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2014年11月

2014年11月29日 (土)

(484)発表会に思う

皆様のところでも各種の「発表会」が行われていることと思います。

音楽・演劇・ミュージカル等多彩なバリエーションのある発表会。そのシーズンも、そろそろ終わりになりつつあると思います。

正直なところ、昔ほどではないにせよ、この手の行事が近づいてくると、毎回胃と心が痛くなります。一言で言えば、「今年はどうだろう?」と心配と不安がムクムクと心の中いっぱいに広がってしまうのです。

毎回思うことではありますが、発表会って誰のためのものなのでしょうか。この行事をやらないと学校教育が崩壊するわけでもありません。親も「せっかく発表会があるのだから見に行こうか」と考える程度の人が大部分で、「我が人生は子の発表会を見るためのものであり、それより他にない!」というほど気合を入れている人は、まあいないのではないかとcoldsweats01

ゆとり教育を脱して学習内容が増えたことに伴って、子どもの負担感は増えているのですから、この手の行事もスクラップ&ビルドが必要なのではないかと思います。もちろん、全部無くせというつもりもありませんけれど。

このあたりは、会社の業務と同じで、時間は有限なのだから、優先順位をつけて劣位のものは減らす・やめるという決断が必要なはずですが、それに誰も手をつけようとはしないということなのでしょう。

今回、息子は頑張りました。でも、不器用な子にとって、楽器を弾くということはすごくハードルが高いことなのです。ツェルニー40番までやった私としては、至極簡単なことなのですけれど、そもそも楽譜を読むことからして苦手であり、楽譜の指し示している音は何かを瞬時に理解し、指を的確に動かすということは、やはりできる子ばかりではないなあと感じます。

発達障害で不器用な子を育てる場合、このことは達観するしかなくて、できないことは無理にやらなくても良い、特に将来使わないであろう技能については、周りからどう思われようと「捨てる」覚悟も必要になります。

でも、息子に「できなかったら、息は吹かずにやっているフリだけしても良いのだよ」と伝えたところ、「それはイヤだ!」と拒否されました。彼の中にも、みんなと同じことをしたい、という思いが芽生えてきていることを感じ、そのようなアドバイスをしたことが本当に良かったのか、若干の後悔を感じたりもしています(でも、私が言っていること自体は、世渡りのテクニックでもあるしなあ、という思いもあり)。ホロ苦いですねえ。

何はともあれ、今年度のその手の行事はこれでほぼ収束したこともあり、小学校生活も何とかなってきたなあという安堵と、あと1年半も無いなあという焦燥を感じています。

2014年11月20日 (木)

(483) 乳歯を抜く

息子の歯がややズレて生えてきたため、医者に相談したところ、「まだ残っている乳歯が邪魔しているからですね」と説明しつつ、

「じゃあ抜きますか?」

とこともなげに提案してきました。

でも、このように言われて、断る理由も特段無いわけで、まあ、しょうがないなあとお願いしました。

息子は今5年生。読者の方からは「あれ、まだ歯が生え変わっていないのですか?」と問われるかも知れません。

実は、私も乳歯が抜けて全部の歯が生え変わるのは極めて遅かったです。6年生の時に学校で歯が抜けて、「お前、赤ちゃんか?」とバカにされました。今でも心の傷になっています(ウソですw)。その後、歯の生える隙間が無かったのか、私の場合は変なところから生えてきた歯があって、それは永久歯でありながら結局抜歯することとなってしまいました。そのようなこともあって、息子のこの事態はもしかしたら遺伝かも…と思っています。

息子は、初めて歯医者さんで麻酔を打つことになったのですが、幸いその時はそれほど嫌がらず、抜歯手術(大げさ!)も無事に終了。私は、あの麻酔を打つ時のチクリ感がかなりイヤなのですが、それも無かったようです。

ところが、家に帰ってから麻酔独特の痺れるような変な感じ(としか自分の経験からも表現できません)に、息子はかなり不機嫌になりました。

確かに、大人でもあのボワーンとした感覚はしばらく残りますし、何より口のしまりが無くなってお茶を飲むのにも一苦労するわけですから、これはまあやむを得ないことなのだろうなあと思っています。

翌朝には、口の中のことなので出血も収まり、口の感覚も元に戻ったようで、それ以上このことで不満を漏らすことはなくなりました。

終わってしまえば、どうってことは無いことかも知れません。でも、note大人の階段のぼる、とワンフレーズが頭に浮かぶようなできごとでもあって、このような経験を成長するに従って少しずつ積み重ねて大人になっていくのだな、とちょっと遠い目をしてしまいました。

何はともあれ、お疲れ様でした。

2014年11月15日 (土)

(482) イヤがる要因を深掘り

運動会、学校公開授業参観、発表会等、秋は学校行事が目白押しですよね。

息子は、元々学校が嫌いで登校渋りがあるのですが、これらの行事ごとに対しても更に拒否感が強いです。

最近、このようなことに対して、発達障害児の性質としてよく言われる「普段と違う雰囲気・状況で、どう振る舞って良いかが分からなくなる」「感覚過敏により音やざわつきが苦手」、という理解の仕方だけでは足りないのかも? と考えるようになりました。

