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2014年8月

2014年8月26日 (火)

(470) 昔の記憶

息子と一緒に出掛けた先で、ばったり幼稚園の先生とお会いしました。

もう、息子は卒園して4年以上が経過しています。

先生は、「あ、久しぶり~、元気だった~」とかなりフレンドリーに話しかけてくれたのですが、息子はニコリともせず、「…こんにちは」と一言。

私の方がいたたまれなくなって「息子君、覚えてるよね?」と聞いてみたところ、

「うーん、あの時一緒だった先生だよね」と言い出しました。

恐らく息子の言う「あの時」とは、お泊り合宿の際に補助についてくれた時のことを言っているのだろうと推測致しますが、彼の記憶からの言葉はここまででした。

先生の方も息子の特性はご存知なので、あまり気にされる様子はありませんでしたけれど…。

息子は、元々相貌認知が健常の子よりもかなり弱いという特性があります。この点で思い出すエピソードとしては、このようなことがありました。年中になったばかりの頃、年少時にお世話になった先生と、今回と同様に外のショッピングセンターで遭った時には、「この人誰だろう?」と言わんばかりの対応を見せ、この先生はかなりのショックを受けていました。

おそらく、幼稚園の先生の(制服ではないにせよ、よくありがちな)割烹着系の服装ではなく、普段着であったことが敗因であったのだろうと想像しますが、息子が顔に注目して記憶する力が弱いのだな、ということを痛感したできごとでした。

今回は、そのような「実績」からすればちゃんと覚えていたことは格段の進歩だと思いますけれど、もうちょっと会話が弾んでも良いのだよなあ、と思ったことでした。

帰宅して妻にその話をしたら、「でも、息子君が『いやあ、その節はお世話になりました。今日は、お会いできてうれしいです』等と言い出したら、似合わないよねえ」とのコメントをもらい、それはその通りだなあと感じてしまいました。

このようなイマイチの経験も、場数を踏むうえで大事なんだよなと思うようにしています。

2014年8月22日 (金)

(469) 胎内記憶

前2回が重い話題だったので、軽い内容にhappy01

まだ結婚する前から聞いていたことではありますが、お腹の中にいた時の記憶(胎内記憶)を持っている子がいる、という話があります。

息子がまだ妻のお腹にいた時のこと、お腹の中の息子に話しかけていたら、出てきた時にその頃の話をしてくれるのではないか? と淡い期待を持っていました。

しかしながら、発達障害の子は一般に言葉が遅いですよね。加えて、親の側も、息子の発達への懸念やその対処に追われているうちに、いわゆる胎内記憶を話す適齢期は過ぎてしまいました。

娘はそういう懸念は無かったものの、兄である息子の療育対応に関心が寄っていたこともあって、結局二人とも、お腹の中にいた時の話をする、ということは行われないままになってしまいました。

そもそも、そんなものは無い、という否定意見もありますから、それほど深刻に考えるべきことではないのでしょうけれど、そのような機会が持てなかったのは、ちょっと残念ですね。

発達障害の子の言葉の遅い特性は、そもそも適齢期を逃してしまう(発達障害児にとっての適齢期はまた異なっているのではないか、という仮説も成り立ちますけれど)ことにつながりやすいということに加え、質問意図を的確に把握して応えることも困難ということになります。更に、仮に当時の記憶があっても、異なる認知によって回答もまた風変わりであることが予想されます。

いずれにせよ、あまり考えてもしょうがないことかと思いますが…

なお、一応、今聞いても「わからない」「覚えていない」そうです…coldsweats01

2014年8月16日 (土)

(468) 支援の難しさ(2)

前回は、支援を受けるにあたっての公的機関の限界に関わる難しさについて考えてみましたが、今回は、逆に支援をする側に回る場合の難しさを考えてみます。

児童福祉法には以下の定めがあります。

第一条  すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。

○2  すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。

第二条  国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。

第一条は「すべて国民は」と定めています。つまり、あなたも私も日本国民なら全て子の健全な成長に対して「努力義務」があるということです。これに対して、第二条は国及び地方公共団体が「責任を負う」ということであり、一般の日本国民の努力義務に比して負うものがより重くなっています。

