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2014年3月

2014年3月29日 (土)

(447) STAP細胞をめぐる状況を見て

STAP細胞に関わる研究者への毀誉褒貶の凄まじさを、私は恐らくは通常の人とは異なる視点で見ています。

私たちが研究者に対して持っているイメージってどのようなものでしょうか。率直に申し上げれば、頭は良いけど社会性は今一つ(もしかしたら、今三つくらいw)、風変わりなバックトゥーザヒューチャーのドクのようなイメージではなかろうか、と思うのです。

実際のところ、研究の現場では研究者は研究への没頭が求められており、「人に気を遣うようでは大成しない」とまで言われています。

確かに、研究は非凡のものを取り扱うわけですから、普通の、少なくともサラリーマン的な取り組みではものになりそうな感じはしませんよね。

ただ、一方で今回の騒動の発端では、周到に練られたイメージ戦略があったように受け止めています。端的には、大衆にウケるパターンを踏襲していたように感じます。研究者のイメージを覆す若い女性、研究に割烹着の意外性、一度は酷評された中で再度チャレンジした苦労話、等世間が好みそうなネタにあふれていましたし。

今は、このような方面でもデビューする際にショーマンシップが求められていることが明らかになったと言えます。

加えて、やはり研究者といえども単独で研究を行う時代ではなくなってきており、一緒に研究する仲間とのコミュニケーションスキルが求められるようになっています。これが無ければ、個人としてどんなに研究に没頭しても日の目を見ることがかなり困難である、ということも分かりました。

これらのできごとを見ている限り、こだわりを持ち一芸に秀でているとされる発達障害者が研究者となって成功する確率は、世間で言われているほど高くない、と判断せざるを得ません。

言い換えると、「研究は発達障害者に適している」「研究者には発達障害が多い」という「俗説」は、確かにあります。でも、仮にそうだとしても研究者として成功するために、その性質は必要条件ではあるものの十分条件ではない、ということになります。十分条件としてそれなりのコミュニケーションスキルを身に付けていなければならない、ということが図らずも今回の騒動で詳らかになったと言えるのではないか? 少なくとも私はそのように受け止めています。

矮小化した結論で申し訳ありませんが、発達障害を持つ息子の進路候補がまた一つ消えつつあるなあ、と残念に思っています。

2014年3月23日 (日)

(446) 介護に役立つ療育知識

いきなりですが、「お年寄りは頑固で困る」・・・よく言われるフレーズです。

我が家では介護問題を抱えつつあります。老親は、新しいものに対する懐疑・拒否、今あるものへの執着やこれまでのやり方へのこだわり等があり、困惑することもしばしばあります。これに頑固が加わるので、正直大変です。

今更新しいものをイチから習得する気力も起きない、というのはその通りだと思うのです。私自身、既にガラ携に執着していますしcoldsweats01

実は、新しいものを勧める私たちも、使えるようになっているからこそ勧めている訳で、それには少なからぬ努力があったと思います。

昔は簡単に覚えられた、と思っていることも、実は反復・継続により身に付けたということも多いはずなのです。子ども達も九九を覚える時、何度も何度も繰り返していますから。

年寄りになると、この反復・継続していた時の苦労が記憶から抜け落ち、あるいは圧縮されてしまって、大した苦労もせずにできるようになったと勘違いしてしまう一方で、確かに老化により反復・継続にかかる時間は増えているという事情、更に一応これが最適解だと判断した経験まで加わって、これでヨシ!としてしまう頑固さが生まれてくるのではなかろうか、と感じます。

私達の場合(と、ひとくくりにされるのは心外だと感じられる方もおられるかも知れませんが)、発達障害の子を育てており、「新しいものに対する懐疑・拒否、今あるものへの執着やこれまでのやり方へのこだわり」「頑固」というものには慣れっこになっているのではなかろうか、と思います。

本当に便利であり簡単であることを、具体的に(可能なら目に見える形で)示すことにより、理解を得ることは決して不可能ではないとも思っており、対処としては自身のプレゼン能力を高めて対抗・対応していくしかないと感じています。

更に、最初にこの成功体験を持つことで、次の新規案件の導入もスムーズになると考えており、発達障害児療育と同様に、「最初が大事だな」と感じます。すなわち、最初に誤学習をさせないという我々のノウハウとつながるものがあると思いますのです。