具体的には、息子は成長していることもあり、それも含めてイヤがる要因を深掘りしてみると、

one「多くの人が見に来る本番で、失敗したらどうしよう?」 と不安に陥ってしまうこと(=先の見通しが少しずつつけられるようになってきていること)

two行事でやる(やらされる)内容(運動会や発表会は、体を動かしたり歌ったり楽器を弾いたりしなければなりませんよね)自体が、自分の好きなことではないこと

three元々休日であるはずの日に、(嫌いな)学校に行かなければならないこと(=イヤなことの量が増えること。土曜日に出た分、月曜日は振替休日になることがほとんどなのですが、たまに単純に休日減になってしまうことがあります)

four逆に、ほとんどは土曜日に出た分、月曜日が振替休日になるのですが、それでも体に染みついた「土曜日はお休み」というルールの変更への対応が困難であること

fiveストレス耐性が低く、すぐにイヤな気持ちになり、かつその気持ちをストレートに表現してしまうこと

も要因として加わっているのではないか、と考えています。

視点を変えると、成長して伸びたことによる部分one、健常児でも同様に感じる子もいるであろう部分twothree、そしてまだ特性が残存している部分fourfiveの混在・相乗効果で、学校行事に対する拒否感が生まれているのだろう、ということです。

イヤでも頑張ることって、健常の大人でもみんながみんなできていることではないことを踏まえれば、やむを得ないと割り切らざるを得ない面もあるとは認識しています。従って、そういうイヤだという気持ちをまずはキチンと受け止め、感情的な対応をしたり、理詰めで説得するようなことは、できるだけ避けるようにしてはいます。

このあたりの対応は、毎回ギリギリの攻防の中で、息子の抵抗疲れwを待って気持ちを切り替えさせ、何とか乗り越えてきています。一応これまでのところ、途中でリタイヤすることにはならずに済んできていますし。

結果オーライではあるものの、息子も「二分の一成人式」を既に済ませており、大人への階段もだいぶ昇ってきているとも言えることから、親としてはこの先大丈夫かな? 間に合うかな? と不安になることはあります。

これを、「じっとこらえてゆくのが障害児親の修行」なのでしょうねえ。

2014年11月 6日 (木)

(481) イヤな風潮

いきなりですが、日本は戦後もうすぐ70年が経とうとしています。この間、国民は曲がりなりにも戦禍に苦しむことも無く平和に過ごすことができています。波風が立たず、秩序が保たれた状態が長く続いている、と評価することもできます。

しかしながら、その過程でバブル崩壊後20年以上が経過し、景気の悪い時代が長く続き社会の隅々から余裕が失われてきました。しかも消費税は上がり、追加利上げも視野に入り、加えて既に年金の受給開始年齢は引き上げられています。今の若者は、景気が良いという経験をしたことがないのです。

他方でここ数年、パソコンが無くてもスマホから簡単にネットに接続できるようになり、情報を得られるようになりました。その裏腹で、出版不況が恒常化するようになっています。かつて、時間つぶしに文庫本を携えて行くことは普通にあった生活の知恵ですが、今では時間つぶしもスマホに取って替わられた感があります。結果として、深く物事を考える習慣が薄れ、コピペばかりで表現も独創性が失われ、一つの情報に皆が簡単に乗っかってしまう危険性があるように感じます。

以上に述べたことが直ちに原因だとまでは言えないものの、何らかの影響はあるだろうと思っていることとして、今の世相を覆う閉塞感・将来への不安感に対する直接的・刹那的な言動・行動が増えてきているのではないか、という受け止めがあり、そのこと自体がさらに先行きに対する不透明感を増大させるというイヤな風潮を生み出しているように感じています。

この風潮の中で、障害児の親としては、福祉というものの世間の印象が昨今かなり悪くなってきていることを危惧します。

本来、福祉とは自由(競争)主義を前提としつつも、その行き過ぎに対する修正を行うための原理として存在する概念で、個人の尊厳を守るための一手段として認識すべきものだと考えています。

生活保護の受給者に対する攻撃的・侮蔑的な言辞、盲導犬に対する卑劣な傷害、児童養護施設に対する浅薄なドラマ化、マタニティハラスメント、電車の中でのベビーカー論争、白杖に対する批判、等は、皆人を人として尊重するという基本的な考え方が、まだまだ社会に浸透していないことを示していると思います。

確かに、できるのにやらない人がいるならば、改善の余地があります。それはそれで取り組むべきだと私も思います。でも、できないことはやれないわけですし、できない人・弱い人に代わって、できる人がいてその人の負担がそれほど大きなものでもないならば、その人にやってもらうこと・負担してもらうことは合理的だと考えます。少なくとも、それほど悪しざまに言われることだとは、私は思いません。

昨今、已むに已まれぬ思いを乗り越えて救いの手を求めている人がいる、このことへの想像力が少なからぬ人から失われてしまっていることは、とても残念に思いますし、そもそも弱い人を叩くことは全く美しくありません。そのようなことをして、それで本当に溜飲が下がるのか、大いに疑問です。

朝の通勤電車の車内放送で流れる、人身災害による他路線の電車の遅延情報が日常になり、それを聞いても腹立ちしか感じなくなる人が増えるのは、とても寂しいことだと思うのです。

我々が目指した社会はこのようなものだったのか、今一度考えるべきだと感じています。

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