障害児を育てている者として、国や地方公共団体が責任を負って頂いていること、周囲の皆さんの助力を頂けるとしたら、素直にありがたいことだと思っています。もちろん、法の理念と現実との間にかい離があることはわかっておりますが、そういう法的な義務というものをことさらあげつらわなくても、普通に周囲の理解や支援があるならば、育てやすさにつながることは間違いありません。ゆえに、自分も周囲に対して、何かあれば理解し支援をしたいと思っています。このブログもその延長上にあり、やはり何かの役に立たないかとの思いから書いております。

とはいえ、「求められれば」というのであれば全く問題無いものの、自ら積極的に手を差し伸べ励ますようなことが現実的か? については、このことを冷静に考えれば考えるほど残念ながらそうではない場合も多々ある、という結論に達してしまうのです。

支援にも種々のレベルがあり、エレベーターに乗り込もうとしている車いすの人のために、ドアを開けて待っている、程度のことは求められなくてももちろんやっています。けれど、その上となるとかなり難しいと感じています。

例えば、児童虐待の防止について。昨今、児童虐待が深刻になってきていることはご高承の通りです。でも、もし近所にシツケに厳しいお宅があって、日常的に行われている子への叱責に対して、訪問して「やめた方が良いですよ」と言えるでしょうか? 

また、発達障害に関わることでも同様の場合があります。私などは発達障害系の療育の場で多くのお子さんを見てきたこともあり、その目線の動きや体の動かし方から「アレ? この子もしかしてちょっと発達入ってる?」と感じることがあります。そしてその子は、何の支援も無しにクラスに混ざっていることがあります。じゃあ、そのことを誰かに伝えることができるでしょうか?

非常に申し訳ないのですが、私はいずれもできないです。それまでに多少でも関わりがあり、その親御さんの人となりを存じ上げているのであればまた話は別なのでしょうけれど。

厳しいシツケに関しては、恐らく私の言によって何も変わることもないでしょう。効果が期待できないだけならまだマシです。場合によっては、私が帰った後にそのお子さんに対して「お前のせいで、変な人からわけのわからない絡まれ方をしたではないか?」と余計「シツケ」が厳しくなる可能性すらあります。

また、発達についても、私は医師でもありませんから、良かれと思って言ったとしても「素人が何を言うか!」 と憤怒の目で見られることが容易に予想されます。

いや、それでもやるべきだ、という考え方もあるでしょう。でも、恐らくそれは自己満足か何かあった時の自分へのアリバイ作りにしかならないのではないか? という思いも浮かんできます。

結局、虐待が疑われる場合の対処の担い手としては、やはり児童相談所等の公的機関が一番適しており、ためらわず通報して事実をキチンと伝えることに尽きるのではないか、と考えています。

また、発達障害の可能性が疑われる場合は、相手の親御さんが困っていない限りは、残念ながら関心を持って見守ることしかできません。事実上は放置せざるを得ないと思うのです。困って助けを求めるようになるまで待つしかありません。もしそうなれば、いろいろなお子さんを診ているお医者さんがいますよ、とそちらに誘導することが可能となります。ただ、この場合も発達センターとか障害者施設という名称のところの紹介となると、受ける側もそこで拒否感を感じるでしょうから、紹介しても良い結果につながりにくくなる、と感じています。なお、何の心の準備も無い相手に、踏み込んだ発言をすることは、相手の方が思わぬ行動を取ることもあり得ます。軽々に動くべきではない、と思うのです。

前回、今回といずれも限界に行き当たってしまって、どうにもモヤモヤする結論になってしまい、申し訳ありません。でも、よく「障害に理解を求める」と言われている一方で、支援する側の悩み・やりづらさについてはあまり取り上げられていないと感じています。どうして支援の輪が広がらないのか、と悩まれている方もおられると思いますが、周囲の支援を求められる側にもそれなりに事情があるということは、認識しておく必要があると考えています。

2014年8月 9日 (土)

(467) 支援の難しさ(1)

佐世保で起こった、高校一年生の女の子による同級生殺害事件。被害者の方のご冥福をお祈り申し上げます。

事件そのものが極めてショッキングで、かつ全容が明らかになっていないこともあり、事件そのものへのコメントは、現状差し控えたいと思います。

ただ、報道を見ている限りでは、母親が死んだ直後での父親の再婚等、少なくとも私の常識に照らせば、父親の対応にいささかの疑念が無いわけではありませんが、子のよろしくない行動に対して、全く何も手を打たなかったわけでもないようです。結果として、その打った手は奏功することがありませんでした。支援というものの難しさを、改めて考えさせられます。

