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2013年11月

2013年11月30日 (土)

(431) 体を思うように動かす

子供の発達障害に気付くきっかけのメジャーなものとして「言葉が出ない、遅い」ということがあります。他の子と比較しやすいせいもあって、親はどうしても言葉の発達に目が向いてしまう傾向があります。

実は、発達障害の知識を持ってから改めて見ると、発達が遅れているのは言葉だけではないということに気付きます。特に、運動機能もそうなっている場合が少なくないです。ひとことで言えば、不器用なんですね。

息子が診断を受けて、そこで紹介されて最初に通った特別支援学校の未就学児向けの教室では、言葉ではなく運動の指導がメインとなっていて、最初は「もっと言葉もやってくれれば良いのに…」と思ったものでした。

でも、実際にやらせてみると運動もかなり下手で、そのぎこちない様子を見ると、「ああ、こういうところも苦手なんだ」と納得することとなりました。発達障害は、言葉が遅いだけじゃないんだなあと実感したのです。

ビーズの紐通しとか、大小さまざまな穴にぴったりのピースをはめるという微細運動と、体を大きく動かす粗大運動。先生の指導の宜しきもあって、いずれも少しずつできるようになりました。また、寝る前に手首や足首を親が持って回すということも勧められました。小さい頃からやってあげないとスムーズな動きを妨げ、可動範囲が狭くなるそうで、このようなことは想像していなかったので、やはり教えてもらって良かったと思っています。

後に、脳の言語野は運動野の近くにあって、片方が発達するともう片方にも影響を与えるという話を聞いたことがあり、運動に取り組ませる療育には言葉の発達を促す意味があることがわかりましたし、要は脳のそのあたり一帯の神経細胞のつながりと刈り込みがイマイチうまくいっていないことが、言葉や運動の不得手につながっていたんだな、と納得できました。

あれからもう6年以上が経ちました。息子の体の動きはまだまだぎこちないと感じることも多くあります。とはいえ、水泳や体操に地道に通わせたことは、それなりに効果が出てきています。そして、その直接的な効果だけでなく、やってできるようになることが本人の自信につながってきているようで、嬉しく思っています。

2013年11月23日 (土)

(430) ステークホルダーとしてのきょうだい

前々々回(427) ステークホルダーという考え方という記事を書きました。

ステークホルダーという考え方が意識されるようになったことは、障害児の兄弟(最近は、特別な意味を込めて「きょうだい」と表現されることが多いようです)達に日があたるようになったことと無縁ではないと感じています。

きょうだい達は、幼少期という人格形成に多大な影響を受ける時期を、障害児と同じ家庭で一緒に育つこととなりますし、一生のうちのかなりの部分、確率的には親よりも長く人生をラップさせることとなります。

もちろん、成人した以降も生活を共にするかは個別の事情に寄ります。でも、その存在が全く無かったことになるわけでもありません。折に触れて頭をもたげてくることになります。

これらのことを考えると、きょうだい達は親よりも利害関係が強いと言っても過言ではないのではないでしょうか。

それなのに、これまであまり注目されることはありませんでした。彼らのような境遇の人は、昔から存在し続けていたはずなのに、です。

今回は、この点について、もう少し考えてみたいと思います。

■きょうだい達の思いに沈潜するもの
ざっと思いつくものを以下に記します。
one親が十分に構ってくれない。障害児の兄弟が優先され、自分は二の次
two障害児の兄弟のお世話をするのが当然だと思われる
three障害児の兄弟のパニック等で、落ち着いた時間を確保できない(特に受験期は深刻)
four大切なものを壊される
five一緒に外を歩いていて好奇な目で見られる
sixきょうだいであることでイジメられる
seven恋愛や結婚を意識することになっても、相手に言えない
eight実際に破談になることもある
nine親が死んだ後の世話を期待される

…ちょっと思い浮かべただけでも、きょうだいでなければ無かったであろうかなりの「我慢」を強いられることがわかります。これらを抱えながら、生きていくのは決して楽ではないことは容易に想像できます。

ただ、これらも掘り下げてみると、①②⑨は親の側の問題、③④は障害児の障害に起因する問題、⑤⑥⑦⑧は社会の受け入れの問題に分けられるのではないかと考えられます。

■親の側の問題
これは、明らかに親の意識不足ということになります。親の立場からすれば、障害のある子の行動が目に付くことからそちらが気になってしまい、「普通」の行動をするきょうだいの行動に目が向かなくなってしまうということで、これは、ある程度やむを得ない部分があるとは思うのです。でも、だからこそ自然にしていては向かない視線を意識することで、きょうだい達にも目を届かせるようにしていくことが必要になります。

