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2013年10月13日 (日)

(424) 適切な療育と将来像の変化

障害児の親は、障害児の親になろうと思ってなったわけではありません(願った通りだった方がもしおられたら、ご教示下さい)。まあ、強いて言えば第一子が障害児で、そのことを既に知っていて、第二子(以降)を望まれた場合には、もしかしたらその可能性があるなあくらいには思っていたかも知れません。でも、なろうと思っていたわけではないという点は、変わらないでしょう。

多少のバリエーションはあるかも知れませんが、ベースとして心の準備が全く無い状態で子が生まれ、育ってくるうちに何となく不安だけが募って、あちこち訪ね歩いて最終的に告知された、というパターンが一番多いのではないでしょうか。

このような過程を経て、障害というものに向き合うことになった(≒向き合わざるを得なくなった)親は、(1)子供の障害を受け入れているか、(2)子供に対し療育をしているか、の二つの観点から、以下の3タイプに分かれるように感じています。

one 子供の障害を受け入れ、子供の療育に手を尽くすタイプ
two 子供の障害を受け入れたものの、子供の療育を行わないタイプ
three 子供の障害を受け入れず、従って子供の療育に意を払わないタイプ

単純な組み合わせで考えると、

four子供の障害を受け入れないが、子供の療育に手を尽くすタイプ

も一瞬は頭に浮かぶのですが、これは事実上あり得ないので除外します。

実は、twoは客観的には同じなのですが、親の側の事情として更に

two-1として、「諦めてしまったがゆえに何もしない」というタイプ
two-2として、「何かしないととは思うものの、重圧から思考停止になってしまって何もできなくなってしまった」というタイプ

の2パターンに分かれるように感じます。

また、threeも実際は

three-1として、「子供の障害を受け入れないものの、健常児と同様にしつけていこうとする」タイプ
three-2として、「子供の障害を受け入れず、かといって健常児と同様のしつけもしない」タイプ

の2パターンに分かれることとなります。

three-1のタイプは、そう珍しいものでもありません。即ち、「うちの子は障害児ではありません。ちょっと変わっているだけです。親として、きちんとしつけていきます」という方って、お近くにおられないでしょうか? 確かに多くはないと思う一方で、無視できるほど少数でもないと考えておりますが、いかがでしょうか?

なお、three-2は単なるネグレクトですよね。障害の有無とは別の次元で対応が必要になるかと思います。

これら全体を俯瞰して見ると、障害を持って生まれた子供のの中で、成長度合いに応じた適切な支援を受けられる可能性があるのは、oneのタイプの親を持った子供の一部でしかない、ということに気付きます。

「えっ? 一部ってどういうこと?」と思われるかも知れません。

まず、twothreeがダメなのは自明だと思います。次に、oneのタイプについて考えてみましょう。確かに、手を尽くすのは結構なことではあります。しかし、親もついつい子のためを思うあまり熱心になり過ぎてしまったり、あるいは既存の療育に限界を感じ、効果が客観的に確かめられていないものにまで手を広げてしまったり、といった不適切な取り組みをしてしまう可能性を否定できないと思います。

熱心になり過ぎると、親も子もともに燃え尽きるリスクがあります。この中で、親が燃え尽きてしまえば事実上twoになってしまいます。

また、効果が確かめられていないものに手を広げてしまうことについては、実は本当に障害を受け入れていたら、既存の療育にも限界があることも含めて理解し受け入れなければならないはずなのですが、この点で親の欲目が出てしまうわけですね。かえって何もしない方がまだマシだった、という可能性すら出てきます。

このようなことを防ぐためには、やはり小児精神科医や信頼できる療育機関としっかり連携し、相談しながら客観性を保って進めていくことが必要になることを、常に心に留めておかなければならないだろうと思います。

それにしても、このように考えると、障害を持つ子が適切な療育を受けることはかなり難しい、稀有のことになるのかも知れません。そして、世間のイメージする障害児像も、もしかするとこの不適切な療育を経た子の姿からデフォルメされて作り上げられている可能性もあることを考えれば、親の側も自制と自戒が必要になると感じます。

一方で、このことは、親の側が意識して対応を変えていくことで子供たちがよりよく社会に適応できるかも知れないこと、即ち変えられる未来に希望を持てることを示しているとも考えられます。

この希望を胸に持続し、子供との日々の関わりに「にじみ出し」ていくことで、良い方向に変えていけたら良いなあと思います。

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