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2012年12月

2012年12月29日 (土)

(374) この一年ありがとうございました

この一年、ご訪問頂きありがとうございました。

写真も絵も無い殺風景なブログですが、コンスタントにお越し頂いている方がおられ、こんなところでも世の中で必要とされている方がおられることを励みに、続けることができました。

川に平たい石を投げて跳ねさせる「水切り」という遊びがあります(地方によって呼び名は変わるようですが)。息子はまさにこのような状況だな、と感じています。沈みそうで沈まない、何とか対岸まで渡りきれれば良いな、という感じです。もちろん、一つの川を渡れたとしても、またその先に別の川は流れているわけですけど…

この1年間では、3年生になってクラス替えがあって、そこで不適応を起こさなかったこと、前ほど学校に行きたくないとダダをこねなくなったことが大きいと思います。正直、担任の先生に恵まれたというアンコントローラブルな事実もあって、それはそれで良かったと思う反面、いつもこうはいかないよな、という先々への恐れもぬぐいきれない状況ではあります。

行事ごとも、パスできるものはパスするようにしています。本人も努力しているのにできないことというのはやっぱりあって、それを見せつけるようなことはしてはならないと思っております。この点については、賛否あると認識しています。

もちろん、全部の行事をパスしているわけではなく、運動会ではきちんと最後まで取り組めましたし、文化発表会では多数の中に埋没してナマで見ている時にはどこにいるのか気付くことができず、改めてビデオを見て確認できたりという、障害児の親ならではの(一風変わった)喜びを感じる経験もできたりしました。

本当は、常に気を張っていては身が持たないとわかっていますし、子供も段々大失敗が中失敗に留まるようになってきてはいるものの、どうしても「今度は大丈夫だろうか。もしうまくいかなくても受け入れよう」という覚悟は、どうしても心の片隅にとどめておくこととなります。素でいきなり直面するショックへの「学習」の結果ではありますけど。

何はともあれ、来年は4年生になります。思春期前夜ということもあり、またこれまでとは違ったことが起こるかも知れませんが、家族でできる範囲で頑張りたいと思います。

良いお年をお迎えください。

2012年12月22日 (土)

(373) 特別支援教育のあり方検討

特別支援学級・学校というものは、その存在自体に意味があるわけではありません。特別な支援を必要としている子供がいて、その子に対する支援のバリエーションとして普通学級内でできること、特別支援学級でできること、特別支援学校でできることがあって、その中で最適と思われるものを提供する手段の一つでしかないと考えています。

言い方を変えると、どこに在籍しているかは重要ではなく、その個々の子供がそのニーズに応えた支援を受けられているかが重要なのだということです。

このような視点で見た時に、個々の子供が一つの「手段」で十分支援が充足されているかについては、「更に」そして「不断に」問い続ける必要があるだろうと思っていますし、時と成長に応じて柔軟に「手段」を換える、あるいは組み合わせるということもやって良いのではないかと考えます。

どうも、(取り敢えずでも)一度選んでしまうと、その後は特段の検証もされずにずーっと同じ路線で進んでいってしまう傾向があると感じており、節目節目でチェックアンドレビューをしっかりやって常に軌道修正し、PDCAサイクルを回すという取り組みの重要性が、学校教育ではまだまだ根付いていないのではないかと思います。

本来、子供の成長に凸凹があるのは当たり前だと考えれば、学年にとらわれずに「○○をできるようになろう」「△△をもっと伸ばそう」というニーズを持つ子が集まったグループ(結果として、複数の学年の子で構成される)授業があっても良いと思うのです。昔の寺子屋では、異なる年齢の子でも一緒に学んでいたわけですし。なお、今の小学校でも縦割りでの活動が一部で導入されているようですが、それはどちらかというと能力伸長ではなく交流に軸足が置かれていて、ここで言っているものとはねらいが異なっていることには留意がい必要です。

特別支援の理念は、決して悪いものではありません。ただ、人間は名前をつけてしまうとそれで何となくできてしまったような錯覚を持ちやすい生き物でもあります。名前をつけて形式を整えるうちに、段々それが主目的になってしまって、本来の主役である子供のニーズがおろそかにされてしまうようでは本末転倒であって、あくまでも子供のためを追求する姿勢と視点が大切です。

そもそも、少子化が問題であるなら、子供をただ産めという安直な発想だけではだめで、すでに生まれている子の成長に寄り添い、更に伸ばすしくみを整えることもセットで実施しなければならないのは自明であろうと思います。

