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2014年2月

2014年2月20日 (木)

(442) 障害者をきちんと受け止める

日本の障害者福祉は遅れている、とよく言われます。私もそう思います。

障害について、私は端的に「人間の持って生まれた特質の中のひとつであって、日常の生活に困難をきたすレベルに達した弱点」だと認識しています。

日本って面白いなあ(楽しんで言っているわけではありませんので念のため)と思うのですが、「お互い様」に代表される相互の思いやりや助け合い、人と人とのフラットな関係が他国に抜きんでて優れている一方で、「人様に後ろ指を指されない」ことを至上命題としてしまっているためか、自分の弱点を晒さない傾向が生まれていると感じます。

今、我が家は療育に加え新たに介護問題を抱えつつありますが、親は介護保険を使って誰かに家事の手伝いに来てもらうことにかなりの抵抗を感じていて、この話がなかなか先に進んでいきません。これはモノの本によれば我が家に特有のものではなく、この世代にはよくありがちなことであって、人の世話にならないことを美徳としてきた価値観が、裏目に出てしまっているなあと感じます。

もともと、江戸時代の大多数は農民であり、五人組制度と相まってお互いに助け合う文化が発達した一方で、楽ではない生活の中で、他者に負担をかけることで非難されたくないという思いが現代まで遺物として残ってしまったのではなかろうか、と考えています。

確かに自分でやることは尊いことだと思うのですが、それに固執してQOLが下がり、場合によってはそのことで寿命を縮めてしまうような事態すら招来しかねないのであれば、やはり本末転倒だと思うのです。社会みんなで支える仕組みが(不完全であっても)できたのであれば、まずはそれに乗っかるという姿勢が大切だと思います。

これと同様に、日本においては障害についても他者に晒して助けを求めることを良しとしてこなかった結果、行政側の仕組み作りの対応も遅れてしまっている、という面もあるやに感じています。もちろん、介護の方は世の人全員が「行く道」でありニーズも多い一方、障害者福祉は全員が必ずしも直ちに必要とするものではなくニーズが少ないという側面による方が大きいとは思いますが。

とはいえ、弱者であることを晒すのにためらいを感じるというのは、一言で表現すれば弱肉強食であり、野生動物と同じメンタリティなのではないか? と感じてしまいます。それで良いのでしょうか?

言うまでもなく、何でもかんでも人に頼るというのは逆にどうかと思いますが、人としてできる範囲で頑張り、足りない部分は人に頼る。頼られた側も、できる範囲でお手伝いする、というのは人間が本来あるべき姿だと思っていて、まず最初は必要な人が「必要だ」と声を上げることが第一歩になると思っています。

この声をきちんと受け止めることが、野生動物から分かれた万物の霊長たる人間としての見識を問われることになるのではないか。私は、そう思っています。

2014年2月15日 (土)

(441) 進歩を感じたこと

改めて言う程のことでは無いかもしれないとは認識しつつも書きますが、基本、息子は学校が嫌いです。だから、学校が休みになりそうな状況だと嬉しそうになりますorz

ここのところ週末に雪が降って交通網が大混乱、という状況が2週続いています。こういうことがあると、「月曜日も学校が休みにならないか」と何度も聞いてきたりします(残念ながら、そうはなりませんけれど)。

実は、来週は学校公開(昔で言う授業参観)が予定されており、そこでちょっとした出し物をするための事前の準備や練習が行われています。息子は、このことがすごくイヤなようで、一体何がイヤなのだろう? と疑問であった一方で、親が聞こうとすると双方共どうしても感情的になってしまうため、通級指導の先生に状況をお話して探って頂きました。すると、

  1. 土曜日は(本来)お休みの日なのに、学校に行くのがイヤだ。
  2. 出し物で、自分がうまくできるかを考えると緊張してしまうのでイヤだ。
  3. 他の子もそれぞれ出番があって、それが終わるまでずっと一緒につき合わされるのがイヤだ。

という理由を語ってくれたそうです。

一般的には、「何を言っとるんだ?」と怒られるかも知れません。それを否定はしません。けれども、このように「あくまでも当否は別として」自分の頭の中にある思いをキチンと説明できるようになったことは、すごく進歩しているし、成長したなあと感じるできごとでした。

今までだと、ただ「イヤだ」で終わっていたわけですから、このように複数の理由を挙げられるようになったことは、長足の進歩と言っても良いかも知れません。

また、在籍級の先生も、「昔はイヤなことはやろうとしなかったけれど、自分でやろうとする姿勢が見えてきた」とおっしゃってくれていて、息子なりに「イヤなこと」に対する認識がハッキリして、かつそのことへの対処が明確に、かつ前向きになりつつあるようです。

健常児であれば「それくらい当たり前だろ?」と言われてしまうことかも知れませんが、発達障害児親としては、やはり嬉しいことでした。

2014年2月 2日 (日)

(440) 賢い少数派

障害児育児をしていると、少数派であることを実感することが多いです。

でも、このような少数派とは何も障害に限ったものではなくて、例えば頭の良い人、というのも少数である点は同様なのだと思うのです。

言うまでもなく、世に頭の良い人というのは確かにいて、多くの人は羨望の眼差しを向けるだけですが、彼らも少数派であって、優秀な頭脳の少なからぬ部分を自分の考えや思考過程を理解してもらうことに費やさざるを得なくなっています。

恐らく、彼らは小さい頃からの習い性になってしまっていて、本人もそのことを認識できていない可能性すらあります。また、この過程で説明力は格段に身についているでしょう。

或いは、その七面倒臭さに辟易して、説明する意欲を失い理解を得る努力を放棄してしまっているということもあり得ます。そうなると、理論武装に徹することになって、余計に周囲との軋轢を増しながら、小さな正義に固執することになりますね。

本当は、周囲の方が間違っているのかもしれません。でも、みんなが認めてくれなければその正義は「絵に書いた餅」なんですよね。

頭の良い子を育てるのってかなり難しいことなのではないかと思いつつ、それを誰にも相談できない。しようものなら、鼻持ちならない嫌味な人で終わってしまうし、子供の方は絶対の孤独に陥ってしまう。

その状況への適応が、今の才能を押し隠しつつ和光同塵で生きるか、軋轢覚悟で理論に走るかだとしたら、かなり改善の余地があると思います。

みんな違ってみんないいと主張するからには、彼らの存在もきちんと受け止めてあげないと、と思います。

受験というと、すぐに批判の対象となりがちではありますが、彼らが数少ない仲間と出会えるための機会である、という面もあることは理解が必要でしょう。

なお、こんなことを書いてはいますが、我が家ではこの手の問題点は全くありませんので、誤解されませんようお願いしますhappy02

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