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2013年2月

2013年2月27日 (水)

(386) 広汎性発達障害のカミングアウト(4)

ちなみに、私の息子の場合、今のところ自ら主体的にカミングアウトの是非を判断できるレベルに達しておりません。

まだ息子に対する障害の告知を行っていないこともあり、息子も自分に不得意なことがあることはわかっていますが、それが世間一般では障害とされるものであるとの認識はありません。だから、周囲にカミングアウトすることによって、自分が障害者だと知られても良いかと問われても、そもそも答えられる状況ではなく、ゆえにカミングアウトについてはペンディングとせざるを得ないこととなります。

私個人としては、社会の偏見と戦うことに対して、何らためらうものではありません。でも、その「戦場」に子どもを、その意思を確認することもなく親の一存で立たせてしまっても良いのだろうか? という問いに対しては、やはりNo!だと考えています。

カミングアウトされる側は、大抵の場合広汎性発達障害と自閉症の関係すらきちんと把握できていないのが実態ですし、渾身の波動砲がズォーダー大帝の高笑いを呼ぶだけ(たびたびヤマトネタで申し訳ありませんw)でも困りますし…。

特に、親はものすごく高い確率で子どもより先に戦場から離脱する(要するに先に死ぬ)こととなることを、忘れてはいけないと思います。

もちろん、「そんなこと言ったって、言葉もしゃべれない子がどうやって意思表明するんだ。しょうがないじゃないか! 親が判断していくしかないだろう?」という反論があるであろうことはわかります。これに対しては、現実的には「然りだ」とお答えします。反論できません。

でもそれは、その子の意思表示を完全に諦めてしまっていることにならないでしょうか? 社会に理解を求めるということは、即ち社会の中で個人として尊重される存在として受け入れてもらいたいということだと考えるならば、きつい言い方をすれば、「社会に対し、障害のある子も当然の一人前の人権を持つ存在としての受け入れを望みながら、親である自分が子どもを一人前として扱おうとしていないのではないか」と考えてしまうのです。

現実社会では都合の良いところで「みんな大切な存在」「人と人との絆を大切に」等と理想論を語りながら、実際にはさりげなく、でも歴然と対応に差をつけるという対応が行われることが少なからずあり、無念の思いを感じることがあります。これに対して、障害児親が、本音(現実)と建て前(理想)の使い分けをしてしまうと、目クソ鼻クソになってしまって(汚い表現で申し訳ありません)説得力が下がるというジレンマに陥ってしまいます…もちろん、私が言っているのも「へ」がつく理屈に過ぎないとの認識はあるので、偉そうなことは言えないんですけどね(続きます)。

2013年2月23日 (土)

(385) 広汎性発達障害のカミングアウト(3)

これまで、あることをはっきりさせずに障害のカミングアウトについて語ってきました。それは、カミングアウトする主体は誰なのかということです。具体的には、カミングアウトするのは親なのか、本人なのか、ということです。

実際のところは、親がカミングアウトについて判断していることが多いと思います。親が、子のために良かれと判断してカミングアウトを決断するわけですね。

ここで、私たちが忘れがちなことが一つあります。それは、障害のある子供本人は、自分が障害者だと周りから見られたいと思っているのでしょうか? ということです。

親の考えと子の思いをパターン化すると、
①親がカミングアウトすべきだと考えていて、子どももカミングアウトすべきと思っている
②親がカミングアウトすべきだと考えていて、子どもはカミングアウトすべきだとは思っていない
③親がカミングアウトすべきではないと考えていて、子供もカミングアウトすべきではないと思っている
④親がカミングアウトすべきではないと考えていて、子どもはカミングアウトすべきだと考えている
の4パターンがありえることになります。

ただ、本件についてはもうちょっと考察が必要になります。即ち、そもそも子どもが自らの意思を錯誤なく表示できるのかという問題を考慮する必要があります。実際は、更に
⑤親がカミングアウトすべきだと考えていて、子どもがどう思っているかがわからない
⑥親がカミングアウトすべきではないと考えていて、、子どもがどう思っているかがわからない、の2パターンがあって、実はこの⑤、⑥が一番多いのではないか、ゆえに判断に困っている親が多いのではないか、と思っています。

親と子は別人格であり、本人の意思が一番尊重されるべきだと考えれば、①~④は子どもの意思に基づいてカミングアウトすれば良い、ということになります。判断に悩むところは、あまりありません。

