいて、そういう場合にはこういう対処をして欲しいと伝えて対処されることで、親としての希望は満たされるわけですし。

大上段に構えた障害議論は、あまり効果が無いと思います。

多分、最初から議論はかみ合わないかも知れませんが、頑張ってください。

応援しています。

ありがとうございます。
子供にとってよい話し合いになるようにします。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: (490) 兄妹ゲンカへの対処:

« (489) 新年を迎えて | トップページ | (491) できないこと »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