今回の政権交代の後、特別支援教育がどのような方向に向かうのかを注意深く見守りたいと思います。

2012年12月15日 (土)

(372) 普通の人

頭脳明晰・スポーツ万能・眉目秀麗・温厚篤実の全てを備えている人は、世の中にそうそういません(よね?)。むしろどれも「全くないわけではないけど、かと言って完全にあるわけではない」という人の方が大多数だと思います。

それが「普通の人」ということになるのでしょうけど、こう考えると「普通の人」の幅は極めて広いことになりますし、逆に、そこから離れた人(離れる方向はいろいろですけど)は数が少なく、希少性ゆえに目立つことになります。

実際は、そういう目立つ人は絶対数が少ないので世の大勢に影響は与えないことになるのですが、ともすればそれが忘れられがちになります。昨今の社会情勢を見ると、普通の人が正社員となって結婚して子供を育てて安心して老後を過ごせる、なんてほんのちょっと前までは当たり前だったことがすごく難しくなってきています。こういう追い詰められた雰囲気に押されて、自分が格下だと思っている人たちが自分よりも良い待遇を得ている(ように見える)ことに対して許容性が下がり、攻撃的になる風潮が出てきているように思います。それで、自分の環境が改善するわけでもないし、繰り返しになりますが大勢に影響を与えるわけでもないのにも拘らずです。

バブル崩壊の頃、「バブルの頃に高卒で就職しておけば良かった。4年間大学に通ったらバブルが崩壊して、就職難になってしまっている」というような笑えないお話もありました。そしてその頃、今では対策されちゃったのでしょうけど、当時の大卒者が本来高卒者対象の公務員試験に殺到するような事態になったりもしました。これは「攻撃」ではないにしてもなりふり構わな過ぎですし、かといって本人にすればまさになりふり構ってられない状況だったわけですから、何とも言えないやるせなさを感じたものです。

福祉・年金についても、今より良くなることは期待できないでしょうし、社会の障害者枠での就職や障害年金に対する受け止めも、恐らく今後厳しくなっていくことと推測され、それを是とする風潮に暗澹たる気持ちになってしまいます。

障害者対策そのものも大切ですが、実は普通の人が普通に生活できる世の中にしていかないと、結局障害者対策への風当たりが強くなってしまうという現実があります。普通の人への手当をせずに、障害者といった目立つところだけやるから民心から矜持が失われてしまうのです。

まずは、幅の広い普通の人への対策をきちんとすることで属性間の争いを抑えることが大切だと思います。

2012年12月11日 (火)

(371) 穏やかな日々

ここのところ、息子の感情も落ち着いていて穏やかな日々が続いています。

先日、通級指導教室で調理をすることになりました。こういう行事ごとは基本的に鬼門で、昨年は不機嫌を「体で表現する」という、体育の教科書の一番最後に載ってはいるが、実際に授業でやることはまずないことをやってくれましてcoldsweats01、最後は泣いてほとんど何もできない状態だったそうなのですが、今年は上機嫌で最後まできちんとやっていた、とのことです。このような成長を見せてくれるとは、正直思いませんでした。

学校のクラスのお友達とも、何人かとは定期的に遊ぶようになっています。これは、いつまでもつかなあと親としては心配なのですが、思ったより長続きしています。正直、お友達側が無理していないかな、と心配になったりもするのですが、まあ本当にイヤなら断るよなあと思い直しています。

ちなみに、お外で遊ぶ時にちょっとしたお菓子をおやつに持たせるのですが、「これ、お友達の分も!」と言い出したりして、そういう配慮・気配りもできるようになったのか! と驚いています。

家庭でも、相変わらず妹からいろいろな指摘を受けてはいるのですが、以前よりは沸点が上がったようで、すぐに怒り出したりしなくなりました。もちろんゼロにはなっていませんけど、調子が良い時は逆に妹をたしなめたりするなど、余裕を見せてくれたりもするようになっています。

こういう姿を見るにつけ、子供ってやっぱり成長するんだなあと思います。もちろん、こちらもこの先ずっと順調だとは思っておりませんけど…もし、このブログを見に来られている方で、気力が潰えかけているようなことがあるならば、もうちょっと先まで待ってみよう、と思い直されることをお勧めします。諦めることはいつでもできますから。

2012年12月 9日 (日)

