« (410) 高機能であること(4) | トップページ | (412) 一学期終了 »

2013年7月14日 (日)

(411) 社会の進歩と発達障害

発達障害と認識される子どもの数が増加傾向にある、とよく言われます。
単に言われているだけではなく、リアルで特別支援学校や学級への入学者数は増加しています。

この要因は、one発達障害と認識される子の割合が本当に増えているのかという側面と、two発達障害の割合は変わっていないのに認識する側のレベルが上がって「発見」される数が増えているのかという側面に、分けて考えられます。

まず、one発達障害と認識される子の割合が増えている、というのはどうでしょう。

こちらは、正直よくわかりません。その原因として、胎内にいた時の栄養状態や出産時のトラブル、あるいは乳児期の生育環境や環境ホルモン等、さまざまなものが取り沙汰されてはいますが、まだ仮説の域を出ていません。

素人の私がざっくり考えただけでも、さまざまな要因を比較するためには何かをピン留めして変数を減らして単純化することが必要となりますが、これを実際に行うのにはかなりの困難が伴うことから、少なくとも近々に完全な解明がなされることはまず無いだろう、と考えています。

ただ、一つ言えることとしては、自由恋愛の風潮って影響していないのかな、という疑問はあります。

昔は、親が決めた相手と結婚するということは、決して珍しいことではありませんでした。当事者の好き嫌いとは無関係であり、これが自由意思の尊重とは程遠いことは論を待ちません。

しかしながら、トレンディドラマ以降の自由恋愛至上主義の影響もあって、今では好きな人と結婚するのが当たり前であって、望めば自分に合う人との結婚を選択できるようになってきています。コミュニケーションが全く取れないレベルの人はともかく、ちょっと苦手な程度の発達障害者が結婚相手を選ぼうとした場合、似た傾向の人と結婚する確率はどうなのか、その場合に生まれる子どもはどうなのか、という疑問を持ってしまいます。

次に、two「発見」される数が増えている、というのはどうでしょう。

発達障害という概念は、昨今社会的に広く認知されるようになってきました。従って、社会が子どもを見る目も変わったことで、周囲から発達障害だと受け止められ、親が診断を求めるようになったり、保育園・幼稚園や学校の先生等が気づいて親に受診を勧めるといった例が増えた、というのは事実としてあると思います。確かに、今までは単に「変わった子」だったのが、発達障害であると認識されるようになれば、当然発達障害の子どもの数は増えることになります。

なお、この認知の側の側面では、発達障害の基準が時代とともに変遷していることや、このことも一因となって周囲の判断レベルが一様ではないこと、さらにそもそも診断を受けない限りハッキリしないものであって、例えば親が診断を拒否していたらその子は数に含まれなくなること、を付記しておきます。

これに関連して言えば、子供時代を無難に(あるいは、たまたま発見されずに)過ごせた人が、いざ社会に出てみたらさまざまな生きづらさを感じたことから受診して発達障害であると診断された、というケースも増えてきています。

こちらについても、社会的な増嵩要因として、こんなことは考えられないか、と思うことはあります。

まず、異年齢交流機会の減少はどうでしょう。

昔は、異年齢で構成された遊び集団というのがあって、その中では発達が遅い子も、年少者との交流をする過程でリカバーできていた部分があったと思うのです。それが、今では学年主体の輪切り集団の中で生活するし、下校後も基本的に同級生と遊ぶことになったことから、そういう周回遅れの(と言ったら失礼かも知れませんが)低いレベルでの交流による成長機会がなくなってしまっている、ゆっくり発達の子が、ソーシャルスキルを遅ればせながらでも獲得するチャンスが失われてしまっていると考えるのは、成り立たないでしょうか。

次に、社会の狭量化はどうでしょう。

昔は、人に何かを要求するレベルも決して高くなかったと思います。それが、今の社会では一つのことでも高レベルを求め、かつ一つではなく複数の内容を求めるようになってきています。こうなると、誰もが自分のスキル習得に手一杯となってしまい、我が身大事で人のことは二の次になりますし、他者の足りない部分へのフォローも少なくなってしまいます。このことによって、これまでなら発達障害者も何とかやってくることができたところ、うまくいかずにあぶり出されて悩み苦しみ、時には心を病んで受診する、ということも珍しく無くなってしまったのではないか、と考えるのですが、これは荒唐無稽でしょうか。

発達障害について考える時、社会の進歩が本当に個々人の幸福につながっているのかについても、問い直されているような印象を持ちます。少なくとも、幸福につながらない進歩というものもあり得て、その回避もセットで考えることが大切なのだろうと思います。

« (410) 高機能であること(4) | トップページ | (412) 一学期終了 »

教育制度・環境」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/514748/57597612

この記事へのトラックバック一覧です: (411) 社会の進歩と発達障害:

« (410) 高機能であること(4) | トップページ | (412) 一学期終了 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