また、お世話をすることについても、確かに(一般的に)兄弟だから相互に助け合うのが当然とされるのは一面で妥当だとは思うものの、それで全てを判断してはならないでしょう。きょうだい達は、普通の「当然」とされるレベルよりもはるかに高い内容を高頻度で要求されてしまうことも珍しくはありません。このエクストラ部分まで当然視されてしまうと、意欲も気力も萎え、疲弊してしまうこととなります。助け合うという道徳を、きょうだい達の意識の上に強制してはならないと感じます。

■障害児の障害に起因する問題
これは、はっきり言ってアンコントローラブルな部分がどうしても残ります。ただ、ゼロにはできないけれど、大切なものは障害児の手の届かない所に置くとか、部屋の防音を高める、或いはパニックについてABC分析を行ってパニックを減らす取り組みをすることで受ける不利益を減らすことはできると思います。このような努力や代替策を取る工夫を積み重ね、その取り組み姿勢を見せることは、きょうだい達にとっても安心感をもたらすものになるのではないでしょうか。

■社会の受け入れの問題
これは、社会の人々に地道に語りかけ、時間をかけて理解を求めていく他はありません。ある意味、これはアンコントローラブルではないものの、コントローラブルとの比較ではアンコントローラブルに近いものだと考えています。

人は、みんながみんな他人に優しいわけでもありませんし、誰でも苦労をしたいとは思いません。それを道徳的に非難してしまうと、表面的には表れにくくなるかも知れませんが、意識の奥に根強い偏見を残すことにつながってしまう可能性があり、私はこちらをより危惧しています。

とはいえ、きょうだい達も幼い時には周囲の理解を求める行動を取るといっても限界があるわけで、これはやはり親が前に出て行かざるを得ません。むしろ、ここで社会の理不尽に対し親が「全力であなた(きょうだい)達を守ります」という姿勢を示すことができたか、できょうだい達の背負う心理的な重みが変わっていくと考えています。

■連帯を支援する
最終的には、近年になってあちこちで取り組みが生まれ始めた「きょうだい」同士のつながりが、とても大切なものになっていくと思うのです。同じ境遇の者同士、思いを共有できることで「自分ばかりではない」という心強さ、連帯意識を感じることができるようになります。

前回の(429) 障害児の「ママ友」では、子供の成長度合い等によって付き合いが切れていくことをお話しましたが、きょうだい達は、障害児の成長度合いとは無関係に思いを共有できる部分がたくさんあるわけで、そのつながりはむしろ強固なものとなるように思います。

きょうだい達がようやく声を上げ、その存在が意識されるようになってきた今、親も今一度自分達の立ち居振る舞いを見つめ直し、最大のステークホルダーであるきょうだい達の支援を行っていくことが求められているように感じます。

2013年11月16日 (土)

(429) 障害児の「ママ友」

■そもそもママ友って
育児に関わるネット掲示板等を見ると、よく「ママ友の派閥争いに疲れた」「苦手なママ友との付き合い方がわからない」「あれこれ口出ししてくるママ友にうんざり」というようなフレーズが出てきます。

「ママ友がいて良かった!」「ママ友最高!」というような声ってまず見ませんよねhappy02

そもそもの付き合いの発端が、自分の趣味や嗜好とは全く無関係の「単純に子供が同じ場所にいるだけ」という偶然が理由に過ぎないことを考えれば、恐らく無意識的に友達という概念から区別してしまっているのではないか、どちらかと言えばご近所の方に近い存在だと受け止めているのではないか、と考えています。

もちろん、その中で趣味や嗜好が合う方もゼロではないでしょうから、そういう方とはいずれ付き合いが深まっていくことももちろんアリでしょう。でも、大多数は、他方で子供が同じ場所にいることがなくなると、付き合いも疎遠に、あるいは切れてしまうことも珍しくありません。