でも、⑤、⑥のように「子どもがどう思っているかがわからない」時は、どうすべきなのでしょうか。

「子どもがどう思っているかがわからない」というのは、ぶっちゃけ年齢と障害の程度によるものが大きいと考えられます。そして、障害が重い子の場合、「うちの子は障害が重く、見ればわかるからカミングアウトするまでもない」とお考えの親御さんもおられるかも知れません。

それも含めて考えると、結局のところカミングアウトって子どもの個人情報の一部を開示する行為であるからには、原則通り子どもの意思確認を行うべきであり、年齢にせよ障害の重さにせよそれらによってまだ本人が意思表示できない状況であるならば、やはり親が先走るべきではないのではないかと思います。「見ればわかる」場合であっても、積極的に個人情報を開示するのと、相手方の受け取りに委ねるのは違うと思います。

それでも、「カミングアウトしたい」と思われる方もおられるでしょう。障害に対する理解を得たい、という思いは悪いものではないでしょうが、それは子どもの個人情報と引き換えにしなければならないものなのか? カミングアウトは100%子どものためなのか? をもう一度問い直す必要があると思います。

特に子どもの他害や暴言、世間から見た奇矯な振る舞い等によって引き起こされる世間の非難・好奇の目への対処としてやむを得ないと考える場合には、その思いの裏に親の心理的重圧を免れたいとの思いが忍び込んでいないかを見つめ直す必要があると思います。

カミングアウトは、宇宙戦艦ヤマトの波動砲のような威力があります(世代的にこの意味がわからない方は、申し訳ありません)。反動として仲間はずれやイジメの問題が出てくる可能性については既述しましたが、それは確かにあるものの、その可能性は恐らくそれほど高くなく、かつ本来「悪」ですから、エイヤーの勝負に出るのは選択としてアリだとは思うのです。ただ、子どもの個人情報と引き換えで、一度出したら引っ込められないカードであることを十分に考える必要があると思っているのです。

なお、このような考えの延長には、カミングアウトをしないことも、実は篭城戦のような心理的重圧があることがわかると思います。篭城で勝つことはあまりなく、負けないための戦いとなります。

カミングアウトするにせよしないにせよ、親にとっては気苦労が絶えない状況が続くことになりますね(続きます)。

2013年2月19日 (火)

(384) 広汎性発達障害のカミングアウト(2)

「実は、私の子どもは広汎性発達障害なんです」とカミングアウトされる側に立ってみましょう。実際には、担任の先生がお話して下さるのかも知れませんし、子どもさんの年齢がある程度上の場合は、本人が自らの口でそのことを伝えることになるのかも知れません。そこはバリエーションがあると思います。

いずれの場合であっても、恐らく私たち自身もかつてそうだったように、「何それ??」というリアクションが起こるのが普通だと思われます。このギャップを見誤ってはいけません。憶測で申し上げますが、私たちはさんざん悩み苦しみ、こみ上げる涙と動揺を抑えながら必死に学んだ過去があったと思います。その時に、書いてある内容がスーっと頭に入ったでしょうか? 感情的に受け入れがたいという部分もあったと思いますが、それを割り引いても「難しくてよくわからない」と感じたことは無かったでしょうか。例えば、「器質的な障害」って何のことかすぐにわかりましたか?

実は、カミングアウトするという一大決心をした上で実際に行動に移したとしても、受け取る側にその準備ができていると思うのは間違いです。露骨に態度に表すことは無いにせよ「ハア? よくわからんなあ」と思われることが多いだろう、くらいの予想をしておいた方が無難だと思います。

そして、あなたは一般的によくわからないことについて、積極的に関わろうとするタイプでしょうか? 面倒だと感じるタイプでしょうか? 

あなたはともかく、面倒だと思う人がいるだろうことは、容易に想像できると思います。もちろん逆に、その障害がどういうものなのか知ろうとしてくれる人も出てくるでしょう。更に、わからないものについて排除しようと思う人が出てくることも…。

今は桜宮高校や女子柔道の体罰問題がクローズアップされてちょっと話題にならなくなった感がありますが、大津市の中学校でイジメを苦にして自殺、等というあってはならないことがつい最近も起こっています。

思えば、「このままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ」という遺書を残して自殺したS君の事件が大きな反響を生んで、それから25年以上が経っています。それなのに、状況は大して変わっていないという現実は、やはり無視できないと思うのです。

