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2013年4月11日 (木)

(395) 入学式に思う

8日は、娘の入学式でした。これに夫婦で出席しましたが、息子の時とは異なり、終始不安を感じることもなく落ち着いて見ていることができました。

もっとも、息子の入学式はどうだったかと言うと、結果的にはほとんど問題なく終えることはできていました。この点は、本人の名誉のためにキチンと申し上げておきます(その後はともかくhappy02)。ただ、事前には、そうなるだろうという確信を持てなかったことは否めません。

この時期、世間のあちこちで発せられる「ご入学おめでとうございます」という言葉。この言葉を受けて、何らためらうことなく「ありがとうございます」と返せるのは、実はとても幸せなことであって、すべての親がそういう立場に立てるわけではないということに思い至ります。

息子のように「かろうじて普通学級に在籍している」という状態だと、入学式も含めて何か行事があると常にアドベンチャーになってしまい、その都度あれこれと心配事が頭の中に沸き起こってきて、素直にめでたいと感じられなくなってしまっています。こう言っては身も蓋もありませんが、親も「いっぱいいっぱい」になってしまい、入学式で近所に住む上級生も入って行われる歓迎の言葉をしっかり聞いて楽しむ余裕も無くなってしまうのは否めません。

特別支援学級や特別支援学校への入学を決められた親御さんの場合、子供のために最善を選んだという思いと、愛する我が子がハンディキャッパーである事実に改めて正面から向き合い、受け入れるという重い決断が入り混じった複雑な感情をお持ちになることが多く、やはりなかなか素直に入学を喜べないというお話を伺います。

ただ、障害を持っていることと障害を持ちつつも成長をしていることは、やはり区別するべきであろうとは思います。障害を持っている事実は、かなりの高確率で努力でどうにかすることはできません。出産前に抱いていた夢、願い、想いがかなわないことは本当に辛いことです。「もしかして、ひょっとして」と淡い期待を持ちながら療育をしてきて、「やはり無理だったか」と無念の思いが胸の中に広がるのは、やっぱりきついですよね。

私自身、似たような思いはやはり持っていますし、それを煩悩だとあっさり切り捨てるなんて、とても難しいことだとは理解しています。でも、それでもそのことを思い悩むよりは、無理にでもその子なりの成長を寿ぐようにしていくことが、やはり大切なのではないかと思うのです。その煩悩に執着している限り、心の平穏と意欲を取り戻すことはできませんし。

…入学式に出て、このようなことを考える親って、あまりいないですよね。

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