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2013年8月

2013年8月27日 (火)

(418) 帰省を終えて

先週、妻子が妻の里から帰省してきました。早いものでもう一週間が経っています。

里帰りの間、妻の兄弟や従姉妹、更に友人が(当然)子供連れで遊びに来たと聞きます。それに対して、娘はもちろんソツなく対処できた一方で、息子も特段親が困るような対応をすることもなく、普通に対応できたそうです。普段見ていると、全然進歩をしていないように見えるのですが、着実にソーシャルスキルが身についてきていることを感じ、嬉しく思います。

ただ、今年は酷暑で海水温も高くなっていたようで、お盆前からクラゲが発生し、せっかく海水浴に行ったのに、息子は早速クラゲに刺されてしまいましたcrying

このために「もう、海に行かない!」と不愉快全開丸になってしまったのは、まあしゃあないわなあと思います。はるか昔、私も子供だったことがあってcoldsweats01、やはり海でクラゲに刺されたことがあります。その時は、結構痛がゆかったのですが、刺された痕は大したことなく済んでいました。ところが、息子の方は、刺されて2週間になりますが今でも跡がクッキリ残っていて、恐らく私を刺したものよりも強い毒であったことが伺われますし。

ただ、妻の実家の近所にプールはあって、気を取り直した息子は、妹とともにそちらに数回泳ぎに行ったようです。

前にも書いたことがあるかも知れませんが、息子は滲出性中耳炎を長く患っていて、このために小学校の水泳の時間もこれまでほとんど見学を余儀なくされていました。従って、元々不器用な上に泳ぎは全くできない状態でした。

今夏は、中耳炎の状態も少し良くなってきたこともあり、さすがに全く泳げないのは時と場合によっては命に関わると考えたことから、障害児向けの水泳教室に通って手ほどきを受けて、ちょっとずつ泳げるようになってきたところでした。そこで教わったことを早速そのプールでやっていたようで、水泳を楽しむようになったということと、息子が自発的に練習に取り組むようになったということ、この2点で成長を感じて、率直に良かったなあと嬉しく思っています。

これまでは、ちょっと気に入らないことがあると、それで「もうやらない」となることも珍しくなかったことを思えば、かなりの進歩です。

2週間振りに会った時に、出迎えた私にきちんと挨拶できた息子を見て、目を細めてしまったことは言うまでもありません。

療育をしている方に伝えたいことは、目先の短期間では効果が出ていないと感じられるようであっても、やはり少しずつ子供も成長しているということです。当たり前のことですが、少しずつ育って伸び始めている芽を焦って引っ張って摘んでしまうようなことがないよう、心したいものですね。

2013年8月20日 (火)

(417) 二つの選択肢(3)

■人生に選択はつきもの
前回、いずれを選んでも一長一短だという状況についてお話しました。でもこれは、発達障害の有無に関わらず、人間が成長し人生の選択をする過程そのものに内在する不可避なものなのだ、と受け止めています。

言い換えると、自分の人生に大満足という人はそうそういないということです。「わが生涯に一片の悔いなし!!」と言い切れるのは恐らく北斗の拳のラオウくらいのものでcoldsweats01、失礼ながらあなたは自分のこれまでの人生に一点の曇りなく満足していますか? という問いを思い浮かべれば、自ずと明らかですよね?

実際のところ、人生には無限の選択肢があるように見えて、本当に自由意思で選べるものは意外と少ないものです。結局こうならざるを得なかったんだと諦めつつ、それでも自分を納得させて前向きに生きていく。人生の選択とはそういうものなのでしょう。

■可能性を広げる
私が大学時代、ある先生に言われたのは、「1、2年生の時はできるだけさまざまな経験をして自らの可能性を広げなさい。でも、3、4年生になったら惜しげもなく広げた可能性を切り捨てて一つに絞らないと、いつまでも夢を追い続けて中途半端な人生を送ることになってしまう」という言葉でした。これは、今でも私が人生を考える際に影響を受けています。