■障害児育児におけるママ友
前置きが長くなりました。障害児育児においても、ママ友というのは(健常児育児と同様に)できてくることとなります。

ただ、この付き合いは健常児のそれとは異なる側面もあります。

健常児育児の場合、相互に大体何となくの成長曲線が共通して頭の中にあって、それを基準としてお互いの子供たちを見ることになりますが、障害児育児においては、そのようなやり方は全く通用しません。まずは、そこに集まってきた子供たちの特性を各々で観察することから始め、その過程で子供たちの活動・作業の出来不出来を見ながら(或いは聞きながら)、段々と基準ができ上がるとともに、「これは言ってはマズイ」というラインも引かれることになります。ここでのママ友付き合いは、これができ上がるまでは当たり障りのない、もっと言えばぎこちないものになりがちです。

■ママ友のメリット・デメリット
次に、その付き合いのメリットと言えば、何と言っても障害児を抱え、世間一般の親から白眼視されることも多い(もちろん、本来そのようなことはあって良いことではありません)中で、正直な気持ちをぶつけ合える希少な仲間という側面があります。相互の悩みや立場を実感として分かってくれる相手との会話は、心強いものであったりもします。

そして、学校や療育機関や医師のあまり大っぴらには出てくることが少ない情報も相互に交換し合うことが可能となります。これは、健常児の親からは絶対に入手できないものであることが多く、とても有用であったりもします。

一方でデメリットもあって、障害児親の障害の受容度や療育観はバラバラであることが多いです。例えば、どこまで親が出て、どこからは療育先や学校にお願いするべきか、ということも人によって異なることとなりますので、この点での主義主張が異なると、妙な対立を生みかねません。また、上で述べた情報も、そういうフィルターを通ってきていることを意識しないと、せっかくの情報を生かしきれない可能性が生じます。

■ママ友の期間は健常児よりも短い
実際のところ、障害児育児におけるママ友は、療育機関や学校の父兄懇談会や授業前後の送り迎え時にちょっと話をするだけのことが多く、相互に連絡先を知っていて別途どこかで集まるという関係まで構築することはどうしても少なくなります。特に、療育機関での出会いの場合は、子供が学校での不具合・不適応が多くなると、その対応で疲れてしまったり、時には心が折れてしまったりすることもマレではなく、結果として療育機関に来なくなったり、やめてしまったりということが残念ながら、そして結構高い確率で起こります。

更に、障害児の成長はその子供子供でかなりの差が出てくるため、段々と個々の子のニーズが異なっていき、その次の課題に対応した進路も変わっていくことから、その結果として会わなくなるということも多くなります。この点、健常児の場合は、学区が限られていて、かつ少なくとも同じ学校である限りは行事のたびに出会う可能性は残るものの、障害児の場合は数が少ない分かなり広域から集まってきていることが多いため、学校や療育機関に来なければもう会うこともなくなる、ということになりがちです。

ということを考えると、障害児のママ友期間って決して長くないのですよね。

自分はママではないので、逆にそういうお付き合いからはちょっと離れがちにはなる(会話と言っても挨拶程度で、それ以上の交流はない)のですが、それでも、例えば幼稚園時代に一緒に通っていた子で、今も一緒になるという子はおらず、妻もその方々との付き合いは無くなってしまっています。これはやむを得ないことなのでしょう。

■社会への理解を求めるに際して
元々少数派に属していて、やっと出会った「ママ友」との付き合いが、療育への考え方や子供の成長度合い、更には親の気力等の要因により、短期間で失われてしまうという現実。これは、寂しさとは異なる何とも言えないやるせなさを感じます。

そして、このことが少数派である障害児の親の社会に対するアピール力を、より低めてしまっているのではないか、との思いもあります。

ただ、これを親の側の帰責としてしまって良いことかと問われたら違うと思います。療育に力を入れるのだけで手一杯になりがちなのも事実で、それ以上になかなか踏み込めないという経験は、自らも日々の生活の中でありがちなことから、一定程度はやむを得ないと感じています。反面、そうは言ってもだから今のままで良いのかと突き詰められれば、この点はやはり反省しなければならないとも思っています。

「子供の生きやすさ」を考えれば、社会に理解を求める継続的かつ横断的な取り組みをしていく努力は不可避だと思いますし、それゆえに障害児を持つというご縁をつないで絶やさない努力をするという意識を持つようにしなければ、と感じています。

2013年11月10日 (日)

