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2014年8月16日 (土)

(468) 支援の難しさ(2)

前回は、支援を受けるにあたっての公的機関の限界に関わる難しさについて考えてみましたが、今回は、逆に支援をする側に回る場合の難しさを考えてみます。

児童福祉法には以下の定めがあります。

第一条  すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。

○2  すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。

第二条  国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。

第一条は「すべて国民は」と定めています。つまり、あなたも私も日本国民なら全て子の健全な成長に対して「努力義務」があるということです。これに対して、第二条は国及び地方公共団体が「責任を負う」ということであり、一般の日本国民の努力義務に比して負うものがより重くなっています。

障害児を育てている者として、国や地方公共団体が責任を負って頂いていること、周囲の皆さんの助力を頂けるとしたら、素直にありがたいことだと思っています。もちろん、法の理念と現実との間にかい離があることはわかっておりますが、そういう法的な義務というものをことさらあげつらわなくても、普通に周囲の理解や支援があるならば、育てやすさにつながることは間違いありません。ゆえに、自分も周囲に対して、何かあれば理解し支援をしたいと思っています。このブログもその延長上にあり、やはり何かの役に立たないかとの思いから書いております。

とはいえ、「求められれば」というのであれば全く問題無いものの、自ら積極的に手を差し伸べ励ますようなことが現実的か? については、このことを冷静に考えれば考えるほど残念ながらそうではない場合も多々ある、という結論に達してしまうのです。

支援にも種々のレベルがあり、エレベーターに乗り込もうとしている車いすの人のために、ドアを開けて待っている、程度のことは求められなくてももちろんやっています。けれど、その上となるとかなり難しいと感じています。

例えば、児童虐待の防止について。昨今、児童虐待が深刻になってきていることはご高承の通りです。でも、もし近所にシツケに厳しいお宅があって、日常的に行われている子への叱責に対して、訪問して「やめた方が良いですよ」と言えるでしょうか? 

また、発達障害に関わることでも同様の場合があります。私などは発達障害系の療育の場で多くのお子さんを見てきたこともあり、その目線の動きや体の動かし方から「アレ? この子もしかしてちょっと発達入ってる?」と感じることがあります。そしてその子は、何の支援も無しにクラスに混ざっていることがあります。じゃあ、そのことを誰かに伝えることができるでしょうか?

非常に申し訳ないのですが、私はいずれもできないです。それまでに多少でも関わりがあり、その親御さんの人となりを存じ上げているのであればまた話は別なのでしょうけれど。

厳しいシツケに関しては、恐らく私の言によって何も変わることもないでしょう。効果が期待できないだけならまだマシです。場合によっては、私が帰った後にそのお子さんに対して「お前のせいで、変な人からわけのわからない絡まれ方をしたではないか?」と余計「シツケ」が厳しくなる可能性すらあります。

また、発達についても、私は医師でもありませんから、良かれと思って言ったとしても「素人が何を言うか!」 と憤怒の目で見られることが容易に予想されます。

いや、それでもやるべきだ、という考え方もあるでしょう。でも、恐らくそれは自己満足か何かあった時の自分へのアリバイ作りにしかならないのではないか? という思いも浮かんできます。

結局、虐待が疑われる場合の対処の担い手としては、やはり児童相談所等の公的機関が一番適しており、ためらわず通報して事実をキチンと伝えることに尽きるのではないか、と考えています。

また、発達障害の可能性が疑われる場合は、相手の親御さんが困っていない限りは、残念ながら関心を持って見守ることしかできません。事実上は放置せざるを得ないと思うのです。困って助けを求めるようになるまで待つしかありません。もしそうなれば、いろいろなお子さんを診ているお医者さんがいますよ、とそちらに誘導することが可能となります。ただ、この場合も発達センターとか障害者施設という名称のところの紹介となると、受ける側もそこで拒否感を感じるでしょうから、紹介しても良い結果につながりにくくなる、と感じています。なお、何の心の準備も無い相手に、踏み込んだ発言をすることは、相手の方が思わぬ行動を取ることもあり得ます。軽々に動くべきではない、と思うのです。

前回、今回といずれも限界に行き当たってしまって、どうにもモヤモヤする結論になってしまい、申し訳ありません。でも、よく「障害に理解を求める」と言われている一方で、支援する側の悩み・やりづらさについてはあまり取り上げられていないと感じています。どうして支援の輪が広がらないのか、と悩まれている方もおられると思いますが、周囲の支援を求められる側にもそれなりに事情があるということは、認識しておく必要があると考えています。

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コメント

似たようなことで悩んでいます。
息子は療育中です。
息子の同級生に「あー・・・このこは、大変だ・・・」という女児(未診察)がいます。

そして偶然。女児に対し、保育園時代から周囲の先生たちが療育をすすめていたこと、それにも関わらず、親がスルーしてきた、という話を、第三者から聞いてしまいました。

当然、私は何も聞かなかったふりで、女児のママさんと友だち付き合いしてます。
そのママさんは、娘のふるまいに日々悩んでいて、よく泣きます。
そのママさんは、療育や検査の意味をよくわかっていなくて、せっかく先生たちが療育をすすめても、ピンとこないらしいのです。(ネットで調べることもしないタイプのママさんです。それはそれで、良い面もありますよね)

それでも・・・私は何も言うことができません。相談されてるわけではありませんから。
もう小学生も半ば。療育開始も難しい思春期がはじまります。
うちの息子は、療育の積み重ねで落ち着きがでてきました。療育って、大事ですよね。
療育をすすめたい気持ちをぐっとこらえて、ママ友付き合いしてますが、そんな関係も疲れ気味です。
すみません、長々と愚痴でした。ありがとうございます

とんきち様

コメント頂きありがとうございます。

やっぱり言えませんよね~。

一方で、確かに療育っていう言葉、私たちも子供が障害を持つようになるまで聞いたことがありませんでしたよね? 私たちはそれでも運よく療育の流れに乗ることができましたが、人によってはそういう耳慣れない言葉に触れた瞬間に、「よくわからない、ヤダ!」と拒否的になってしまうことって、残念ながらあると思うのです。

しいてできることと言えば、診断名を使わずに今困っていることに対するアドバイスや、最寄りの相談機関(医療機関)に行ってみることを勧めることくらいなのですけど、それもタイミングを計りながらとなると、心理的にシンドイですよね。

お気持ち、お察しします。

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