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2014年7月

2014年7月26日 (土)

(465) お父さんの葛藤(3)

実際、異動に関しては、転居を伴わないようお願いしている例、海外に単身赴任中に子どもが発達障害だと発覚し、仕事が佳境を迎えていたものの帰国を願い出ざるを得なかった例、あるいは勤務先に無理を言って単身赴任先から家族の元に戻してもらったは良いけれど、いわゆるラインから外れてしまった例、等を見聞きしたことがあり、私もお父さんの端くれなので、その無念の思いは我が事のように感じられます。

発達障害の子の場合、新奇の場所になじみにくく、異動先に連れていくことが困難であるという特性もありますし、不慣れな場所で情報を仕入れて一から療育体制を組み上げなければならないという課題も出てきます。また、特に診断前後の頃に顕著ですが、健常者の想定の及ばない理由に基づく行動、不規則な睡眠、理解不能なこだわり等に付き合わされる母親の困惑・心労を考えれば、彼女達からのSOSに基づく上述の対応はやむを得ないことだと思います。

とは言え、理屈の上ではその通りであったとしても、そして実際子育ては夫婦で担うべきものというのは正論だとしても、皆が納得して唯々諾々と従えるわけではありません。最悪の場合、神様の前で永遠の愛を誓ったことはどうなったのか、とは思いますが、子の障害発覚を機に夫婦の家庭観がそれぞれ想定外に異なってしまっていることを認識し、修復不能となって離婚、いうことも、残念ながらあるようです。

その原因の一つとして、性差によるモノの見方の違いというものはあるのではないかと思います。一般的に、お父さん達は先の未来の方向を見ていて、お母さん達は目の前の課題を見ている、と言われます。両方が、それぞれの特徴を良い方に組み合わせることができればとても強みとなるのですけれど、お父さんが、目の前の課題をあまり重く受け止めないようなことがあると、結果としてお母さんの孤独感を強め、信頼感を損なうことにつながるのではないか、と考えています。

逆に、冒頭の方々はたまたま職を失うところまでは行っておりませんけれど、もしそうなってしまったら、今度は生活が成り立たないこととなってしまいます。お父さん達の脳裏に、その可能性が少しでもかすめるようなことがあれば、保守的な対応を取りがちとなることは、一概に非難できないのではないかと思います。目の前の課題に対処するために、仕事を辞めるというのは極端ですし、それは長く続かないでしょうから。

ワークライフバランスという言葉。概念だけは広がっていますが、まだまだ日本では浸透してきておりません。でも、障害児育児においてこそ、このバランスをしっかり取ることが大切だと思います。

真偽はハッキリしませんけれど、伝説では、西行法師は家族を捨て、取りすがる娘を蹴倒して出家し、歌の道を究める旅に出て、確かに名を残しました。それほどのことをしなければ、一流になれないという例として良く出てきますけど、同じようなことをして、名が残るほどの業績を上げられなかった人というのは、実はかなりいたのではないかと思うのです。名が残っていないだけに、わからないことではありますけれど。

やはり、家族のことを大切にして生きていきたい、と私は思います。

2014年7月19日 (土)

(464) お父さんの葛藤(2)

障害児育児以前に、家をととのえることができず家庭を持つことそのものに向いていない男性が一定の割合でいることは、もう少し意識・認識されて良いことだと思います。これは、人間ならだれでもできるという類のものではなくて、持って生まれた能力・才能とも言えます。

そして、障害児育児においては、健常児育児よりも家をととのえるハードルが更に上がることになります。言い換えると、健常児育児では何とか家庭をととのえることができる人であっても、障害児育児では家庭をととのえられないということは、十分に考えられます。従って、障害児育児を行い得る能力・才能を持つお父さんの比率は、健常児育児の場合よりもさらに下がることとなります。

元々、そういう事実がベースとしてある上に、「できる人」が皆これも運命だと思って受容するわけでもありません。人間、そう簡単に気持ちを切り替えることができない生き物ですし。

お父さんの場合、子どもの障害だけでなくて、仕事をすることで得られる満足感や達成感、栄達を(一定程度)諦めるということも受容の対象となります。これはそれぞれ別個独立のものとなります。子どもの障害を受容できても、仕事のことでは更に踏ん切りが必要になりますし。

お母さんの場合、同じように働いていても、気持ちを切り替えて受容するまでの時間は、お父さんよりも短いように思います。何故なのかは分かりませんが、仮説として小さい頃から女社会の中での「理不尽の経験値」が男性よりも高いからではないか、と考えています。我が子に障害がある、ということは理不尽の最たるものですし。男性は運動にせよ勉強にせよ割と客観的に分かりやすいもので評価されることが多かった一方、女性はそれ以外のもので評価されたり女性社会の中でマウンティングされる経験が(もちろん、良し悪しは別ですが)少なからずあることが要因かと。

会社というところは、今のご時世ですから馬車馬のように働け、というあからさまな態度は取りません。でも、自発的にそういう働き方をしてくれる人がいたら、それはありがたい存在ですし重用される可能性が高いとも言えます。今は長い不景気を越える中で、役員といえども重役出勤なんて有り得なくなっていますし。むしろ、年寄りだから早く目が覚めるという点はあるものの、朝早く来て仕事をしている役員も少なくありません。

そのような状況の中で、家族のために時間を割かなければならないことや、場合によっては勤務箇所の変更を会社に告げるということは、自らリングにタオルを投げ込む行為だと認識せざるを得ません。ここで、お父さんは大いに葛藤することになります。