(370) 親学と政策

来週の選挙を控え、街角では候補者が声を張り上げています。

原発、経済、財政、雇用、年金等どちらを向いても問題山積の中で、候補者の得意な一部分だけの主張で決めてはいけないだろうと感じています。

自分は、今育児の真っ最中なので、そちらについても関心が強いのですが、12月9日付の毎日新聞の選挙特集「選択の手引」は興味深かったので引用させて頂きます。

「野田佳彦首相は6日、静岡県掛川市での街頭演説で「働きながらも子どもを預けられる。これは現役世代が一番望んでいるサービスだ。着実に進めていきたい」と訴えた。民主党は、前回の09年衆院選で「チルドレン・ファースト(子ども第一)」を掲げ、子育ての社会化を実現するための施策を打ち出した。今回のマニフェストでも「3歳未満の保育施設利用者を5年間で36万人増やす」などの子育て支援策を並べる。

 一方、自民党は、総合政策集で「子どもは社会が育てる」という民主党の主張を「誤った政策」と断言。「子どもは家庭が育てる」と訴え、柱の一つとして「育休を取りやすい環境整備などで、ゼロ歳児に親が寄り添って育てられる社会の推進」を掲げる。」

ここで、両党の方向性が違うことが明らかにされていて、さてどちらが良いのだろう? と考えてみました。

実は、両方とも実現可能性で疑問符がつきます。民主党案では、保育設備にかかる費用をどこから捻出するんだろう? こども手当も前回選挙のマニフェスト通りにはならなかったじゃないか? という思いが募りますし、自民党案は、民間企業の社員にどうやって育休を取らせるんだろう? という疑問が湧きます。

この二つだけで並べると、どっちもどっちかなと思うのですが、自民党案は、親学とつながっていることが透けて見えてしまうため、どうしても色眼鏡で見てしまいます。親学の思想が、同じ毎日新聞の引用記事の冒頭の部分

「今年5月、自民党文教族の衆院議員のブログが「炎上」した。乳幼児に親が寄り添って育てる伝統的な子育てにより発達障害を予防できる、という議員の書き込みに対し「愛情で予防できるものではない」などの抗議が殺到したからだ。」

の「議員の書き込み」に表れていることは明らかだと、私は感じています(記事中に親学という言葉は出てきませんけど)。

私は「親が子を育てる、故に親がきちんとしなければならない」までは認めても良いのです。でも「子が発達障害になったのは、親がきちんと育てなかったからだ」は明らかに根拠レスです。

全身全霊を注いで子を育てていても、発達障害は確実には防げませんし、逆に適当に育てていても、健常の子は健常で発達障害にはならないのです。どうも障害と社会常識の欠如を同列に考えられているのではなかろうかと感じられるのですが、これは明らかに異なるものです。それなのに、障害も「親が何とかすれば何とかなる」と思い込む方が、必ず出てくるんだなあと驚いています。

以前、twitterで「自閉症界(あるんか?)で有名なテンプル・グランディンさんは、自分が伝統的なしつけを受けてきたことを評価していたなあ。だけど、これって逆に言えば、伝統的な育児をする家庭であっても、発達障害児は生まれるし防げなかったという実例に他ならないのではないか。親学論者に聞いてみたい。」とつぶやいてみましたが、残念ながら親学論者からコメントは頂けておりません。

選挙情勢は自民党有利なようですが、この部分だけは再考願いたいです。

2012年12月 5日 (水)

(369) 健常男子を預かった後で考えたこと

前回の記事では、健常児と関わってどのようなところに着目したかを中心に書きましたが、その後いろいろと考えたことがあり、今回はそれを書いてみます。

確かに、健常の子は手がかからない。「想定外」の行動をしない。この点は楽です。でも、一方で関わりを求めてきます。それも、数も量も多く。

私は、預かった時間がそれほど長くはなかったこともあって、そのような振る舞いが新鮮に感じられましたし、率直に楽しいと感じました。そして、恐らく大抵の親は、同様に感じるだろうと思います。とはいえ、それは絶対だとも思いません。時間と気持ちの余裕がある時なら、という条件がつくように思います。でも、もしそうじゃなかったらどうでしょうか。

「自分にかまって!」と常に強烈にアピールしてくるエネルギーの強さを考えると、親としても時として「面倒だ」「相手をしきれない」とのネガティブな感情を持つこともあるのだろう、そして実際にそのような態度を取ることもあるのだろうと思うのです。

それは一概に悪いと決め付けるものではないと思います。親と子で考えていることは当然違いますし、その両者が関わりを持てばいずれ軋轢が生じてくるのは不可避だと思います。そういう経験を積み重ねることによって、子供も自分がどのような行動を取れば良いかを少しずつ理解して、初期の社会性を学んでいくという点では、子の成長に資するものになると受け止めています。