自らの可能性を広げる努力と、最後は一つに絞るという孤独で苦痛を伴う作業。この二つの作業のうち、当面はまず可能性を広げる努力が必要ということで、その有力な手段が月並みですが「勉強をすること」になります。ここで言う勉強は、学校での教科学習のことだけではなくもう少し広く捉えていますが、勉強して能力を獲得すればするほど自らの可能性を広げることにつながりますし、その広がり度合いに応じて絞り込む範囲も自ずと定まっていきます。

勉強をしないということは、この可能性を自ら閉ざす行為であり、のちのちになって確実に自らに返ってくることとなります。勉強を嫌がる行為は子供によく見られることではありますが、子供に対して自分が損をすることになるという意識付けは、もっと積極的にやって良いと思います。

■学力とやる気
息子の場合、見ている限りどうも勉強しなければならないらしい、ということはわかっているようなのですが、まだ意欲が伴ってきていないように感じます。学力は決して無いわけではないと思うものの、ちょっとしたことで意欲が萎える傾向があります。

発達障害の子の場合、学力に加えて意欲、やる気というメンタル面での浮き沈みをコントロールするスキルを獲得していく必要性があると感じます。なぜなら、彼らは健常児よりもこの浮き沈みが激しいからです。やる気がある時はすごく良い結果を出す一方で、そうでない時は五体投地をしたくなるくらいの惨憺たる状態に陥るので、このあたりの改善は急務だと感じています。入学試験はそうそう何度もチャンスがあるわけではないので、やる気をその時にうまく持てるか不明なままでは、単なるバクチになってしまいますし。

もっとも、プレッシャーに弱い子は健常児にもいるわけで、本番で発揮できた能力が真の実力だと言われてしまうと、「そこを何とか…」と思いつつも真正面からの反論がなかなか難しくなります。この思いは、はるか昔に息子が受けた発達検査で、普段だったらできるはずのことなのに、臨床心理士さんの口調や態度が違うことでできなくなってしまう姿を見せられて感じた無念さからずーっと引きずってきているものではありますが…。

2013年8月14日 (水)

(416) 二つの選択肢(2)

■本論に入る前に
ここで本論に入る前に、ちょっとだけ触れておきます。

障害者として生きていく、という選択を(少なくとも今は)しない理由は、障害者として生きていくための条件(手帳取得等)が整わない可能性がかなり高く、仮に今は整っても更に将来にまた審査があって、そこでまた整わない可能性があるという不安定な状況が続くことと、そもそも(善し悪しは別として)現状の障害者を取り巻く環境を見ると、そちらを選ぶことは結果的に「選択肢が狭くなる」ということ、の2点になります。

特に、後者についてはもう少し何とかならないかと思うのですが、障害者枠での就職例を見ると、軽作業・単純作業がほとんどで、かつ待遇もそれなりであって、恐らく息子がいずれその生き方に強い違和感を感じることがほぼ確実と言って良いくらいの確率で予想されます。

最初からそちらを目指させた場合、その時になって本人の納得性が得られないと感じており、やむなくこのような選択をせざるを得ない、というのも正直なところです。

■健常者として生きるとして
とはいえ、「①このまま公立中学に進み、必要があれば通級指導教室にも通う」「②受験校ではない人間教育重視の私立を受験する」のどちらにも一長一短があります。満点ではありません。

■①の場合
当面は、今の環境が多く引き継がれることとなりますから、本人の新しい環境への適応に関する負荷が低くて済む、というメリットがあります。これまで相談してきたところとも引き続きお付き合いが継続することになって、親の側もラクになります。

一方で、この後、高校受験という関門が待ち受けることとなります。この点、中学校における特別支援は小学校よりは少なくなることが予想されますし、中学の3年間でズバ抜けた学力を発揮できるようになることもまず期待できません。となると、入れる高校も自ずと限られてしまいます。

また、息子本人も今よりは自我が芽生え、余計な雑念を持つようにもなるでしょうから、受験に向けた取り組みをするにしても、中学受験よりも難しくなるでしょう。このあたりのデメリットが出てきます。

