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2014年6月13日 (金)

(459)受容の対象範囲

療育を進めるためには、その前提として障害をきちんと受容することが必要となる、と言われます。障害の受容がない(端的には「この子は障害者じゃない」「普通になる」という気持ちを持ち続けている状態)と、結局その子を正しく見ることができず、今ある存在自体を否定することにもつながるし、その結果として療育の方向性を正しい方に向けることができなくなるから、とよく言われます。

恐らくこれは正しいと思っています。では、ここで受容すべき障害は「我が子の」障害でしょうか、それとも障害一般でしょうか?

このことについて解明した記述は、私の不勉強もあってだとは思うのですが、まだ見たことがありません。ただ、恐らくは、目の前の「我が子の」障害であろうと思います。

なぜならば、療育は個体に合わせてカスタマイズする必要があるからで、そのためにも我が子の障害をキチンと把握する必要がある、と理解しています。そのために、障害の受容は必須であろうと考えるのです。

とはいえ、我が子の障害に特化して既述した本などありませんし、あれこれ関係する本を読んでいくうちには、障害一般の知識も蓄積していくこととなります。だから、正確には「我が子の障害を受容しつつ、障害一般の知識も併せ持つという表現がより適切なのだろうと考えます。

この先は、ちょっと重い話を書きます。

なぜ、このようなことを書いたのかというと、親として、他の障害児の言動も障害の受容により受け止められるようになるのだろうか、という疑問があるからです。

客観的には、我が子以外の障害児に関わりその障害の受容は可能だと思います。でも、その言動が自分や我が子にとってよろしくない内容だったとした時に、それも含めて受容できるでしょうか?

例えば、パニックやかんしゃくを起こすこと自体は知識としてわかっていることですが、その結果として自分の子に類が及び、突き飛ばされたりケガをしてしまったりした場合、あなたは、それを障害特性からくるやむを得ないことが原因だと受け止めて許容できるでしょうか?

或いは、親であるあなたに対して、高機能自閉症の子があなたの子について「この子、頭が変なの?」と全く悪意を持たずに尋ねてきた時に、やはりこれも障害特性からくるものだからしょうがいない、と感情を全く波立てることなく平常心でいられるでしょうか?

多少表現は変えさせて頂きましたが、いずれも似たような例を見たことがあります。

もちろん、やった側の子の親は、平謝りをしていました。そして、やられた側の子の親も、怒ったりはしていませんでした。でも、それは社会的な「大人の対応」であって、本心からそうなのか、受容していたのかは分からないままでした。

障害児の親は、社会に障害を理解してもらう必要があるとの思いを持つがゆえに、ナチュラルな感情を抑えて、自らも障害者を理解した者としての対応をせざるを得なくなります。それゆえに、そのような立派な振る舞いをしてしまう傾向にあるのはやむを得ないことなのでしょう。

障害児の親は、結局のところ障害の受容の対象について、我が子のみならず他の障害児についても範囲を広げざるを得なくなる。これも療育を続けていくうえで不可避な事実であり、目を背けてはならないことだと感じています。

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コメント

いつものぞかせてもらっています。
毎回、深い洞察に基づいた記事で、更新が楽しみです。

障害一般への受容は、私も常日頃、考えていました。
私が「他の障害児」に対して優しい態度をとるのは、
「うちの子供の障害も理解してね」という気持ちの裏返しだったりします。

また、
よく直面する悩みとしては、
「障害児を抱える親」への受容って言うんでしょうか。
「お互い、つらいよね」という気持ちがあるので、
多少おかしな言動が相手にあっても、おおめに見てしまうのです。
(相手も私に対して、そうかもしれませんが)

りんご様

コメントありがとうございます。

「障害児を抱える親」に対しては、合うか合わないかの差が激しくなると思っています。

ここで、お互いの相性は、単なる人間性よりも、むしろかなりの部分で療育に関わる価値観や取り組み姿勢で判断してしまっているのではないか、と考えています。

ここが合えば、りんご様のおっしゃる通り受容できる可能性が高くなります。でも、お互いにやるべきことや目指すべき方向性が見えてしまっているだけに、療育面でのズレについてはシビアに評価してしまい、結果として合わないと判断してしまう、ということは無いでしょうか?

夏休み等で、療育の集中コースに子供を連れて行ったりすると、終わるまで待っている間熱気ムンムンでしゃべり続けるママ集団に出会うことがあります。きっと彼女たちは、お互いに受容できているのでしょう。一方で、本来、元々少数派の私たち「障害児を抱える親」は大同団結すべきなのに、そうならない例も、残念ながら幾つか見てきました。

本件は、本当に難しいなあと思います。

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