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2014年4月25日 (金)

(451) 障害者家族の連帯

障害者は、少数派に属します。ゆえに、その育児をする上では周囲との軋轢は避けにくいものとなります。

ここに来られている方の中にも、周囲の理解を得られずに孤独感にさいなまれておられる方は少なくないと思います。私自身そうでしたし、同じようにネットで情報を探し回ったことがあります。

だからこそ、少数に属する者同士連帯していくべきだ、という思いは私も無いわけではありません。ただ、これはすごく難しいことだろうな、とも考えています。

なぜこのような「悲観的」な考えになってしまうのか、ということになりますね。

これは、一言で言えば、私たちは家族に障害を持つ者がいる、という1点のみを共有しているからだということになります。

出身地も、居住地も、家族の成り立ちも、学歴も、勤め先も、収入も、みんな異なります。加えて、実は共有できている「家族に障害を持つ者がいる」ということすらも、障害の種類や態様、軽重も、それぞれ違うことになります。

人間は、共有できる範囲が多いほど共感し連帯感を持てます。私は、共有できる範囲とは、共有できる項目数とその各項目のレベル、さらにそれらへの興味関心の度合いの3つで決まると考えており、この重なり具合が少なければ、連帯を維持できないと思うのです。

実際、障害を告知された直後は、頭の中は障害のことでいっぱいになるでしょう。一方で、障害について詳しくない、という状態になりますから、重なる範囲は大きいのです。それが、段々障害の程度を理解するとともに受容し、やるべきことが見えて落ち着いてくると、興味関心が障害の外にも向く(戻る)ようになります。となれば、段々重なる範囲が異なってくるのは自然の成り行きだと言えます。

もちろん、こうやって出会った方々の中には、趣味と嗜好が合うという方も出てくるでしょうし、そういう人との付き合いは継続できると思います。でも、ただ、障害がある、という一点のみであれば、かなりシンドイことが予想されます。

このような状況って前もあったなあ、と思い出すと、個人的な経験で申し訳ありませんが、自動車の合宿免許がまさにこんな感じなんですよね。何の接点も無かった人たちと、17日間寝食を共にして、免許取得という共通目標に向かって過ごすうちには、すごく仲良く連帯感も生まれました。でも、いざ合宿先での教習を終えて家に戻り免許を取ってしまえば、その後付き合いも無くなってしまうのですよね。

共通する一点での付き合いって、このようなことになりがちだと思うのです。

障害者の家族がつながるためには、一案として更に何かを求めて具体的な主張を基に社会への働きかけ、運動をしていく、ということが考えられます。ただ、これも何をどれくらい求めていくのか、の調整が必要になりますし、それはかなり難航しそうですよね。

加えて、運動はそれ自体が目的化してしまうということにも注意が必要です。必要だと思うことを求めて運動していたはずが、気が付いたら何かを求める活動を継続することそれ自体が目的化してしまう。意外と陥りがちなことだと思います。

ことほど左様に、障害者家族の連帯は難しい。残念ながらそう考えてしまいます。

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