■②の場合
①とは逆に、比較としてまだ親の言うことを聞きやすい今のうちに受験してしまうことで、6年間の安定生活を手に入れられるというメリットがあります。また、私立はイジメにも対処が早い例が多いと伺っており、このあたりは評価できると考えています。

一方で、目指す学校は学力重視ではないものの、やはり受験という関門があって、イベント前になると眠れなくなる等プレッシャーにかなり弱い息子にとって、受験をしても最後まで集中して問題に取り組めるのかが最大のハードルになりますし、加えてプレッシャーとは別に単純に合格できるだけの学力を身につけられなければ、当然その先は無くなってしまう、というのが大きなデメリットと言えます。

なお、めでたく合格できたとしても、私立学校は普通学級しかないでしょうから通級指導教室もなくなります。その学校で、特性に合わせた配慮をどのくらいしてもらえるのかも未知数です。

■正直なところ
本当は、②でいけたらそちらの方が良い、とは思っています。でも、そもそも受験をクリアできない、受験をクリアしても、学校に馴染めない、或いは学校側からの配慮が少ない、というようなことがあると、残念ながら途中で諦めて①に舞い戻らざるを得ないとも思いますし、その可能性も決して低くはないなと考えています。となると、これも含めて①が一番可能性が高いと判断しています。

■高校
実は、中高時代って健常児であっても一番厄介な世代だと思います(少なくとも私は、強くそう思っています)。ひとことで言えば「カオス」であって、こういう時に健常児に揉まれることが、息子にとって本当に良いのか? という疑念がずーっと頭にあります。中学で、もし「これはアカンわ」と思うようなことがあれば、高校に通わせるのではなく、高卒認定試験から大学にというルートも考えています。

■高校から先
社会一般では、高校卒業時点で将来の方向性をある程度固める必要がでてきます。大学に通えるならそうしてあげたいと思う一方で、学歴だけ高くて仕事に適応できない「隠れ」発達障害者が社会に出て初めて自分がそうだと気付くような例も見聞きしますし、このあたりは高学歴至上主義に陥ってはいけないと自戒するところです。

■結び
とりとめのないことを書いてきましたが、所詮は頭のトレーニングに過ぎません。そもそも、今からあまり先々の心配ばかりをしていると、今の生活を楽しめなくなってしまうという大きなデメリットがあります。

取りあえず、本人もそれなりに成長することは間違いないのですから、もう少し分別の度合いが上がってから改めて親子で話をし、同じ方向に目を向けながら一緒に対処していく。月並みですが、このようにやっていくことに尽きるのではないかと考えています。

2013年8月10日 (土)

(415) 二つの選択肢(1)

私以外の家族は、妻の実家に里帰り中です。ということで、私は年に一度の静かな時間を過ごしていますhappy01

息子は、妻の父(要するに「おじいちゃん」)に懐いており、妹も海遊びを楽しむ等、子供達は妻の里での居心地も悪くないようです。たまに妻から連絡が来るのですが、これまでのところ、これは困った…というような状況には陥っていないと聞いています。

もちろん妻も、家事の負担や子供の相手をする労力が軽減されて、少し気を抜くことができるようです。

…という、家族それぞれに良いことが起こっている状況ではありますが、息子はもう4年生ということもあり、今後どうするかを考えなければなりません。静かな時間を利用して、あれこれと思案中です。

■小学校前半の総括
これまでのところは、普通学級に所属したことに起因するさまざまなできごとに、都度対処するという対応がメインでした。具体的には、本人の持って生まれた足りない部分を親や療育先の先生の指導を仰ぎながら補うとともに、発生するさまざまなトラブルを処理・解決していく、ということが少なからずありました。もちろん無い方が良いことではありますが、普通学級を選択したことから不可避の通過儀礼だったという受け止めをしています。

■環境の変化
ただ、4年生の後半になってくると、中学受験をする子はその準備に取り掛かり始めると伺っています。そういう子供達は、受験に向けて神経が段々張り詰めていくであろうことは当然に予想され、最近はほとんど無くなったとはいえ息子の不規則発言・行動があったりすると、イラッとすることもあるだろうと思います。もちろん、受験以前に周囲も社会性が育ってくるとともに、そういうことに対する意識が(少なくとも周囲よりは)低い息子に対して、段々厳しい態度で接してくることも予想されます。