言い換えると、これまで25年以上日本のどこかで起こり続けたことが、これから奇麗さっぱり無くなってバラ色の未来が待っている、という現実離れした考えは持てないと考える方が、常識的な選択であろうと思います。

イジメのリスクについて考える時、人は異質なものに対して必ずしも寛容ではないということから話を始めることが必要でしょう。特に幼少のうちは、人の目も気にせず、自分の思いに忠実に異質なものを排除しようとしますし、発達障害のある子は異質さ全開ですから当然その対象になりやすいことになります。

これに加えて、発達障害がある子は、意外と「みんな仲良く」というお題目を言葉通りに受け止めてしまう特性があるのです。そうであるがゆえに、客観的に見ればイジメられているのに、この言葉に縛られて自分がイジメられているという事実を認識できなくなってしまう、という理不尽なことが起こり得ます。学校に通うのはルールだから守る、みんな友達だとみんなが思っているから人をイジメるようなことはしないはず、という思い込みを持って、客観的にはイジメられている状況で学校に通い続けていたら、本人の思いとは別に普通壊れますよね。

もちろん、イジメはカミングアウトしなかったら防げるというものではありません。でも、きっかけに成り得ることであるということは十分に意識する必要があると思っています(続きます)。

2013年2月16日 (土)

(383) 広汎性発達障害のカミングアウト(1)

障害のある人を差別しない。

「何を今更」「当たり前のことでしょ?」と言われればそれまでです。でも、これが建て前だという可能性はないでしょうか?

実際には、まだまだ世の中に偏見があふれていると(少なくとも私は)感じています。

ネット上では、知恵袋や発言小町といった情報交換・相談のページがあります。そこに、一見しただけでは障害があるとわからない広汎性発達障害児の親が、子の障害をカミングアウトするべきかについて、相談を持ちかけている例を散見します。これに対し、賛成だけでなく反対する意見もかなり書き込まれており、なかなか簡単ではないんだなあとの思いを強くします。

賛成論は、「障害は恥ではない。ゆえに隠すことではない。オープンにして理解を求めていくべきだ」「周囲も何かが違うと感じているはずで、それが分かれば理解・納得して助けてくれるようになるのでは」というものに集約され、反対論は「周囲が全員理解・納得してくれるとは限らない」「障害名をオープンにすることで、かえって偏見が強まることもある」というものが多いようです。実際、中には「カミングアウトしたら、何となく避けられるようになった」なんて経験からの意見もあって、身につまされます。なお、消極的な反対とも取れるのですが「一度カミングアウトしてしまったら元には戻れない」との慎重さを求めるものもあったりします。

率直に言って、正義はカミングアウト賛成派にあるでしょう。これは冒頭に書いたこととも関連し、まず間違いないと思います。では次に、正義が必ず勝つか? の問いについてはどうでしょう。願望としてはそうあってもらいたいと心の底から思うのですが、残念ながらそうではない例がいくらでもありますよね。

そもそも、カミングアウトすることは目的ではありません。私は、子どもが暮らしやすくなることが目的であって、その目的達成の手段としてカミングアウトがあると考えます。カミングアウトして子どもが暮らしやすくなると判断できるのであればそうすれば良いし、そう思えないのであればカミングアウトせず黙っているという選択もアリだと思うのです。

この判断にあたっては、当該子ども本人の日頃の言動、子どもの親のカミングアウト内容やカミングアウト後の継続的フォローアップの可否、担任の先生の考え方・能力、クラスの雰囲気、クラスの子の父兄の障害に対する理解度等の複数の変数を考慮した連立多元方程式を解いていかなければなりません。これらを慎重に検討・考慮したうえで、子どもが(少なくとも今よりも)暮らしやすくなると判断できた時に、カミングアウトするという選択をすることになるのだろうと思います。実際のところは、これはかなりしんどく面倒くさいもので、数学のように奇麗にやりきれるものではなく、最後はエイヤーにならざるを得なくなります。

実は、カミングアウトでどちらを選ぶのかということを考える前に、積極的に個人情報を開示するか、徹底的に秘匿するかという極端な二者択一を迫られている状況自体が、すごく重いものになっているということに気付かなければなりません。なぜ、そうなってしまうのでしょうか。

対比として、障害ではなく病気を考えてみます。水虫や痔を患っている人は決して少なくないと思いますが、カミングアウトしている人はそうそういません。そして、それ自体はあまり問題になっておりません。

なぜだろうと考えてみたら、病が本人で完結していて周囲に影響がなく、かつ周囲もカミングアウトされたからといって何かできることがあるわけではなく、人との関わりの点が希薄だからだろうと思うのです。

これに対して、広汎性発達障害は、人との関わりそのものが焦点となります。特徴的な人との関わり方をする広汎性発達障害の子との関わりを、その障害をオープンにして周囲に判断を迫る行為がカミングアウトの本質であり、中途半端は許されず乾坤一擲の大勝負にならざるを得ないからだ、と考えているのですが、大上段に構え過ぎでしょうか?

