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2012年12月22日 (土)

(373) 特別支援教育のあり方検討

特別支援学級・学校というものは、その存在自体に意味があるわけではありません。特別な支援を必要としている子供がいて、その子に対する支援のバリエーションとして普通学級内でできること、特別支援学級でできること、特別支援学校でできることがあって、その中で最適と思われるものを提供する手段の一つでしかないと考えています。

言い方を変えると、どこに在籍しているかは重要ではなく、その個々の子供がそのニーズに応えた支援を受けられているかが重要なのだということです。

このような視点で見た時に、個々の子供が一つの「手段」で十分支援が充足されているかについては、「更に」そして「不断に」問い続ける必要があるだろうと思っていますし、時と成長に応じて柔軟に「手段」を換える、あるいは組み合わせるということもやって良いのではないかと考えます。

どうも、(取り敢えずでも)一度選んでしまうと、その後は特段の検証もされずにずーっと同じ路線で進んでいってしまう傾向があると感じており、節目節目でチェックアンドレビューをしっかりやって常に軌道修正し、PDCAサイクルを回すという取り組みの重要性が、学校教育ではまだまだ根付いていないのではないかと思います。

本来、子供の成長に凸凹があるのは当たり前だと考えれば、学年にとらわれずに「○○をできるようになろう」「△△をもっと伸ばそう」というニーズを持つ子が集まったグループ(結果として、複数の学年の子で構成される)授業があっても良いと思うのです。昔の寺子屋では、異なる年齢の子でも一緒に学んでいたわけですし。なお、今の小学校でも縦割りでの活動が一部で導入されているようですが、それはどちらかというと能力伸長ではなく交流に軸足が置かれていて、ここで言っているものとはねらいが異なっていることには留意がい必要です。

特別支援の理念は、決して悪いものではありません。ただ、人間は名前をつけてしまうとそれで何となくできてしまったような錯覚を持ちやすい生き物でもあります。名前をつけて形式を整えるうちに、段々それが主目的になってしまって、本来の主役である子供のニーズがおろそかにされてしまうようでは本末転倒であって、あくまでも子供のためを追求する姿勢と視点が大切です。

そもそも、少子化が問題であるなら、子供をただ産めという安直な発想だけではだめで、すでに生まれている子の成長に寄り添い、更に伸ばすしくみを整えることもセットで実施しなければならないのは自明であろうと思います。

今回の政権交代の後、特別支援教育がどのような方向に向かうのかを注意深く見守りたいと思います。

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