この事件では、精神科医の「人を殺しかねない」との児童相談所への報告もあったのに、結果としてそれが生かされなかった。つまり児童相談所は子供に対して有効なアプローチをしなかったとして、批判の声が上がっています。確かに、外形的に見る限りは主体的に何かをしたようには思われず、何かできなかったのか? という気持ちを私も抱きます。

そして、真実は不明ですが、もし内部で検討も何もしていなかったというのであれば、それは確かに非難に値すると思います。しかしながら、いろいろ検討していた結果、動くに動けないという状態であったという可能性もあります。

適切に動いていたらこんなことには…というのは、殺人という最悪の結果が明らかになっているからこそ言えることです。何も起こっていない段階で動くからには、それなりの理由が必要となります。更に、本人の同意無しに採れる手段ってかなり限られるのではないか、と思うのです。

精神保健福祉法第29条、第29条の2には「診察を受けた者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある」と「二人以上の指定医の診察」が一致すれば、「知事による国等の設置した精神科病院又は指定病院への措置入院」が可能、かつ「直ちに入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人を害するおそれが著しい」場合は一人の指定医でも緊急措置入院が可能と定められていますが、後者は緊急性・蓋然性が求められ、かつその入院は72時間までとされています(その間に、原則の方の措置入院にするかを別途判断をすることになるのでしょうけれど)。

これ、「その時」までは仲良く遊んでいた被害者・加害者の関係で適用できたでしょうか?

この点、警察は事件にならないと動かない、でも事件になってからでは遅い、という批判と通じるものがあります。でも、何かをしかねないから公権力が介入して自由を制限できるというのは、それはそれで危険なことでもあります。

こうすれば良い、という案は全く思いつきません。ただ言えることとしては、誰かを悪者にして自分の中で納得してしまうということは、あまり意味が無いだろうということです。時には世の中の不条理を、不条理なままで受け止めることも必要になる。残念ですが、それもやむなしだと思います。

2014年8月 2日 (土)

(466) きょうだいと比較

一般的な育児において、「兄弟と比較してはいけない」と言われます。でも、障害児に「きょうだい」がいる場合、やはり成長の節目節目に比較された親御さんも多いのではないでしょうか。

当家の場合は、きょうだいが下にいます。息子の発達障害の診断以後は、下の娘の成長過程において、「息子が今の娘と同じ年齢の頃ってどんな感じだったっけ?」という振り返りのネタとして、考えることが多いです。

言うまでも無いことですが、同じ年齢だった時を比較すると、娘の方ができることが多いです。けれども、だから常に娘の方が扱いやすいかと問われたら、明確にNo!です。

特に、幼い時の息子は、そのこだわりからどのような不適切な行動が出るか、についての予想がしやすかったとは言えると思います。この点、娘の方は、何でこのようなことをするのだろう? と首をひねることも少なくありませんでした。娘が、いろいろな創意工夫を試そうとしているからだ、ということが分かったのは、しばらく経ってからのことになります。

また、息子の方がABAによる療育を行ったこともあって、親子の間にある種の「お約束」ができ上がっていたことは否めません。親からすれば正しい行動を強化するための必勝パターン、息子からすればこうすれば褒められて自尊感情を高められるという期待、を相互に持てる関係ができたのは、率直に良かったと思います。そして、息子よりも実施した件数は少ないながら、娘にもこの療育の手法を用いて役に立つことがありました。

なお、きょうだいとの比較は、別の意味で役立つこともあります。障害児療育においては、どうしてもできないことに目が向きがちなことから、親はついついいろいろなことをやらせようとしてしまう傾向にあります。でも、実はこの年齢では健常児でもできないのだ、ということを、「きょうだい」と比較することによって知ることができます。

冒頭に述べた「兄弟と比較してはいけない」も、このような正しい理解や、それぞれの子の生きやすさにつなげるための取り組みであれば、やって良いこと、むしろやるべきことなのではないかと思います。やっていけないのは、「比較して、できないことだけをあげつらって、自尊心を低めてしまうこと」ではないでしょうか。

きょうだい問題は何となくイメージからオールオアナッシングで考えてしまいがちとなりますが、自分としては、このような考え方もアリだと思います。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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