« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月25日 (日)

(367) る・られる

息子との会話において、たまに状況が思い浮かべられない・説明不足だと感じられる話をされることがあります。よくよく聞いていると、息子が受身形についてまだ十分表現できていないことが原因だと思います。

息子は、自分が他の人から言われた場合は恐らくその内容も理解できていると思われるのですが、いざ自分が説明する側になるとかなりあやしくなります。

「おばあさんが、花子さんに、荷物を持ってもらった」という状況でも、「花子さんが荷物を持った」としか言わないので、おばあさんが登場しませんし、その関係も表現できていません。

同様に「太郎君が、泥棒に、荷物を取られる」という表現も、「泥棒が荷物を取る」になっちゃうので、太郎君が登場しませんし、何よりもこれではモノを取られて困っている太郎君の様子が伝わってきません。

元々言葉が遅くてやきもきしていた頃があったことを思い出せば、決して間違ってはいない文を言葉にできるだけでもすごい進歩だとは思っているのですが、社会で生活していくうえでは、どうしても最後は相手に自分の意思をきちんと伝え、相手が言っていることもしっかり理解して受け止めることが大切になるわけですから、今の国語力ではやはり将来シンドイなあと感じています。

こういうところを少しずつ、改めて伸ばしていくことが必要なんだな、感じています。算数はできても、数学の文章題で何を言っているかが読み取れなければ正解にたどりつくことはできませんし。10歳の壁は、国語力なんだなと感じています。

課題を一つ乗り越えても、また次の課題が出てきますねえ。

2012年11月21日 (水)

(366) 発達障害児親として目から鱗だった言葉(その3)

最後は、親としての心構えに関するものになります。

onezero障害児の親も楽しんで良い
これも、当たり前だと思う一方で忘れがちな言葉だと思うのです。親として、子供に対して健常児として生んであげられなかったという本来は負わなくてもよい負い目や、子供が世間の常識からすれば変わった行動を取ることによる周囲の冷ややかな視線への引け目や劣等感によって、楽を望むことが罪悪のように感じてしまう方も少なくないようです。でも、犯罪を犯したわけでもありませんし、そのような状態では親の神経が持ちませんし、何よりも子供にも良い影響を与えることも難しくなります。

障害児を育てるという行為は、長期戦にならざるを得ないことに思いを致すならば、息抜きをして英気を養うことは必要な手段だ、くらいの達観が必要だと思います。

oneoneきょうだい(児)への配慮
障害児の兄弟姉妹を表す言葉として、ひらがなで「きょうだい」と書くということも最初は知りませんでした。正直なところ、最初はそれほど大きな意味を感じてはおりませんでしたが、我が身に置き換えて改めて考えてみた時に、きょうだいという言葉に込められた思いの深さに愕然となりました。

「きょうだい」について、厳密な定義があるわけではありませんが、一般的にはきょうだいの要件として健常児であることが必要となるようです。障害児の兄弟姉妹であっても、その子にも障害がある場合は、「きょうだい」とは呼ばれないようですし。

きょうだいは、どうしても手がかかる障害児の兄弟姉妹に親の注目や関心、そして配慮が集まりがちとなります。その結果、自分が愛されていないと感じたり、できて当然だと思われたり、自分の存在意義を認識できなかったりといった経験が多くなる傾向があるようです。

更には障害のある兄弟姉妹のお世話係(それも、終生の)を親に期待されてしまうようなことも珍しくなかったりします。このきょうだいという捉え方は、今まで意識されることの少なかったものだと受け止めており、その思いが十分に汲まれてこなかったことは残念なことであって、親の立場として十分に意を払う必要があると思います。健常の子も育てている自分としては、この「きょうだい」のはらむ問題に、常に留意しなければならないと思います。

note終わりに
障害がある子供を育てるという行為を考えれば、恐らくかなりの人にとって初めての経験だろうと思います。何となく結婚し、子どもができて…というそれまで自分が思ってきた子育て観が、根底から覆ることも少なくないでしょう。それはかなり辛いことだとお察しいたします。

でも、いつまでもそこで立ち止まるわけにはいきません。むしろ自身のパラダイムシフトの時だと覚悟を決め(辛いでしょうけど)、自分も子供も、そして家族全員も含めてどのようにすればより良い方向に進むことができるかについて、真剣に考えなければなりません。

