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2013年11月23日 (土)

(430) ステークホルダーとしてのきょうだい

前々々回(427) ステークホルダーという考え方という記事を書きました。

ステークホルダーという考え方が意識されるようになったことは、障害児の兄弟(最近は、特別な意味を込めて「きょうだい」と表現されることが多いようです)達に日があたるようになったことと無縁ではないと感じています。

きょうだい達は、幼少期という人格形成に多大な影響を受ける時期を、障害児と同じ家庭で一緒に育つこととなりますし、一生のうちのかなりの部分、確率的には親よりも長く人生をラップさせることとなります。

もちろん、成人した以降も生活を共にするかは個別の事情に寄ります。でも、その存在が全く無かったことになるわけでもありません。折に触れて頭をもたげてくることになります。

これらのことを考えると、きょうだい達は親よりも利害関係が強いと言っても過言ではないのではないでしょうか。

それなのに、これまであまり注目されることはありませんでした。彼らのような境遇の人は、昔から存在し続けていたはずなのに、です。

今回は、この点について、もう少し考えてみたいと思います。

■きょうだい達の思いに沈潜するもの
ざっと思いつくものを以下に記します。
one親が十分に構ってくれない。障害児の兄弟が優先され、自分は二の次
two障害児の兄弟のお世話をするのが当然だと思われる
three障害児の兄弟のパニック等で、落ち着いた時間を確保できない(特に受験期は深刻)
four大切なものを壊される
five一緒に外を歩いていて好奇な目で見られる
sixきょうだいであることでイジメられる
seven恋愛や結婚を意識することになっても、相手に言えない
eight実際に破談になることもある
nine親が死んだ後の世話を期待される

…ちょっと思い浮かべただけでも、きょうだいでなければ無かったであろうかなりの「我慢」を強いられることがわかります。これらを抱えながら、生きていくのは決して楽ではないことは容易に想像できます。

ただ、これらも掘り下げてみると、①②⑨は親の側の問題、③④は障害児の障害に起因する問題、⑤⑥⑦⑧は社会の受け入れの問題に分けられるのではないかと考えられます。

■親の側の問題
これは、明らかに親の意識不足ということになります。親の立場からすれば、障害のある子の行動が目に付くことからそちらが気になってしまい、「普通」の行動をするきょうだいの行動に目が向かなくなってしまうということで、これは、ある程度やむを得ない部分があるとは思うのです。でも、だからこそ自然にしていては向かない視線を意識することで、きょうだい達にも目を届かせるようにしていくことが必要になります。

また、お世話をすることについても、確かに(一般的に)兄弟だから相互に助け合うのが当然とされるのは一面で妥当だとは思うものの、それで全てを判断してはならないでしょう。きょうだい達は、普通の「当然」とされるレベルよりもはるかに高い内容を高頻度で要求されてしまうことも珍しくはありません。このエクストラ部分まで当然視されてしまうと、意欲も気力も萎え、疲弊してしまうこととなります。助け合うという道徳を、きょうだい達の意識の上に強制してはならないと感じます。

■障害児の障害に起因する問題
これは、はっきり言ってアンコントローラブルな部分がどうしても残ります。ただ、ゼロにはできないけれど、大切なものは障害児の手の届かない所に置くとか、部屋の防音を高める、或いはパニックについてABC分析を行ってパニックを減らす取り組みをすることで受ける不利益を減らすことはできると思います。このような努力や代替策を取る工夫を積み重ね、その取り組み姿勢を見せることは、きょうだい達にとっても安心感をもたらすものになるのではないでしょうか。

■社会の受け入れの問題
これは、社会の人々に地道に語りかけ、時間をかけて理解を求めていく他はありません。ある意味、これはアンコントローラブルではないものの、コントローラブルとの比較ではアンコントローラブルに近いものだと考えています。

人は、みんながみんな他人に優しいわけでもありませんし、誰でも苦労をしたいとは思いません。それを道徳的に非難してしまうと、表面的には表れにくくなるかも知れませんが、意識の奥に根強い偏見を残すことにつながってしまう可能性があり、私はこちらをより危惧しています。

とはいえ、きょうだい達も幼い時には周囲の理解を求める行動を取るといっても限界があるわけで、これはやはり親が前に出て行かざるを得ません。むしろ、ここで社会の理不尽に対し親が「全力であなた(きょうだい)達を守ります」という姿勢を示すことができたか、できょうだい達の背負う心理的な重みが変わっていくと考えています。

■連帯を支援する
最終的には、近年になってあちこちで取り組みが生まれ始めた「きょうだい」同士のつながりが、とても大切なものになっていくと思うのです。同じ境遇の者同士、思いを共有できることで「自分ばかりではない」という心強さ、連帯意識を感じることができるようになります。

前回の(429) 障害児の「ママ友」では、子供の成長度合い等によって付き合いが切れていくことをお話しましたが、きょうだい達は、障害児の成長度合いとは無関係に思いを共有できる部分がたくさんあるわけで、そのつながりはむしろ強固なものとなるように思います。

きょうだい達がようやく声を上げ、その存在が意識されるようになってきた今、親も今一度自分達の立ち居振る舞いを見つめ直し、最大のステークホルダーであるきょうだい達の支援を行っていくことが求められているように感じます。

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