今、SKYPEはテレビに直接つなげられるタイプの製品も出てきており、まずこれを使えるようにしてみたい、と考えています。

「様子見」も、このような場合は有効だと思いますし。

2014年3月15日 (土)

(445) 通級生活を振り返って

今年度の息子の通級生活も無事に終わりました。

今年度は、妻がPTAの役員をやっていたこともあり、私が送っていくことが多くありました。

道すがら、やはりそれなりに成長していると感じることがいくつか。

まず、昔より明らかに体力がついてきています。

通級指導教室が各校に設置されていればこのような問題は生じないのですが、通級指導教室は普通、数校に1校しかありません。従い、それ以外の学校に在籍している子は、それぞれ設置されている学校に通わなければならなくなっています。

この場合、通級先は在籍校から結構離れたところにあります。以前は、長く歩くことが苦痛で、途中で癇癪レベルにまでは達しないものの、かなり不機嫌になることが多くありました。でも、今は道に慣れたこともあって、不満をあまり言わなくなりました。

そして、もう一つ。

以前は、すり足気味に歩いていたのが、かなり改善しています。まだ多少は残ってはいるものの、歩く時の靴の擦過音がだいぶ小さくなっています。不器用な彼らは、きれいに歩くということも難しいのですが、この点もだいぶ良くなっています。

学区外ということもあり、大きな道の信号も渡らなければなりません。大きな道は幹線道路であって、車の流れを優先する結果、青信号を逃すと結構長い時間待たされることとなります。でも、これで不機嫌になることはなくなりました。また、ちょっと遠くから信号の様子を見て、もうすぐ変わるかも知れない、という見通しを持てるようになりつつあるとともに、それに合わせた速度調節を行う必要性の認識を持てる(つまり、速度調節そのものはできていないcoldsweats01)ようになりつつあります。

校門に立っている警備員の方にもきちんと挨拶できるようになっていますし、廊下ですれ違う先生に挨拶されると返せるようにもなっています。本当は、自分から言うべきなのでしょうけれど、返せるようになっただけマシだと思っています。

なお、これは成長とは言えないこととは思いつつ、往路途中にある自動販売機で売っているお茶・ジュースを興味深そうに眺め、この自販機にはあれが無い、これがあると結構うるさいですhappy02 大抵の人が気にも留めないことが気になるのだな、ということが改めてわかります。

通級指導教室では、SSTと教科学習、運動等を行っています。通級の先生は、褒めるのが上手で、息子も気に入っているようです。

在籍校であったイヤなできごとも、巧みに聞き出して頂き、不機嫌の原因がわかるとともに在籍校の先生と連携した対応ができたりもしています。

今後も続けていけそうなので、後2年間はこのまま通い続けていくことになるのかな、と思います。

とはいえ、学校の異動はこれから一斉に行われることになるでしょうし、いろいろと変化が出てきそうでもあり、若干の心配はしています。まあ、心配したところでどうにかできるものでもありませんけれど。

2014年3月 8日 (土)

(444) ある適応

もったいぶったタイトルを付けましたけれど、私の経験ですhappy01

自分の学生時代までの人生を反芻した時に、自分も発達障害のケがあるなあとは思っているのです。

具体的に、そう言えばこんなことを言われたな、ということを思い出すと

  • 何か普通の人と違うんだよなあ。雰囲気というか・・・どこがどう、とは言えないけれど。
  • 昔のことをすごく正確に覚えているね。みんなが忘れてしまうようなことでも。
  • やたら形式にこだわるよね。
  • これ、イヤミで言っているんだよ! わかっていないなあ。
  • そこにこだわっているのって多分君だけだよ。誰も気にしていないよ。

振り返るだけで鬱になりそうですが、それっぽい雰囲気は漂っていますよねcoldsweats01

自分の場合、言われれば何となくわかる範囲、船で言うならば「復原力」の及ぶ範囲にいたのと、探求心・好奇心が旺盛であることから、何とか克服できたのだと思います。

本当に克服できたのか? と問われるかも知れません。もちろん、個人的にそう思っているのもありますが、客観的な判断基準として、今では会社で来客の対応等も担当する庶務周りや、他部署との調整を行う業務も任せられるようになったこともあって、そのように理解しています。