これでうまくゆけばラッキーなんですけど、そうならなかった場合はいろいろな軋轢が生じてくることとなります。端的には仲間はずれやイジメの問題が出てくることが予想されます。次に、このことについて考えてみたいと思います(続きます)。

2013年2月10日 (日)

(382) 強化子の管理

自閉症療育にも取り入れられている応用行動分析(ABA:Applied Behavior Analysis)の基本は、「良い行動にはご褒美を上げて強化する」というものだと理解しています。このご褒美を強化子と呼ぶのですが、強化子は子どもの好きなお菓子でも良いし、やりたがるゲームでも良いし、ある程度人と関われる子であるならば、褒めるという行為でも良いのです。このあたりは、私がウダウダ書かなくても、恐らくこちらに来られる皆さんであればご存知だと思います。

この強化子を、子どもが満足するまで与えてはいけないとされています。満足してしまうとご褒美としての価値が低下してしまい、良い行動を強化しづらくなってしまうからです。だから、たとえ子どもが抵抗したとしても足りないくらいにセーブし、次の課題をやったらまた与えるというような対応をしていくのが良いとされています。

それでも、人間の行動は強化されるんですね。うまい具合に強化子を活用すると、着実に良い行動が増えていきます。この「うまい具合」の最たるものは間欠強化ですね。毎回強化子を与えず、時に何も与えないようにする、というもので、それでも、次はもらえるだろうと思ってやってしまうようになります。もちろん、次のご褒美までの間隔を空け過ぎると何もしなくなってしまうので注意が必要ですが、実際はパチンコ中毒の人がはまってしまうように、たまにしか当たらなくても結構効果が出るようです。だから困る、ということもありますが…。

息子が幼い頃からABAによる療育を行ってきました。特に、最初の頃は必死になってやっていた記憶があります(苦笑)。幸い、それなりに効果が出て現在があり、今はあの頃のようなモロにトレーニングというようなやり方をすることはなくなってきていますが…。

最近になって、この強化子を管理して渡すという手法については、単に良い行動を増やすという効果だけでなく、もっと欲しい・やりたいという欲求を抑え、新しい(イヤな)ことに取り組むという気持ちの切り替えという側面もあるのではないか、と思うようになりました。これは、特にある程度ABAに取り組んで成果が出てきた子にとっては、大事なことなのではないかと考えています。

発達障害のある子は、一般に気持ちの切り替えが不得意です。その元は、異なる視点に立つということが苦手で自分の思いが唯一絶対だと思ってしまうことや、一つのことにこだわる性質からくるものだと認識していますが、こういう性質に対して、気持ちを切り替えて新しいことをやれば、また良い結果が待っていることを経験し理解する訓練をすることは、とても大切なことだと思うのです。

本来、応用行動分析は目に見えない気持ちをあれこれ憶測するのではなく、表面に現れている行動に着目してその行動のみを変えていこうとするものです。でも、実際にはどの子も気持ちというものがあるわけで、そちらを見てみれば一つの行動への固執を和らげる訓練にもなっているとしたら、一粒で2度美味しいことになりますよねcoldsweats01

応用行動分析は、かなり奥深いものがあると思っています。ただ、やり過ぎによる弊害も指摘されていて、あることができるようになったら、適度なところでやめられるようにするという域に達することって中々難しいことなんだな、と改めて感じています。

2013年2月 6日 (水)

(381) 正直であること

発達障害者は、基本的に表裏がありません。相手を陥れてやろうと平然と嘘をついたり、自分の真意と異なるおべんちゃらを言ったりすることは、まずないです。

ただ、言わないと固い意思を持っているわけではなく、個体によってはそうした方が得だと思うと、一生懸命言おうとしたりすることはあります。でも、極めて不得意で気持ちがこもっていないためにバレバレになって、かえって損をするという経験を積み重ねてしまうことも多く、その結果として言わなくなっている、ということもあったりします。

