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2013年2月16日 (土)

(383) 広汎性発達障害のカミングアウト(1)

障害のある人を差別しない。

「何を今更」「当たり前のことでしょ?」と言われればそれまでです。でも、これが建て前だという可能性はないでしょうか?

実際には、まだまだ世の中に偏見があふれていると(少なくとも私は)感じています。

ネット上では、知恵袋や発言小町といった情報交換・相談のページがあります。そこに、一見しただけでは障害があるとわからない広汎性発達障害児の親が、子の障害をカミングアウトするべきかについて、相談を持ちかけている例を散見します。これに対し、賛成だけでなく反対する意見もかなり書き込まれており、なかなか簡単ではないんだなあとの思いを強くします。

賛成論は、「障害は恥ではない。ゆえに隠すことではない。オープンにして理解を求めていくべきだ」「周囲も何かが違うと感じているはずで、それが分かれば理解・納得して助けてくれるようになるのでは」というものに集約され、反対論は「周囲が全員理解・納得してくれるとは限らない」「障害名をオープンにすることで、かえって偏見が強まることもある」というものが多いようです。実際、中には「カミングアウトしたら、何となく避けられるようになった」なんて経験からの意見もあって、身につまされます。なお、消極的な反対とも取れるのですが「一度カミングアウトしてしまったら元には戻れない」との慎重さを求めるものもあったりします。

率直に言って、正義はカミングアウト賛成派にあるでしょう。これは冒頭に書いたこととも関連し、まず間違いないと思います。では次に、正義が必ず勝つか? の問いについてはどうでしょう。願望としてはそうあってもらいたいと心の底から思うのですが、残念ながらそうではない例がいくらでもありますよね。

そもそも、カミングアウトすることは目的ではありません。私は、子どもが暮らしやすくなることが目的であって、その目的達成の手段としてカミングアウトがあると考えます。カミングアウトして子どもが暮らしやすくなると判断できるのであればそうすれば良いし、そう思えないのであればカミングアウトせず黙っているという選択もアリだと思うのです。

この判断にあたっては、当該子ども本人の日頃の言動、子どもの親のカミングアウト内容やカミングアウト後の継続的フォローアップの可否、担任の先生の考え方・能力、クラスの雰囲気、クラスの子の父兄の障害に対する理解度等の複数の変数を考慮した連立多元方程式を解いていかなければなりません。これらを慎重に検討・考慮したうえで、子どもが(少なくとも今よりも)暮らしやすくなると判断できた時に、カミングアウトするという選択をすることになるのだろうと思います。実際のところは、これはかなりしんどく面倒くさいもので、数学のように奇麗にやりきれるものではなく、最後はエイヤーにならざるを得なくなります。

実は、カミングアウトでどちらを選ぶのかということを考える前に、積極的に個人情報を開示するか、徹底的に秘匿するかという極端な二者択一を迫られている状況自体が、すごく重いものになっているということに気付かなければなりません。なぜ、そうなってしまうのでしょうか。

対比として、障害ではなく病気を考えてみます。水虫や痔を患っている人は決して少なくないと思いますが、カミングアウトしている人はそうそういません。そして、それ自体はあまり問題になっておりません。

なぜだろうと考えてみたら、病が本人で完結していて周囲に影響がなく、かつ周囲もカミングアウトされたからといって何かできることがあるわけではなく、人との関わりの点が希薄だからだろうと思うのです。

これに対して、広汎性発達障害は、人との関わりそのものが焦点となります。特徴的な人との関わり方をする広汎性発達障害の子との関わりを、その障害をオープンにして周囲に判断を迫る行為がカミングアウトの本質であり、中途半端は許されず乾坤一擲の大勝負にならざるを得ないからだ、と考えているのですが、大上段に構え過ぎでしょうか?

これでうまくゆけばラッキーなんですけど、そうならなかった場合はいろいろな軋轢が生じてくることとなります。端的には仲間はずれやイジメの問題が出てくることが予想されます。次に、このことについて考えてみたいと思います(続きます)。

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教育制度・環境」カテゴリの記事

コメント

チビのケースですが、本人も私もカミングアウトして逆に
『発達障害について興味や質問が出ればめっけモン』
くらいで考えていました。
が、まだまだ我儘と取られやすかった小学生のチビの行動によって、
その機会は先生方と相談の上なくなりました。
出来なくても良い、ただ真摯に一生懸命取り組んでいる姿がその前提
には必要だと。
頑張っても出来ないものがあるという事を周りに理解させてからでないと
子供には理解が難しいだろうと。
ただの我儘を『特性』という掴みきれないオブラートで包み、容認を求める
ようでは逆に個人への攻撃(=イジメ)に変化してしまうかもしれない、と。

個人差があり外見では理解できない発達障害者ほど難しいですね。
自分の特性を把握し、努力しつつ協力を求められると良いのでしょうけどねぇ。
いつかは公表するという気持ちは持ち続けているチビでした。

瀬津喩さま

コメント頂きありがとうございます。

その担任の先生は、to the point なことをおっしゃっていると思いました。

よくわからない特性を理由として容認を求めることは、もっとぶっちゃけて言えば「あの子は特別」という扱いをすることと同じになりますし、そのことを理解困難な子供側から見れば単なる理不尽な取り扱いであって、それによってご指摘の通りイジメにつながりやすくなるだろうと予測されたのだと受け止めています。

努力するフリだけでもできれば良いのですけど、そういうソーシャルスキルが身につけられるのであればそもそも発達障害ではないわけで、本当に難しいですね。

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