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2014年6月

2014年6月28日 (土)

(461) 非マルチプレーヤーの活用

私は、社会の「アソビ」の絞り込みに、大いなる不安を感じています。

どのようなものであっても、きちきちに詰め込むことは、かえって動きを悪くします。ブレーキにもアソビが必要ですし。

企業はマルチプレーヤーを望んでいて、少数採用した彼らにさまざまな仕事をこなしてもらうことで、利益を確保しようという風潮が強まっています。人間、いろいろなことができた方が良いのは確か。でも実際のところは、それができる人ばかりではありません。できない人は就職もままならないという今の状況は、みんなが望んでいることなのだろうか? と考え込まざるを得ないのです。

新聞によれば、株主総会もピークを過ぎたようです。株主である投資家は経営者に対し、投資に対するリターンを求めます。それに応えるため、利益を生み出そうと経営側も努力をするのですが、その一環として固定経費となる人件費は抑えにかかる方向に進みがちとなります。そうなると、雇用は増えません。雇用が増えなければ、購買力も増えず、企業の売り上げも減って、利益が出ない、という悪循環に陥ることになるのですが…

企業全体でこのマルチプレーヤーの抱え込みと雇用抑制の風潮が蔓延してしまうと、経済は縮小する方向にしか進めなくなってしまいます。

出生率がダダ下がりしている中で、必要な労働力を確保するためには、非マルチプレーヤーの採用も不可避になると思います。そこで、無理やりマルチプレーヤー化することを考え労力を費やすのではなく、最適な組み合わせを探っていくというアプローチの方が有効なのではないかと思います。

強みと弱みをきちんとアセスして、最適な人的ポートフォリオを組む。マルチプレーヤーの持って生まれた能力にぶら下がるのではなく、非マルチプレーヤーの活用体制を構築しマニュアル化するために汗をかくことが、これからの社会の持続可能な発展に必要だと思っています。

2014年6月21日 (土)

(460)他者の介入

発達障害の子は、周囲の人間が目に入らないかのような振る舞いをする、と言われます。実際、他者の視線など全く気にせずに、状況など全く考慮せず無心に目の前のおもちゃで遊び続けたりしますし。

自閉という言葉も、この周囲の他者の存在に関心を示さず、「自」分の世界に「閉」じこもっているように受け止められる状態から名付けられています。

でも、一方でかなり重い自閉症の子であっても、ABAによるアプローチは有効であったりします。ABAは、最初はその子の好きなモノを少量与える等、物理的なご褒美を与えて正しい行動を強化しますが、段々モノではなく褒めるという他者の賞賛による強化に移行していくことが勧められています。

このことは、他者の存在を意識していない子に対しても、アプローチすることで他者に関心を向けさせることが可能であり、かつ賞賛という他者からの介入がその子にとって喜ばしいと感じられるようになる、という事実を示しています。

発達障害の子も、自分の世界に居続けるか外との関わりを持つかは、結局はどちらがより楽しいと感じられるかによって定まってくると思っています。

冷静に考えると、目に見えず健常者であっても時に読み間違う人との関わりなんて、その手のセンサーが弱い子にとってみればお手上げであり、そういうややこしいもので気疲れさせられるよりは、自分の世界にいた方が楽であることは、容易に想像がつくことですよね。

だからこそ、最初のアプローチに細心の注意を払いつつ適切に関わりを持つようにしていくことって、とても大事なこととなります。そうやって介入していくことで、彼らに人と関わることの喜びを教えることは可能であり、そのことを継続するとともに更に関わりを広げていくことで、ある程度までは社会性を身につけさせることもできるようになると考えられます。

もちろん、「ある程度まで」であって、完全にできることまでを目指すのは、かえって負担感ばかりが強くなり良くない結果を招来する可能性が高くなることからお勧めはしませんが、ある程度できるようになるだけでも、その子が生きやすくなることは間違いありません。

親心を抑えつつ、「うまくやる」ことが大切ですね。

2014年6月13日 (金)

(459)受容の対象範囲

療育を進めるためには、その前提として障害をきちんと受容することが必要となる、と言われます。障害の受容がない(端的には「この子は障害者じゃない」「普通になる」という気持ちを持ち続けている状態)と、結局その子を正しく見ることができず、今ある存在自体を否定することにもつながるし、その結果として療育の方向性を正しい方に向けることができなくなるから、とよく言われます。

恐らくこれは正しいと思っています。では、ここで受容すべき障害は「我が子の」障害でしょうか、それとも障害一般でしょうか?