■息子の進路
そんな中で、息子本人も小学校を卒業する時が段々現実感を持って近づいてきています。今のところ考えられるのは、以下の4パターンくらいです。
oneこのまま公立中学に進み、必要があれば通級指導教室にも通う。
two受験校ではない人間教育重視の私立を受験する。
three特別支援の充実した私立を受験する。
four公立の特別支援学級に通う。

■親の評価
一応、可能性もこの順だろうと考えています。前提として、今、愛の手帳を持っていますが、これは12歳の時に更新手続きが必要になるものの、その時に更新してもらえるかは、かなり微妙だなと考えていて、更新されないとなるとベースは健常者として生きていくことを選ばざるを得なくなります。精神障害者保健福祉手帳の取得も考えられなくはありませんが、それはもう少し先で良かろうと判断していますし、これも取得できるかは不明です。

■健常者か障害者か
上で①~④までパターンを記しましたが、①②は健常者として生きていく、③④は障害者として生きていく、という選択をすることに結びつきやすくなります。息子の将来を考える際に、まずは大くくりとして健常者として生きるか障害者として生きるか、という二つの選択肢があることになります。そして、今の息子の状態を見ている限りでは、自己評価が極端に下がるようなことがなければ(あるいは、そのようなことが無いように注意しながら)、健常者として生きることを志向していくべきであろう、と考えています。

では、次に①と②の得失について考えたいと思います(続きます)。

2013年8月 3日 (土)

(414) ABAエピソード

今回の主役は、娘です。

息子の療育で、ABAを取り入れてきたことは過去に何度か書いてきました。

ABAの基本は「良い行動をほめて強化する」ことだと解釈しており、実際にABAの療育を息子に対して行うことで、知能も伸びましたしできることも増えたと感じています。

さて、これまでの育ちを見て、娘は健常域だと思っています。だから、娘を育てるに際して、療育の手法を取り入れた対応をするとは思っていなかったところ、図らずも数年前、幼稚園に入園する際に使うこととなりました。

何があったのかと言うと、幼稚園に入園するのがプレッシャーになったのか、或いは単に着心地が悪かったのか、園服を絶対に着ようとしなくなってしまいました。入園式の5日前に妻が誘っても拒否、何とか着せようとすると、嫌がってひっくり返って泣く、という状態になってしまったのです。

正直困ったなあと思った時に、これはまさにABAで対応できる課題だ、ということに気づきました。

まず、穏やかに話しかけて、楽しい雰囲気を醸し出しつつ、拒否して泣く娘に夫婦で常に「幼稚園の服が着られるなんてえらいね」「スカート可愛いね」「袖も通せたね」等と着衣のステップが進む都度、とにかくほめ続けました。そう言いながら、娘が嫌がっても着替え作業自体はプロンプトし続けて着実に進め、最後まで完了させました。

もちろんそこで「できたね、よく頑張ったね!」「幼稚園の制服、かっこいいね!」と、知らない人が傍から見たら奇異に思われること間違いなしのオーバーアクションと、アメリカ人並みの感情のこもった声で徹底的にほめました。

娘は、初日はかなり抵抗しましたし、着衣が終わった時にはやはり泣いていました。でも、2日目には少し抵抗も泣き方も弱まっており、3日、4日と経つに従って、ほとんど抵抗することなく着るようになりました。

結局、入園式の日には、泣くこともなくちゃんとおとなしく着られるようになっており、このABAの原則通りの取り組みは、大成功であったと感じています。

もちろん、これはたまたまうまくいった一例でしかないと言われたらそれまでですが、ABAって健常児でも有効なんだなあと改めて感じたことでありました。ほめるということは、すごい力を持っていることが分かりましたし、息子にやってきたことの意義の再確認もできました。

ちなみに今、娘は元気に小学校に通っていて、この経験以降このような取り組みをする機会には恵まれておりませんが、何かあればやはりABAによる対応をするだろうと思います。

ネタ切れ気味なので、昔話をさせて頂きました。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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