(428) 相手の考えを聞けるようになって

息子は、療育先でSSTの指導を受けています。

ペアとなった子の考えを聞き、相互に意見交換をしながら答えを一緒に考えていく、という課題に取り組んでいるのですが、これについては割とよくできていると指導の先生から言われています。また、自ら「こうじゃないかな」とさまざまな案を提示して、相手の同意を得るということもできていて、妹とケンカばかりしているところしか見ていない私としては、思ったよりも成長しているんだなあと感じて目を細めています(じゃあ、どうしておウチでも同じようにできないの? という疑問はありますけれど…coldsweats01)。

ある場面で、相手に対して「知らないかも知れませんが…」というクッション言葉を遣えるようになっていたことは、正直驚きました。これまで、イラストを見て状況を説明をするということについて療育の先生の指導を仰いでいるのですが、かなり苦手です。どうしても木を見て森を見ずの説明になりがちなのですよね。

この点、一点集中型の特性がよく現れているなあと感じていましたが、このように相手の立場に立って話をすることができるようになってきたのかと、ちょっと驚いています。

子供が成長し、それに連れて大小さまざまな変化を見せてくれるたびに、もう6年前のことではありますが、診断をもらった頃のことを思い出します。あの時、さんざん打ちのめされて悲観的になっていた時に漠然と思い描いていた将来見通しよりは、かなりマシな状態になっていることを実感し、率直に良かったと感じてはいます。この点、まだ診断を受けたばかりの方にもお伝えしたいことです。

でも一方で、だからこそ見えてきている「埋めがたく残ってしまっている部分」をどうするか、について考えてしまいます。だから手放しで喜べないんですよね…。

この部分を更に何かをやることによって綺麗に埋めることは、恐らくできないのでしょう。そして、それを補って余りある長所がそうそうあるかと問われたら、何とも言えませんし、持っている「手札」でどう勝負して世を渡っていくかについては、障害児育児での永遠の課題なのだろうと思っています。

後は、本人の成長というアンコントローラブルなもの(麻雀で言えば、裏ドラ)に期待する他ない局面を迎えつつある、と感じています。

2013年11月 4日 (月)

(427) ステークホルダーという考え方

子供が健常児であれ障害児であれ、親として子供の幸せについて考えることは自然であり、それを全く考えないとしたら、それは親として恥ずべきことだと率直に思います。

ただ、子供の幸せ「だけ」を考えるのも、やはり恥ずべきことになってしまいます。

会社においては、CSRという概念があります。Corporate Social Responsibilityの略で、「企業の社会的責任」と訳されるCSRが何を指すのかについて、Wikipediaからそのまま持ってくると「企業が利益を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体)からの要求に対して適切な意思決定をすることを指す」のだそうです。

企業が営利活動を行う上で求められるようになったこのステークホルダーという考え方は、育児中の各家庭にも応用できると思います。つまり、各家庭も個々の活動の中で利害関係のある人というのは当然いて、そのすべての人(近隣住民、学校の先生、クラスメート、クラスメートの父母、療育先の先生、児童相談所や発達センターの先生、主治医等)との関係においても、「適切な意思決定」によって自分だけでなく相手にとっても良い結果を招来する、Win-Winの関係を築く必要があると思うのです。

実際、療育先で出会う親御さんの中には、「周囲が理解してくれない」「学校が十分に支援してくれない」ということのみをお話になる方も残念ながらおられます。こういう「くれない(紅bleah)族」思考になってしまうと、オール・オア・ナッシングに思考が固まりがちになってしまって、相互に譲り合える範囲を考えて妥当なところ(落としどころ)を見つけてWin-Winの関係を築くことが困難になってしまいます。

自分に願いがあるように、人にも願いがある。極めて当たり前のことではありますが、我が子のこととなると、親はどうしても冷静な思考を欠くことになりがちです。たとえ人格者とされる人であっても…

子が親を選べないように、親も子を選んだわけではなく、縁あって親子になっているわけで、この不可思議なつながりは、昨今某有名司会者の親子関係が取り沙汰されていることも踏まえると、親が出過ぎても出なさ過ぎてもダメで、絶妙なバランスを取らないと世間から指弾を受けかねない事態にもなりかねないこととなります。

ゆえに、これからの育児においては、ステークホルダーという捉え方を意識し、多くの利害関係人とより良い関係を築いていくことが不可欠であろうと思いますし、そうすることが子供にとっても利益に繋がると考えています。

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