このことについて解明した記述は、私の不勉強もあってだとは思うのですが、まだ見たことがありません。ただ、恐らくは、目の前の「我が子の」障害であろうと思います。

なぜならば、療育は個体に合わせてカスタマイズする必要があるからで、そのためにも我が子の障害をキチンと把握する必要がある、と理解しています。そのために、障害の受容は必須であろうと考えるのです。

とはいえ、我が子の障害に特化して既述した本などありませんし、あれこれ関係する本を読んでいくうちには、障害一般の知識も蓄積していくこととなります。だから、正確には「我が子の障害を受容しつつ、障害一般の知識も併せ持つという表現がより適切なのだろうと考えます。

この先は、ちょっと重い話を書きます。

なぜ、このようなことを書いたのかというと、親として、他の障害児の言動も障害の受容により受け止められるようになるのだろうか、という疑問があるからです。

客観的には、我が子以外の障害児に関わりその障害の受容は可能だと思います。でも、その言動が自分や我が子にとってよろしくない内容だったとした時に、それも含めて受容できるでしょうか?

例えば、パニックやかんしゃくを起こすこと自体は知識としてわかっていることですが、その結果として自分の子に類が及び、突き飛ばされたりケガをしてしまったりした場合、あなたは、それを障害特性からくるやむを得ないことが原因だと受け止めて許容できるでしょうか?

或いは、親であるあなたに対して、高機能自閉症の子があなたの子について「この子、頭が変なの?」と全く悪意を持たずに尋ねてきた時に、やはりこれも障害特性からくるものだからしょうがいない、と感情を全く波立てることなく平常心でいられるでしょうか?

多少表現は変えさせて頂きましたが、いずれも似たような例を見たことがあります。

もちろん、やった側の子の親は、平謝りをしていました。そして、やられた側の子の親も、怒ったりはしていませんでした。でも、それは社会的な「大人の対応」であって、本心からそうなのか、受容していたのかは分からないままでした。

障害児の親は、社会に障害を理解してもらう必要があるとの思いを持つがゆえに、ナチュラルな感情を抑えて、自らも障害者を理解した者としての対応をせざるを得なくなります。それゆえに、そのような立派な振る舞いをしてしまう傾向にあるのはやむを得ないことなのでしょう。

障害児の親は、結局のところ障害の受容の対象について、我が子のみならず他の障害児についても範囲を広げざるを得なくなる。これも療育を続けていくうえで不可避な事実であり、目を背けてはならないことだと感じています。

2014年6月 7日 (土)

(458)障害児同士の溝

療育機関では、自分の子の予約時間の前後にやってくるお子さんや、同じ時間で隣の部屋で療育を受けるお子さん等、少なからぬお子さんと出会います。

もちろん、それなりに時間を見計らって家を出てきていることもあり、大した時間が重なるわけではありません。とは言え、他面でこの重なりは、学校や他の習い事の関係等の要因で結構入れ替わりが激しいという事情もあって、結果として色々なお子さんを見させて頂いていることとなってます。

更に、療育によってある程度社会性が育ってくると、先生と生徒のマンツーマンの体制だけではなく、他の子も加えた子供同士のやり取りの機会を持つという取り組みも行われることがあって、そういう時には、もろにそれらの子の様子も見ることとなります。

ちなみに、このような複数の発達障害の子によるクラスを作るというのは、意外に調整が必要になります。上述の時間の問題に加えて、ある程度やり取りができる等両者のレベルがそろっている・或いは近いことが要件となりますので…。世間一般では、障害児は障害児と一括りにされがちですが、元々絶対数が少なく、かつよく見ればレベル感がマチマチであり、同じ療育機関に通っている中でレベルが合う子を探して組ませることって、宝くじとは言わないまでも、成立する確率がかなり低いことはご理解頂けると思います。

そういう発達レベルがまあまあそろっている子同士ても、その仲が常に良好になるとは限りません。こればかりは何故だろうと思うのですが、最初は仲良さそうだったのに、段々会話が弾まなくなったりすることも珍しくありませんし、相貌認知(顔を識別する能力)の障害も相まって、久々に会うと名前すら忘れていたりということもあったりします。

