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2013年4月25日 (木)

(397) 日欧の障害受容を考えてみました

日本は、障害者に対する社会の意識や理解度が低く、障害者支援のための法制度も不十分である、とよく言われます。

何でこうなったのかについて、自分なりに感じていることを書いてみます(当然全くの私見であって、学問的な価値は皆無であることを申し上げておきます)。

日本は、神話の頃から障害者に厳しいのではなかろうか、と感じることがあります。その根拠は古事記で、イザナギ・イザナミの間に生まれた子(水蛭子)に障害があり、「葦の舟に乗せて流した」と書かれています。障害児は「水に流して」無かったことにしようと考えられる存在だったのかと受け取ってしまうのですが、じゃあヨーロッパではどうだったのか? を考えると、障害児は悪魔の申し子であると考えられていた時期もあり、この点ではやはり排除の対象となっていました。

日本は、更に仏教が広まったことで、輪廻転生と善因善果悪因悪果の思想が根付くこととなりました。本来、仏教にも慈悲の思想はあり、仏教に篤く帰依した光明皇后が病人の膿まで吸った伝説は有名です。しかしながら、庶民は苦しい生活が続いて他者を救う余裕が無い中で、障害も前世の業による報いだと捉えられるようになりました。ちなみに、「業が深い」子がお寺に預けられることもあったようで、一つ目小僧、三つ目入道が僧職の装いであるのは象徴的だと感じています。

このような考え方が長い封建時代によって定着し、障害者のケアは家の側の問題であって、社会の側の問題とはされにくい風潮が生まれたように受け止めています。

「障害を恥ずかしいと捉え、人に知られたくないと思う」考え方、もちろん私はこの考え方を誤りだと思うのですが、このように思ってしまう人がいる背後には、自分の家の業の重さやその家に生まれた自分もまた業が深いということになってしまい、その事実を世間に知られたくないという気持ちが紛れ込んでいないかを疑う必要があると考えています。

一方でヨーロッパの場合、いわゆる魔女狩り等の迷信がはびこった後、個人の特定の行為の責任は悪魔などの超自然の力でなく、あくまでも個人にあるという概念が生まれてきました。元々キリスト教では輪廻転生を否定していることから、障害が前世の報い等とする考えは派生せず、また「隣人を愛せよ」との教えによって、福祉やチャリティ、ボランティアの文化が発展し、障害者は社会から手を差し延べられる対象とされるようになってきました(実は、この背後には「善行をしている自分が地獄に送られるはずがない」と信じたい人間の弱さがにじんでいる、という批判もあるかと思います。でも、仮にそうであっても実際に行動に移していることは、素直に評価すべきでしょう)。

まだまだ「家」の概念が強く残る日本とは異なり、「個人の確立」度の高さも相まって、社会の意識的にも法制的にも大きな差が生じ、現在のような状況になってしまっているのだろうと考えています。

問題は、じゃあどうするかということになろうかと思いますが、社会の意識や制度が追いついていないままで抽象的な概念だけを基に「自立支援します。頑張って下さい」と言われても、言われた側は為す術もない状態となってしまうことは、論を待ちません。

意識と制度を考えた時、日本の場合は形から入ることが多いことから、まずは形である法律に裏打ちされた障害者のための制度設計をきちんと実施していくことを優先するべきだろうと思います。

本当は、意識改革も大切、というより意識改革の方がより大切だとは理解しているのですが、こちらの方は変えようと思ってもすぐに変わるものではないと思っています(残念ではありますが)。

そして、私たちも、今ある制度は(不十分でも)まずは積極的に利用して利用実績を向上させつつ、不十分さから来る不満を「うまく伝える」努力をしていかなければならないでしょう。そうする中で、改善すべき点が明らかになり、かつ改善する方向性も浮き彫りになっていきます。

もちろん、そうこうするうちにも自分の子どもも着実に成長していくわけで、子の成長に制度の拡充が間に合わないかも知れない、というリスクは当然出てきます。でも、だからといって口を開けて待っているだけでは何も変わりません。

止むに止まれぬ思いを持って、声を上げる人が少しずつではありますが出てきています。今の制度も、誰かが声を上げたから整えられてきたことに思いを致せば、私たちが取るべき行動も自ずと明らかになるのではないでしょうか。

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