自分は、これまでに挙げた言葉の力を借りて5年間療育を行ってきました。それによって最高だったとは言い切れないかも知れませんが、最悪な事態は避けられたと思っています。但し、だからと言って皆様にもこれらの言葉を受け入れろという気持ちは毛頭ありません。それぞれ環境も家族構成も違うでしょうし。とは言え、一つでも二つでも役立つものだったら良いな、という思いはあります。

障害児を育てる稀有の機会を得たというのは、前向き過ぎるかも知れないとは思いつつ、何か面白いことに繋げられないかと考えています。

2012年11月16日 (金)

(365) 発達障害児親として目から鱗だった言葉(その2)

前回の記事が意外に読まれているようでしたので、ニーズに応えようと更に何かあるかを考えてみました。

ただ、今回は考えているうちに、最初は「ああなるほど!」と目から鱗に思ったことでも、時間が経つと当たり前になってしまって、意識しなくなっているというジレンマがあることに思い至りました。

six二次障害を避けよう
これなどは、(少なくとも私にとっては)そういう当たり前になってしまったことだと思うのです。発達障害児は、世間の基準からすると、大小さまざまな変わった行動やあまり望ましくない行動を取ることがあります。でも、それらが全て障害に直接起因するとは限らず、障害によってうまくいかなくなった結果、更に他の社会的に変な、あるいは望ましくない行動を取るようになってしまっているということが往々にしてあります。

それらの行動も切り分けを行い、障害直接由来のものはやむを得ない(もちろん、bestは無理でもbetterを目指す)にしても、二次障害については基本的に対処を適切にすることで回避できるものであり、そうしていくべきだ、というのはやはり目から鱗だったと思います。

seven療育は健常児にとっても有効
療育は、基本的には障害児に対してより分かりやすくより習得しやすい方法で働きかけを行い、できることを増やそうとアプローチするものです。療育で教える内容は、当然健常児にとっても、より分かりやすく習得しやすい方法です。つまり、健常児に対して療育をした場合でも、それは有効なものとなりますし、害になるようなものではありません。あたり前のことではあるのですが、意外に気づかないことだったと思っています。このような視点を持ちえたことで、障害というものに対するアプローチ方法の意義が再認識できるものだったと思っています。

eightレッテル貼りに意味はない
「療育は健常児にとっても有効」にも関連するのですが、できないことをできるように、あるいは不得手なことをより上手にできるようにすることが療育であるならば、障害児であるか否かは大した問題にはならない、ということになります。言い換えると、障害児として診断を受けるというレッテル貼りをすることは、療育手帳(愛の手帳)を取得しそれによる免除・減額を受けるということには役立つかも知れませんが、障害そのものに対するアプローチには何ら影響を与えません。

障害児だから、と大上段に考えてしまうと、実はそこで思考停止に陥ってできなくてもしょうがないと諦めてしまう可能性があります。その子のできないことの背景にある個々の障害にスポットを当てて、それらに対して教え方を工夫してできるように導いていくことが大切なのですから、確かにレッテル貼りにそれほど意味はないと思います。この言葉は、自分の障害観を大きく変えました。

なお、この視点は、年齢が低く未診断のお子さんをお持ちの方にとっては、早期療育に移行しやすくなる重要な示唆を含んでいると思います。よくネットの相談サイトで自分の子供の発達状況に不安を感じて質問を投げかけている例を見ますが、障害児であるとの診断の有無は問題ではなく、できることを増やすための取り組みをまずは開始することが大切だ、と気づいて頂きたいと強く感じます。それで損をすることはありませんし。

nine努力で克服できるものは障害ではない
療育をはじめた場合、最初期は不慣れなこともあってちょっとつまづくものの、それを過ぎるとしばらくの間は、意外とやればやったなりの効果が出ることがあります。この快進撃状況から「もしかしてこのままやれば、健常児の仲間入りができるかも?」と淡い期待が芽生えたりもします。

本当にそうならばそれは素晴らしいことだと思うのですが、実際はなかなかそうはなりません。段々、快進撃も続かなくなりますし、やっていくうちに発達の凸凹に気付かされることとなります。