やはり、最初の取っ掛かりが何かありさえすれば、最高レベルには遠いとしても、ある程度は何とかなる、と思います。但し、本人にそうしたいという意欲がないと、達成は困難だとも感じますが。

こうなってみると、会社の人がみんながみんな人との付き合いが上手というわけではなく、特に技術系の人に人とのかかわりを苦手にしている人って多いなあと感じますね。自分がかつてそうだっただけに、何とかしてあげたいなあと思っています。

一方で、会社は効率化に勤しむこととなりますので、そのサポートやフォローを行うマンパワーはむしろ不足していきます。結局、働くハードルは上がるばかりという結果になります。

もし自分が克服できていなかったらどうなっていただろう? ということを考えると、恐らく会社で行き詰まっていたでしょうし、たまたまの運と縁に恵まれたことに感謝せざるを得ません。

「昔は良かった」と言えば、懐古趣味だと言われるのがオチでしょうけど、コミュニケーションを苦手とする人にとって、これは真実だと思います。

2014年3月 2日 (日)

(443) 二者択一はMUSTなのか

「高機能」という言葉は、あまり適切ではないなあと感じつつ、そうは言っても発達障害の世界ではかなり一般的に使われている表現なので、取りあえずそのように書きます。

高機能自閉症(広汎性発達障害)の子は、成長するに従い、段々と立ち位置が難しくなってきます。

一言で言えば、障害者として生きるのか、健常者として生きるのかの二者択一を迫られるということです。

人間、本来多様な面を持っていて、それに合わせた生き方を選べるようになるべきだ、との思いを私は強く持っています。でも、社会はそのような「あいまいな」或いは「どっち付かずな」生き方を許容してはくれません。

若干色合いは異なるものの、二重国籍者がある年齢に達した時にどちらの国で生きていくのかについての選択を迫られるというのと近いように感じています。実際は、自分のアイデンティティの中で、どちらかに割切ることが難しい中で、エイヤーで決めざるを得ない点は同じかなあ、と。

一般的には、「高機能」という表現によって、何だかすごい能力を持っていそうなイメージを持たれがちです。でも、こちらに来られる方はご存知のように、知的能力が(それほど)低くない、という以上の意味はなく、健常者と比較すればできないことや苦手なことはたくさんある、ということは言うまでもありません。

視点を変えれば、この「高機能」という表現は、ただ医学的な分類の順番を追った表現でしかないのですよね。つまり、まず自閉症(広汎性発達障害)かそうでないかを分類し、次に自閉症に分類された中で知的能力がより高い方に分類された一群を高機能と呼ぶことにした、というもので、最初から単純に分類すれば、ただ風変わりで不器用な人でしかないなあと思うのです。たまに、人に秀でた部分を持っている「こともある」くらいで…。

3月を迎え、気が付けば息子の小学校生活も何とか4年間が過ぎつつあります。周囲で受験を意識した方がそれぞれの対策に勤しみ始め、段々子供から大人になっていく中で息子がどのような生き方を選ぶのか、について段々その選択の時が近づいて来ているなあと感じます。

どうしてもどちらかを選べ、と言われれば、精神障害者保健福祉手帳取得の困難さや本人の受容レベル等を勘案し、やはり健常者側で生きていくことになるのだろうなあと思いつつ、そのためのハードルは決して低くはないと思います。

これまで社会は、例えば障害者と健常者を単純に2つに割り切ることで、わかりやすさとこれに伴う効率性を優先してきました。個々のニーズに合わせることは手間がかかるし、コストも高くなるからだと思います。

このことにより、うまく回ってきた面も確かにあります。でも、二つに分けて、少数側の人間は「できない」人間であると認識して能力発揮の場を与えて来なかった感は否めないと思います。そして、これからもそのようなやり方で良いのか、大いに疑問を感じてます。

この思いは、親の介護問題が顕在化してきた中で、より強くなってきています。老いとそれに伴う不全感を認めたくない親を見ていると、2つに分ける壁の向こうへ回ることへの拒否感を強く持っていることを感じざるを得ず、そういう社会の価値観に染まってしまっていることが自らのQOL向上への妨げになっていることに気付いたからです。

福祉の側の体制整備だけでなく、社会の意識も変わっていかなければ、幸福につながりにくいのではないか? 複数の非健常パターンを見ていると、そう思います。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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