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2014年10月

2014年10月29日 (水)

(480) 忙しそうだから

今回は、小ネタです。

日曜日の夕飯でのこと。

ネギが好きな息子は、ソバにせよ味噌汁にせよ、ネギを入れたがるという状況があります。しかしながら、たまたま息子が妻に「お母さん、ネギ取って~」と言った時、妻は妹の用事(肉を切る、お茶をコップに注ぐ)で手が付けられませんでした。

そうしたら、息子は、「お母さん、忙しそうだから自分で探すね」と言いつつ、冷凍庫に刻んでジップロックに入れて保存してあるネギを探し出して、無事に手に取ることができました。

このような日常のありふれたできごとではありますが、母親の状況を見て今すぐは無理そうだな、という判断ができ、それに怒り出すこともなく、極めて的確に自分が行動を起こすことができるようになっていることに、驚きと感動を覚えました。

このようなことは教えてもいないだけに、子は親の知らないところでもちゃんと成長するのだなあということが分かり、うれしくなりました。

子の成長に対し、感度を高く持つことは、喜びも多くなりますね。

2014年10月26日 (日)

(479) あの子がキチンと座っている

昨日のことですが、はるか昔(未就学時代)に息子と一緒に療育を受けていた子と、たまたま出会いました。

当時のことを思い出すと、確か極めて落ち着きが無い子で、先生が課題内容を説明している間も別のことをやったり、その最中でも飽きるとすぐに脱走するような子でした。たまたま廊下に居合わせた私が、その脱走を止めたこともありますconfident

その子とは、小学校入学後ずーっと出会うことも無かったので、かなり記憶が薄くなっていたのですけれど、4年ぶりくらいですかね、たまたまバス停のベンチに親子で座っているところに出くわしました。

見ていると、座りながらカバンの中の何かを整理しているようでしたが、パッと見には全く普通の子に見えました。いや、変われば変わるものだな、と感心しました。いつまでもズーッと変わらないことも無いのだな、と他人のことながら嬉しく感じました。

こういう感覚って、きっと普通の育児をしていたら持つことも無いだろうと思います。そして、他人の子と比較してうらやましい、妬ましいという感覚を持たずに済む育児ができることは、実は幸せなことかも知れないと感じています。

多様性、もっと俗っぽく言えば種々雑多な子の個性を認められれば、比べること自体がバカバカしく感じられて、必然的にネガティブな感覚って持ち得なくなるのですね。意外とこういう感覚は、一般には理解されにくいことかも知れないですね。

世間一般では、秋以降は受験期になって、小6のクラスは荒れがちだと伺います。勉強という一つの価値観だけで判断されることって、確かに辛いだろうなあと感じます。

2014年10月19日 (日)

(478) どこまでを目指すのか

発達障害は、持って生まれたもの。改善はするが完治はしない。

一般的によく言われることです。

でも、「改善はする」というのであれば、ではどこまでイケると思いますか?

意外とこのあたり、詰めて考えたことは無いのではなかろうか、と感じています。

一般論として、願望はいくらでも持つことができます。でも、実現性が無いことまでイケると考えてしまうと、結果としてかなりシンドイことになりますよね。第一長続きしませんし。

どこまでイケるのかを冷静に考えることで、目標としての目指すところが定まってくるのだろうと考えています。

発達障害に関わる人の意識の中では、日本の社会は細やかな気配り・気遣いを尊ぶことから、空気を読むことが苦手な発達障害者にとっては海外よりも生きにくいことが多いのではないか、とてもできないところまで目指せられているのではないか、と考えられがちです。でも、私は必ずしもそうではないだろうと思っています。

例えばアメリカ人の場合は、大勢の人(知らない人も含む)の集まるパーティーにキチンとした身なりを整えて参加し、如才なく挨拶を交わし、にこやかに談笑。時折ジョークを交えて周囲を沸かせることまで期待されてしまう、という日本とは別の社会性が求められており、これはこれでかなりハードルが高そうです(よね?)。

勝手に憶測で申し上げますが、こちらに来られている読者の方で、発達障害者がこのような振る舞いまでできるようになる、だからそれを目指すべきだ、と考えておられる方ってまずいないと考えています。

目指すところは個体によって異なるでしょうから、一般化した議論の余地はあまりないかと思います。但し考える方向性については、Needs(必要性。これくらいはできないと困る)から考えるのではなく、Seeds(持っている能力の種。この能力をうまく活かせば、ここまでは行けそう)から考えるべきだと感じています。