そういうことを許さない「親は常に全力で子に向かうべきだ」と言わんばかりの風潮やそれを背景にした意見が、ネット議論等で少なからず語られることがあることに、疑念を感じておりますし。

一方で、障害児育児というのは、どうしても親の側からの関わりが強くなりがちになって、子の側からの関わりは相対的に弱いものとなります。端的には、子供が何を考えているのかをわかりやすく親に伝えようとしない、という傾向があり、一方で今対応が必要なこと(例えば、食事・身の回り・排泄等)が出てくると、待ってられないことから「○○してあげないと」と親が先回りしてあれこれやってしまい、結果として子供の要求の表現を育てることが弱くなる、という事態が起こりがちになります。このことは、結果として親子の関わり方として見れば、よろしくない循環に陥る危険性をはらんでいるように感じます。

このような親と子の関わりの違いによって、健常の子は軋轢を繰り返しながら社会性を学び、親の引力圏から段々と遠ざかっていくこととなります。更に就学後は友達との関わりが強くなって、その方向は加速していきます。

一方で、障害児は人との関わる意欲が低くなりがちで、親から子への関わりが強くなり過ぎる結果、その引力圏に長く留まることとなります。そうせざるを得なくなる事情もわかりますが、少なくともこのようなことは意識しなければなりませんし、できれば少しずつでも離れて親以外の人との関わりを増やすような機会を作っていく必要があるのではないかと考えます。

なぜならば、親は子とは別個の存在ですし、何より親は子より大抵先に死ぬからです。当たり前のことですが、だからこそきちんと意識し続けることが大切になると考えています。

健常の子育ては、育児に関わる時間は短い。だから「振り返ればあっという間」という表現をされるのだろうと思います。自分の子育てとは異なるものであることと、その違いからくる方向性及び留意点を改めて認識できた点で、健常の子を預かったことは有意義な経験だったと思います。

2012年12月 1日 (土)

(368) 健常男子を預かって

ご近所に住む方のお子さんの行事ごとがあり、その弟(2歳3ヶ月)を我が家で一時預かるということになりました。

私の見方は、恐らく普通の親とはかなり違うんだろうなあと思いつつcoldsweats01、気付いたことを書いてみます。

家に入ってきて私の顔を見た時、かなり怯えたような顔をしていました。それで、私が動くたびに私の様子を伺う素振りを見せます。最初は警戒モードびんびんでした。

しばらくすると、少し慣れたのか家にあるおもちゃで遊び始めました。そうこうするうちに私の存在を警戒しなくても良いものだと判断したのか、段々と近づいてくるようになりました。

よくよく聞いていると、まだ滑舌も良くはないのですが「風船ほしい」と2語文も発しており、「ほう、やっぱり話すんだなあ」と感心しました。

やがて、すっかり打ち解けてしまったのか、ブロックを少し積んでは、私のところに持ってきます。もう怯えているわけではなく、ニッコリしながら私の顔を見てきます。また、戻って積む時も私の顔を見てきます。もう警戒ではなく承認を求めるような表情です。チラチラと見てくる視線が痛いですlovely

指差しもするということが分かりましたし、うちの息子(の2歳頃の様子)とは明らかに違う。他の誰が何と言おうと「ああ、この子は間違いなく健常だ」と思いましたし、やっぱり違うんだな、と再認識しました。

こうやって見比べる(と言っても、リアルタイムではないですけど)と、健常児は親が見ていることそれ自体が自分の存在を承認してもらえる安心感が感じられることであって、親に見られていることが分かれば、それによってさらに人と関わろうという意欲が増すという好循環が生まれ、結果として人とのコミュニケーション能力が育つのだろうと思います。

発達障害の子は、このような自ら人と関わろうという意欲が弱いあるいは無いことから、その点で幼い頃からの上述の関わりも乏しくなって、結果として人との円滑なコミュニケーションが行いにくくなる、即ち俗に言われる「自閉症の3つ組」の一つとして顕現してくるのだろうということが、実感として受け止められました。

このように考えると、せっかく子供の側からの働きかけがあるのに、自らのこと(やむを得ない場合はともかく、不必要に携帯電話をいじっている、等)に熱中して目を向けようとしない親は、その行為自体で子供の成長にあまり良い影響を与えないだろうと思いますし、回りまわって自分が損をするのではないかと考えます。

可愛い盛りの子供の仕草を楽しむ余裕のない世相の問題も含めて考えると、人との関わり問題が増えてきた理由の一端が現れているのではないか、と思います。

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    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
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