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2013年5月 6日 (月)

(399) 孫の顔1

今回のタイトルを見て、どのような内容を予想されたでしょうかwink ?

一般に「孫の顔」と言った時、息子を基準とし、その祖父母(つまり、私や妻の父母)の持つ、孫の成長や様子を見たいという願望についての内容だと思われる確率が高そうだと想像するのですが、今回はそうではなく、私自身が孫の顔を見ることについての思いを書いてみたいと思います。

えらい先の話だと思われるかも知れません。私も、一面ではその通りだと思います。しかしながら、既に息子も最後の一桁年齢であって、生まれてからこれまでに経過したのと同じ年月が経てば、もう高校を卒業していることになります。全く視野に入らない程先の話でもないと感じています。

ここで、そもそも結婚すること、あるいは子どもを持つことが必ずしも人の幸せに結びつくものではない、というご意見があることは認識しています。周囲からの「結婚しないの?」や「子ども、まだ?」がセクハラになる時代でもありますし…。更に結婚や子育てについて、親の意向にそのまま従う必要はないこともまた然りだと思います。ただ、今回はこういう点については深入りしないこととします。

今更書くまでもなく、息子は広汎性発達障害と診断されており、この子が将来結婚して家庭を持ち、更に子どもを育てていく、ということが本当に起こるのだろうか? を考えると、あまり現実感がないなあと思ってしまう気持ちがあります。

でも、その昔に息子が生まれ、幸多かれと願った時点に立ち戻ると、その時には目の前でホヤホヤと小さな泣き声(後に比べてです)を上げる息子に対し、当然のように成長し、いずれこの子も一家を構え子を持つだろうと、漠然と思っていました。

孫の顔が見たい、という思い。それは、先が短くなった自分の生きた証を受け継ぐ存在が欲しいということではないかと感じています。それは、生物としての自然の感情だと思います。

ところが、息子の障害を知り、一度はそういう未来が来ることはまずないだろう、との喪失感を味わうこととなりました。

その後、本人の持って生まれたものに加えて療育を行いそれなりに効果もあって、何とか普通学級に入れる状態(の下限coldsweats01)に達し、途中で複数回つまづきながらも送ってきた小学校生活も半分が過ぎました。取りあえず、小学校の間は何とかこのままでいけるだろうとの感触を得つつも、じゃあこのまま普通学級で進むということは、どのような将来を迎えることとなるのか? という大きな課題をどうしても考えなければならなくなりつつあります。

正直なところ、これまでは目先の課題への対応で手一杯でした。しかしながら、それが何とかクリアできてきたとなれば、どうしても「健常者っぽく」生きていくことが期待されます。そのために、まずは中学、そして高校でどのような支援が必要になるのか、また本人が将来にどのような展望を持っていて、その展望に合わせてさらに大学への進学をどうするか、そして最終的な自立に向けた準備をどのように進めるか、といったさまざまな課題を視野に入れ、時間とともに具体化してくるものへ対処していくこととなります。

このように考えると、私が孫の顔を見るというのは、息子が何とか社会に巣立った最後の集大成である一方、そこに至るまでにはものすごくたくさんのハードルが並んでいることになりますね。

なお、障害者が障害者として子を持つということについて、私はもちろん否定するつもりはありません。ただ、その場合の育児をどうするかということについても、理想論ではなく具体的に考えておく必要があると考えています(続きます)。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

先ずは子供が自信を持って取り組める何かを探し、
将来に役に立つものであるなら伸ばしてあげる事。
結婚はなるようにしかならないけれど、健常者より
ハンディがあるのはウチも含め仕方がないですね。
子供にも発達障害が出るかもしれない・出ないかも
しれない…こればかりは神のみぞ知る事です。
それを含め相手方にはしっかり伝える必要もあります。
健常者すら結婚せずいるこの時代、子供達の時は
どうなっているのでしょうねぇ。
ウチのチビはパパを知らずに育っていますから、レーサー
になるのと同じくらい結婚して温かな家庭を築きパパになる
ことを望んでいます。
人間的な魅力と経済力がないと結婚は無理ね、と釘を
差していますcoldsweats01

瀬津喩さま

コメント頂きありがとうございます。

結婚は個人の自由であり、子どもを持つこともまた同様だという意見については、8割方は賛成なんですけど、残りの部分でそう強く主張するのもどうか? って感じています。

ちょっと話はそれますけど、その昔、キャッツ・アイというマンガがあって、その中でせっかく大学に合格したのにそっけない家族の対応に、受験に合格するために頑張ったのは自分のためであって、家族のためではないと意固地になった準主人公に対し、それはその通りだけどやはり一緒に喜んでくれる人がいないとちょっとキツいとたしなめるシーンがあって、家族とは、完全個人主義でも家至上主義でもいずれか一方だけではうまくまわらないものではないかと思っています。

こういう話は、突き詰めると家族とは何ぞや? という難しいテーマに行きついてしまって、正解は一つではないのでしょうね。

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