私の場合、息子については、周囲の支援を得ながら、何とか社会の中でやっていける程度の業務スキル、最低限の意思を伝えられるコミュニケーション力、犯罪は悪いことだと認識できる程度の善悪の判断力、身の回りのことは自分で何とかこなせる身辺自立能力が必要だと考えており、その能力の獲得や伸長のための示唆や指導を気長に少しずつやってきています。

息子は勿論、周囲の発達障害児を見ている限り、彼らの人とのコミュニケーションの硬さ・ぎこちなさはいかんともしがたいのではないか、と感じています。どうしてもコミュニケーションの入出力が0か100かと極端で、その中間でバランスを取ることが難しい特性があるなあと感じつつも、まあそれでも昔に比べれば必要なことをそれなりに伝えられるようになりつつはあって、当面息子の目指すところは現状で維持したいし、できると感じています。

なお、目指すところは不磨の大典ではありません。状況に応じ適宜見直して構わない、むしろそうするべきだと感じています。このさじ加減は、難しいですが。

2014年10月12日 (日)

(477) 予定の変更への弱さに思う

息子は、運動会や授業参観その他の学校行事で土曜日に学校に行くことを、その行事そのものへの忌避感とは別に、イヤだと感じているようです。

自分は最初、発達障害の特性とされる「予定の変更への弱さ」が出ているな、と思っていました。

でも、例えば先週始めに台風で学校が休校になった時には、全く問題ありませんでした(恐らく、14日(火)もかなりの確率で休校になりそうな感じです)。

これを客観的に見れば、これも急な予定の変更のはずなのに、どうして大丈夫なのか、ということになりますよね。

これらの事実を止揚すると、息子は単純に学校に行きたくないだけであり、自分にとって利益になることであれば、急な予定の変更といえども全く問題がない、ということが分かります。

平たく言えば、自分に都合が良い予定の変更には、全くフリクションを起こさない子もいる、ということかな、と。

このようなこともあり、発達障害って療育書に書いてある通りではないのだなあ、ということを再認識します。

この間合いを体得できるようになるまでには、そこそこ時間を要すると感じています。

2014年10月 8日 (水)

(476) 言葉に出して伝える

発達障害児がコミュニケーションに障害を抱えていることは、私が今更申し上げるまでもないことでしょう。

と言うよりも、これこそが最後まで残る「障害のコアとなる特性」ではないかと思っています。

相手の意図を読み間違える、ということももちろんですが、それ以前に自分の意思をキチンと表示しないということも、この特性から来るものだろうと推測しています。

自分の頭の中にあることは、人も分かっているだろうと思い込んでいる節があります。親といえども、言われなければわかりません(よね?)。

例えば、息子に「夕飯に何が食べたいのか?」と聞いて即答されることはまずありません。あれこれ考えているうちに他のことに意識が移って、結局何も言われないままということがよくあります。

それで、親としては「まあ、これなら良いだろう」というものを作って(或いは買って)しまうと、それに対して不満を述べられることが、(毎回ではないにせよ)そこそこあったりします。不満を述べる前に、自分が食べたいと思うものを言えば良いと思うのですけど、これが息子にとってはすごく難しいことのようです。

我が家の場合、妻とも相談して何かそういうことがあるたびに息子に対し「自分の気持ちを言おうね。お父さんもお母さんも、言われないとわからないよ」と伝えるようにしてきています。実際、何も言わないと(結果として)自分の意に反する結果を招くことになるという経験によって、意思を伝えた方が得である、ということがわかり、意思を表示する行動が強化されるのではないかと期待しており、このこと自体は決して間違っていないと思うのです。

ところが、一たび世の中に足を踏み入れると一筋縄ではいきません。この教えに反すること、例えば「君はイチイチ言われないとわからないのか?」「それくらい、ちょっと考えればわかるだろう?」とド叱られることも少なくありません。もし、このようなことを言われたら、きっと混乱しますよね。

もちろん、これは内容と状況のケースバイケースによることは当方も理解しています。でも、それではそのケースバイケースを事細かに子供に教えるができるのか? と問われたら、不可能とまでは言いませんが極めて困難ですよね。せいぜい後追いで解説することができる程度で…。

一歩引いて考えれば、元々健常者と感覚が異なる特性を持って生きる以上、自分の思いを伝えていく努力をしないと自分が理解されないことにつながってしまうがゆえに、このような社会での現実があるとしても、それでもなお自分の思いを伝えることは大事だと教えるしかないだろうなあ、というのが私の今のところの結論です。

これって、発達障害の子を育てる際の関門の一つになると考えているのですが、如何でしょう?

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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