« (424) 適切な療育と将来像の変化 | トップページ | (426) マイペースと譲れる範囲 »

2013年10月19日 (土)

(425) まだ行ける

息子に対して療育をやってきていて、費用対効果を全く意識しないか? と言われたら嘘になります(ここで言う費用とは、お金だけではなく労力や時間も含んで考えています)。

幸い、今まで療育をやったらやったなりに何らかの効果があったので続けてきていますが、いくらやっても身につかない、変わらないという状態になった時にどうするか? このことは常に頭の片隅にあって、いずれその時が来るかもしれないと恐れながら続けてきているのが実態でもあります。

もしそのような状態になった時には、自分以上に息子も辛いだろうなあと思いますし、無理強いをすることなく、障害者として生きていける場所を探してあげなければならないな、と考えています。

療育は、独特の認知能力に合わせた教え方をすることで、子の学習意欲を継続させつつ学力を向上させたり、ソーシャルスキルを教えることで社会生活へ適合しやすくさせたりするものであって、最終的には社会で生きていくために必要なことを教えるものだと考えています。学力については、ギフテッド教育(突出した高い能力のある子の能力を更に高める教育)も魅惑的ではありますが、まずは地道に学校の授業についていけるようにする、ということが当面は求められます。

一方で、昔から学校教育は「七五三教育」と言われてきました。小学校で7割、中学で五割、高校では三割の子しか内容を理解できていないということで、半分は揶揄も入っていると思うものの、小学校で既に三割が落ちこぼれてしまうわけです。

しかも、この中には特別支援学校・学級の子は含まれていないでしょうから、この率はもう少し高くなるはずです。加えて、ゆとり教育への反省から、今は逆に昔以上に学習量が増えているように感じますし、ついて行けずに落ちこぼれてしまう子は増える方向に進むことが予想されます。

不謹慎かも知れませんが、落ちこぼれて覚悟を決められるなら、その方が楽なのではないかと考えてしまうことがあります。「まだ行ける、まだ頑張れる」という考えは、苦しい状況が継続することとほぼ一緒であって、いずれ白旗を上げることがわかっているなら、そうしたいという思いがわく一方、やはり行けるところまでは頑張らないと、とも思います。

この狭間で揺れるのは、月並みですが親の業なのでしょうね。

中国の宋の時代の有名な詩人、蘇軾の七言絶句に「春風を待ち得たるは幾枝か在る」という一節があります。冬の雪や霜にやられてしまい、春風が吹くまでに枯死した枝はたくさんある。即ち多くの有為な人材が春を待てずに死んでいったことを嘆いたものですが、子供が学習も含めて自分の意欲を枯らせてしまわないよう、親は「まだ行ける」と信じてやっていくしかないのでしょう。

春はいずれやってきて、その時に芽を出せるようにしておくために。

« (424) 適切な療育と将来像の変化 | トップページ | (426) マイペースと譲れる範囲 »

療育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: (425) まだ行ける:

« (424) 適切な療育と将来像の変化 | トップページ | (426) マイペースと譲れる範囲 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