ある種の作業について、拒否をすることはあっても、それは不得意なことを自覚しているからであって、いざやるとなるとキチンと取り組みます。姿勢は真摯であって、手を抜こうとしたりすることもそうありません。

つまりは、正直な人ということになります。本来美点とされることのはずですが、この正直さゆえに生きにくくなっていることも多いです。

一般社会では、面と向かって人の欠点を指摘することは、された側が不愉快に感じるために、やるべきではないこととされています。指摘内容が真実であっても、悪口だと認識されてしまうということです。そして当たり前のことですが、自分が言っていることが真実であっても実は悪口にあたるということはあって、その場合は認識が無かったとしても、非難されることになります。

「よくぞ言ってくれた!」と感激して抱擁してくれるような度量の広い人は、世の中にそうそういないということですね。健常者は、この感覚がよくわかっていてうまく対処しています。

実は、発達障害の人は、思ったことを腹の中に留めておくのが苦手という特質があります。独り言が多いのもそのためだと思います。つい思ったことをそのまま口にしてしまうというこの特質と、口にしたことが人の欠点を指摘する内容である場合が組み合わさってしまうことも少なくなく、結果的に全く悪意がなくても非難されるということが健常者よりも起こりやすくなります。

発達障害者も、正直が時にアダになるということはわかると思います。一方で、どう振舞えば良いかについて習得しきるのは、かなり困難だと思われるのです。となると、取り敢えず黙っているという方向に進みがちになるのですが、本人にかなりのフラストレーションが溜まるであろうことが想像されます。「物言わぬは腹膨るるわざなり」と言いますし…。

残念ながら、良い解が見つかりません。ただ、発達障害者の生きづらさの原因が正直さにもあるのだとしたら、とても残念なことだと思います。

2013年2月 2日 (土)

(380) 健常に生む?

障害を持って生まれた子を持つ親が、一度は抱くであろう思い。それは、我が子に対して「健常に生んであげられなくて、申し訳ない」というものです。

出産は、親と子の共同作業です。子の側に障害を持って生まれたいという意思は多分ないと推定されますから、もう一方の当事者である親がそのように感じてしまうのは、やむを得ない面があると思います。

でも、何か努力をしていたら健常に生むことができたのでしょうか? これは、大いに疑問です。大抵の場合、具体的に「いつ」「何を」やっていたら(あるいは、やらずにいたら)健常に生むことができたのかがわからない以上、結果から当て推量をしているに過ぎません。

ビジネスにおいては、社会で起こりうるさまざまなできごとの中で、自分たちの努力でどうにもならないことは「Uncontrollable(アンコントローラブル)」な事象として区分する、ということが行われています。防げないことを防ごうとしてあれこれ考えても仕方がなく、起こることを前提に、事後になって発生する不利益や損害等を最小限にするための対応策を考え、必要な資機材等を手配しておくに止めるという対応をします。そうしないと、有限のマンパワーとお金を効率的に活用できないからです。

こういう視点を応用するならば、子どもを健常に生むこともUncontorollableな事象に属するのではないかと思うのです。

もちろん、出産まで酒もタバコもやめていない自覚が足りない親というのもいて、それらに起因して子に障害が発生する確率は上がります。しかし、それとても100%障害のある子が生まれるというわけではありません。その因果関係が明確になる場合を除いては、依然としてUncontorollableなことだと思います。

であれば、親が過去を振り返ってあれこれ原因探しをしても、意味もなければ効果も無いこととなります。親の責任も大抵はありえない以上、自分を責めるのはナンセンスだと思います。

このように割り切るのには、それなりの時間を要すると思いますし、それは致し方がないことでしょう。でも、しっかり気持ちを入れ替えたならば、過去に思いを残し続けるよりも今の環境にあるリソースを使い、更にその環境の改善を図っていくという対応に力を注ぐ方が、ビジネス的思考法にかないますし、親のやりがいと子供の成長にプラスになることは間違いありません。

障害を悪いものであるかのように捉え、その家族がビハインドの立場にいるかのように思わせる社会の風潮を変えていく必要があるのはもちろんですが、「今の環境にあるリソースを使い、更にその環境の改善を図っていく」ことは、極めて創造的な営みであることを認識するようにしていくことも大事なことではないでしょうか。

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