もちろん、逆にADHDの子の中で人懐っこい(人懐っこ過ぎるw)子があれこれ話しかけてくると、うまくコミュニケーションが取れたりすることもあります。ただ、全体を通じた経験では、合う子の方が珍しい状況です。

こういう経験を通じて、障害児も個性がしっかりある一方で、人との付き合いにおける許容幅が健常児よりも狭い結果、人との溝が健常児よりもできやすいということを再認識することとなります。

これが無ければ良いのですが、まさに障害特性そのものであって、無くすことはできないなあと思っています。とは言え、放置もできず、何とか世を渡るために最低限必要なレベルを模索している段階です。

2014年6月 1日 (日)

(457)障害児療育体制構築と不測の事態

障害児を育てることになった時、「放っておけば何とかなる」と何もしない親というのはあまりいないと思います。

一時は放心状態で何も手につかない状態に陥るとは思いますが、やがて立ち直って情報収集に努めるのはもちろん、地域で利用できる療育場所を探したり、障害児を受け入れる地域の幼稚園・保育園を見学に行ったりしながら、より良い体制構築を目指すこととなります。

もちろん、最初は不慣れさから情報の海に溺れそうになったり、あまりその子に必要でない、或いは向いていない場所や内容を選んでしまったり、あるにはあったけれど空きが無くてやきもきしてストレスが溜まったりという状況に陥りがちですが、経験値が上がるに連れて段々より良い体制を作ることができるようになります。

この体制をある程度構築し、うまく回るように調整するのは結構シンドイことです。何をどれくらい、を考えるのにも頭をかなり悩ませますし、加えて金銭的・時間的・労力的にも当然制約というのはあって、その範囲内で優先課題は何かを絞り込む(言い換えると、これは後に回すのも止む無しと判断する)ことも大切なこととなります。

そうやって作り上げた体制が、そのまま続けられている場合は良いのですが、これが環境の変化があった時には、苦労して作り上げたこの体制が呆気なく崩れてしまうという不幸に見舞われることも無いわけではありません。

幸せは「絵に描いたような」と形容されるようにパターンが決まっていますが、不幸の形は千差万別です。構築した体制が崩れてしまう要因としては、ざっと考えただけでも

  • 転居を伴う転勤があった
  • 仕事が忙しくなった
  • リストラされた
  • 伴侶が病気になった
  • 自分が病気になった
  • 親が倒れた

といったことが思いつきます。

これらのうちの一つでも発生すれば、それだけで体制の見直しを迫られることも当然起こり得ます。加えてこれらが重畳したら、とても無理、ということにまずなります。

「今の対応だけで精一杯で、とてもそんな「もしも」のことまで考えていられない。その時はその時」、と割り切るのもアリですが、これらはそ無視できるほど低い確率ではないリスク要因であって、リスクが発現した時にはどうするかについて、やはり大まかには考えておくべきことだと考えます。

もちろん、リスクのすべてを取り上げて検討することは煩雑ですから、発生確率の高い大きなものについて、簡単にシミュレーションをしておくだけでも良いとは思いますが…。

例えば、転居を伴う転勤があった場合、行った先で今と同じような体制を組めるかは、不明な情報が多くてわからない、ということになります。一か八かで今の体制を投げ打って家族で転居という選択をするのは博打に近いと思われです。そうなると、単身赴任という選択肢も検討の対象になる一方、単身赴任となるとこれまで夫婦で分担してきた対応のバランスが崩れ、残る側に偏ることとなります。これがまた別のリスク(例えばうつ病リスク)を招来することとなって…と考えると、一つのことから更に連鎖的に複数関連したできごとが起こってくることがわかります。

一方で、これも今の居住地は療育後進地域で、まだ転勤先に家族一緒について行った方がマシな気がする、となると、当然単身赴任ではなく転居する側に傾くこともあるでしょうし。

考えだしたら奥深くきりがないことかも知れません。でも、一度、考えてみるだけでも、いざという時の動揺を最小限に抑え、決断を早くできる効果はあると思います。

よくよく振り返ってみれば、我々障害児の親は、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなかった、という大きな経験をしてきています。それを強みと受け止めて、もしものことも視野に入れつつしなやかに対応を考えておくべきなのだろうと考えています。そうすれば、不測の事態を最小限に抑えることができます。

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