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2013年11月16日 (土)

(429) 障害児の「ママ友」

■そもそもママ友って
育児に関わるネット掲示板等を見ると、よく「ママ友の派閥争いに疲れた」「苦手なママ友との付き合い方がわからない」「あれこれ口出ししてくるママ友にうんざり」というようなフレーズが出てきます。

「ママ友がいて良かった!」「ママ友最高!」というような声ってまず見ませんよね

そもそもの付き合いの発端が、自分の趣味や嗜好とは全く無関係の「単純に子供が同じ場所にいるだけ」という偶然が理由に過ぎないことを考えれば、恐らく無意識的に友達という概念から区別してしまっているのではないか、どちらかと言えばご近所の方に近い存在だと受け止めているのではないか、と考えています。

もちろん、その中で趣味や嗜好が合う方もゼロではないでしょうから、そういう方とはいずれ付き合いが深まっていくことももちろんアリでしょう。でも、大多数は、他方で子供が同じ場所にいることがなくなると、付き合いも疎遠に、あるいは切れてしまうことも珍しくありません。

■障害児育児におけるママ友
前置きが長くなりました。障害児育児においても、ママ友というのは(健常児育児と同様に)できてくることとなります。

ただ、この付き合いは健常児のそれとは異なる側面もあります。

健常児育児の場合、相互に大体何となくの成長曲線が共通して頭の中にあって、それを基準としてお互いの子供たちを見ることになりますが、障害児育児においては、そのようなやり方は全く通用しません。まずは、そこに集まってきた子供たちの特性を各々で観察することから始め、その過程で子供たちの活動・作業の出来不出来を見ながら(或いは聞きながら)、段々と基準ができ上がるとともに、「これは言ってはマズイ」というラインも引かれることになります。ここでのママ友付き合いは、これができ上がるまでは当たり障りのない、もっと言えばぎこちないものになりがちです。

■ママ友のメリット・デメリット
次に、その付き合いのメリットと言えば、何と言っても障害児を抱え、世間一般の親から白眼視されることも多い(もちろん、本来そのようなことはあって良いことではありません)中で、正直な気持ちをぶつけ合える希少な仲間という側面があります。相互の悩みや立場を実感として分かってくれる相手との会話は、心強いものであったりもします。

そして、学校や療育機関や医師のあまり大っぴらには出てくることが少ない情報も相互に交換し合うことが可能となります。これは、健常児の親からは絶対に入手できないものであることが多く、とても有用であったりもします。

一方でデメリットもあって、障害児親の障害の受容度や療育観はバラバラであることが多いです。例えば、どこまで親が出て、どこからは療育先や学校にお願いするべきか、ということも人によって異なることとなりますので、この点での主義主張が異なると、妙な対立を生みかねません。また、上で述べた情報も、そういうフィルターを通ってきていることを意識しないと、せっかくの情報を生かしきれない可能性が生じます。

■ママ友の期間は健常児よりも短い
実際のところ、障害児育児におけるママ友は、療育機関や学校の父兄懇談会や授業前後の送り迎え時にちょっと話をするだけのことが多く、相互に連絡先を知っていて別途どこかで集まるという関係まで構築することはどうしても少なくなります。特に、療育機関での出会いの場合は、子供が学校での不具合・不適応が多くなると、その対応で疲れてしまったり、時には心が折れてしまったりすることもマレではなく、結果として療育機関に来なくなったり、やめてしまったりということが残念ながら、そして結構高い確率で起こります。

更に、障害児の成長はその子供子供でかなりの差が出てくるため、段々と個々の子のニーズが異なっていき、その次の課題に対応した進路も変わっていくことから、その結果として会わなくなるということも多くなります。この点、健常児の場合は、学区が限られていて、かつ少なくとも同じ学校である限りは行事のたびに出会う可能性は残るものの、障害児の場合は数が少ない分かなり広域から集まってきていることが多いため、学校や療育機関に来なければもう会うこともなくなる、ということになりがちです。

ということを考えると、障害児のママ友期間って決して長くないのですよね。

自分はママではないので、逆にそういうお付き合いからはちょっと離れがちにはなる(会話と言っても挨拶程度で、それ以上の交流はない)のですが、それでも、例えば幼稚園時代に一緒に通っていた子で、今も一緒になるという子はおらず、妻もその方々との付き合いは無くなってしまっています。これはやむを得ないことなのでしょう。

■社会への理解を求めるに際して
元々少数派に属していて、やっと出会った「ママ友」との付き合いが、療育への考え方や子供の成長度合い、更には親の気力等の要因により、短期間で失われてしまうという現実。これは、寂しさとは異なる何とも言えないやるせなさを感じます。

そして、このことが少数派である障害児の親の社会に対するアピール力を、より低めてしまっているのではないか、との思いもあります。

ただ、これを親の側の帰責としてしまって良いことかと問われたら違うと思います。療育に力を入れるのだけで手一杯になりがちなのも事実で、それ以上になかなか踏み込めないという経験は、自らも日々の生活の中でありがちなことから、一定程度はやむを得ないと感じています。反面、そうは言ってもだから今のままで良いのかと突き詰められれば、この点はやはり反省しなければならないとも思っています。

「子供の生きやすさ」を考えれば、社会に理解を求める継続的かつ横断的な取り組みをしていく努力は不可避だと思いますし、それゆえに障害児を持つというご縁をつないで絶やさない努力をするという意識を持つようにしなければ、と感じています。

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