最後は、ご本人の生き方選択にならざるを得ないと思いますが、正解はありませんし、どの選択をしたとしても、若干の後悔と無念さは否めません。救いの無さは残ると思います。ただ、そういう思いをしている人は、自分だけではないということに幾ばくかの心強さを感じつつ、激発しそうな思いを抑えて生きていくことになるのでしょう。私は、それで良いと思っています。

2014年7月12日 (土)

(463) お父さんの葛藤(1)

発達障害児を育てているお父さんって、発達障害児の数とニアリーイコールにいますよね。

一般的に、お父さんは仕事をして自らはもちろん家族を養うという役割を担っているとされることが多いです。「共働きの家もあるじゃないか?」というご意見もあるかとは思いますが、その場合でもやはりお父さんは仕事をしていることになります。逆の立場である主夫がまだまだ多くは無い現状で、ジェンダー論を展開すると話がややこしくなるので、ここではそのつもりはありません。あしからずご了承下さい。

仕事をする目的には、家族を養う以上の意味があります。

すごく恰好良く言えば、自己実現です。自分の選んだ仕事に取り組む過程で、自分の創意や思いを具体的な製品やサービス、制度等の形に仕上げて世に生み出す営みであり、大きな達成感を得ることとなります。更にこれに加えて、仕事をすることで会社や社会から認められて昇進したり評価を得たりすることで、自身の価値も高まって出世・功名欲が充足されることとなります。

こう考えると、障害児育児は率直に言ってこれらと親和性が低い、更に言えばトレードオフの関係になりやすいと考えます。だからこそ、多くのお父さんは葛藤することになります。

我が子の育児を、妻に丸投げするというのは、そもそも今風ではないでしょう。夫婦両方で育てるべきだという風潮は、今後強まりこそすれ弱まることはないと思います。

加えて、障害のある子を育てるとなると、健常の子に比べて負担と負担感は数倍にもなるはずです。それを妻一人に背負わせることは、そもそも人間としてどうよ? という問題があります。この選択は、妻が支えきれない可能性も少なくないことを考えると、リスク管理上極めて問題があります。

なお、自分が育児に関わらないとすれば、自分が子供との関わり方を学ぶ機会を自ら放棄することにも繋がります。

このような低くはないリスク要因に目をつむり、望み通り思うように仕事をすれば、時として会社や社会から高い評価を得るかも知れません。それで一点の曇りなく満足できるなら、その時は、幸せだと思えることでしょう。

でも、例えば会社っていつまでもいられるところではないのですよね。オーナー社長ならともかく、大抵遅くとも70歳前にはリタイアすることになります。その時、子どもはもちろん、奥様もかなりの確率で家庭に留まっていることが想像されますが、家族と向き合わずに来たツケが、そこで一気に降りかかってくることになるでしょう。

妻だけでは絶対に療育できないか、と問われたら必ずしもそうではないだろうとは思います。ですが、青年~成人となった障害のある子どもとどのように関わったら良いかがわからないという不安、自分が子供に対して何もしてこなかった負い目、それを見た妻のさげすむような視線にまとわりつかれたら、老いて無理が効かなくなっていく自分への苛立ちと相まって、死ぬまで後悔することになりやすまいか? と考えてしまいます。私にはとてもできない選択です。

そもそも、私には子供と関わりたいというナチュラルな欲求がありますし、そういう欲求を持たない人が、どうして一家を構え子を持とうと思うのか、全く理解できません。

儒教の基本的な政治思想は、「修身斉家治国平天下」です。身を修めた次は、家をととのえることが大切だとされます。家をととのえることをせずに、国を治めることはできないのは当然だと考えます。ここで家をととのえるとは、一家がキチンと回るようなしくみを作り上げることだと理解しています。それは、間違っても妻に丸投げすることではないでしょう。

(続きます)

2014年7月 5日 (土)

(462) 先の見通し

今回は、ネタ切れの中で苦し紛れに書いていますのでcoldsweats01、軽目の内容です。

新しい月を迎え、転勤・異動をされた方も少なくないと思います。この季節は、6月の株主総会で新役員が決まる→その役員になった方のポストが空く→そこに誰かが座る…の連鎖が起こりますから、多くの会社での異動も大きくなりがちだと推測しますが、いかがでしょうか?

さて、私も今の部署に勤務して社内平均に比してそこそこ長くなっていることから、今回は異動があるのかも、と思っておりましたところ、結果としてはありませんでした。

私の場合、上昇志向は皆無です。会社よりは家族、仕事よりは家のイベントだと思っていますので。とは言え、異動は上のポストに昇任するだけでなく、平行移動も当然あって、それがあるとなれば、当然今までお付き合いが無かった人たちと出会い、新しい仕事を覚えなければなりません。場合によっては家族に負担がかかることにもなります。だから、もう無いと分かるまでの間、「異動があるのかな、無いのかな」と集中力をイマイチ欠く状態となってしまいました。

こういう状態を経験したことで、先の見通しが立たないことに対する不安感が我々よりも格段に大きい特性を持つ発達障害児の気持ちの一端を垣間見たような気がします。

不安と期待がない交ぜになる、という言い方がありますが、期待ができるのはそこの仕事や職場の人を知識として、或いは人づてに聞いて知っているからであって、見知らぬ土地、初めて会う人、やったことがない業務とそろっていたら、圧倒的に不安の方が大きくなります。その不安を収める心の容量が小さければ、それだけでいっぱいいっぱいになって、場合によってはパニックになってしまうのも、わからなくはないな、と実感しました。

異動が無いことで、しばらくは今の環境を維持できるということが分かりました。この事実を前向きに捉えて、この夏を乗り越えていきたいと思います。

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