そうなると、親としても焦りが出てきますし、人にもよるのでしょうけど「やればできる! 努力だ!」とますます療育にのめりこみがちになったりもします。それでも、そのお子さんが喜んでいるのならば良いのですが、疲れてストレスがたまりパニックになったりするようであるならば、再考が必要です。

こういうわが子を愛するが故のやり過ぎに歯止め掛けるものとして、心の中に置くべき言葉だと思います。これは、諦めて何もしないということではありませんので、念のため。

2012年11月10日 (土)

(364) 発達障害児親として目から鱗だった言葉(その1)

もう5年も前のことになりますが、息子が発達障害だと診断されました。その後、この障害についてよく知ろうと思い、いろいろな方の書かれた本を読み漁ったり、講演会に出かけたり、小児精神科の医師に相談したり、ネットで情報を探したりすることとなりました。おそらくここに来られている方の多くもそうだろうと思います。

その過程で、これは目から鱗だったなあと思う言葉がいくつかあります。今回はそれについて書いてみたいと思います(とりあえず「その1」としていますが、「その2」はいつになるのかわかりませんので念のため)。

one困った子は困っている子
これは、私にとって文句無く筆頭に来る言葉です。周囲は、言うことを聞かない「困った子」だと思っているわけですが、当事者であるその子は意図的に周囲を困らせようとしているわけではありません。むしろ、自分がやりたいように振舞うと、周囲から怒られたり責められたりしてどうして良いかわからずに「困っている子」なのだという指摘は、網膜はく離を起こしそうになるくらい目から鱗でした。

周囲の子の振る舞いを見ながら、自然と取るべき行動を覚え自分のものとしていくことができる健常児と異なり、一つ一つ教えてあげることが大切であって、そうしない限り自力で覚えることが難しいことを端的に表していると思います。

その認識を持たれないまま、親や周囲からただ厳しく当たられるだけだと、間違いなくその子の自己評価が下がります。そうなると、本人のやる意欲も失われてしまいますから、親として心すべきところだと思います。

two自己刺激は平常心を保つ方便
障害児の中には、手拍子を打ったり、飛び跳ねたりといった同じ行動(常同行動)をする傾向のあるお子さんがおられます。そういうお子さんを見た時、「何でああいう行動をするんだろう?」と思っていましたが、そうすることによって平常心を保っているんだというお話を伺った時に、自分なりに制御不能になるのを避けるための方便を見つけて頑張っているんだなあと思えるようになりました。

three斜めから見るのは、まっ直ぐから見ると刺激が強すぎるから
自閉系の子は、目線の使い方が健常の子と異なります。端的には、目を合わさないという傾向がよく指摘されますが、斜め(あるいは横目)から見ようとするということも、よく言われます。これって普通にやると嫌なものを見ている仕草だと誤解されやすいのですが、彼らにとって真正面から見ると目に入る刺激が強くなり過ぎて不快に感じるから斜めから見るんだ、という説明はとてもわかりやすいものでした。電球をまっすぐに見るのは辛いから、ちょっと視線をずらして見るというような感じでしょうか。

four「友達と」ではなく「友達で」遊ぶ
これは、ネットで当事者と言われている方々の集まるところの書き込みにあった言葉です。幼少期の頃の回想のようですが、友達も、遊ぶための手段として受け止めていたということを表していて、一緒に共感をしながら楽しむパートナーとして考えられなかった、というのは、一部の発達障害児の感じ方の一端を表しているように感じられ、興味深いものでした。

five知能指数が20以上違うと会話が成り立たない
これもネットの中で見つけました。自分は、頭の良い上司の話についていけないことがあってcoldsweats01、何でだろうと思っていたのですが、これで納得できてしまいました。また、逆に育児ノイローゼでわが子を手に掛ける親が出てきてしまうのは何でだろうとも思っていたのですが、これも親であっても会話が成り立たない子の世話をするのはかなり大変であることを端的に示しているように思います。

友達同士であっても、合う合わないが出てくるのは当然ですが、単なる嗜好の問題だけでなく知能指数というものも影響するんだということがわかって、世の中の見方も変わりました。

このことは、敷衍すると障害の有無のみで区分する風潮がある現状において、自閉系だからというだけで一くくりにしてはいけないことも表しているように思います。

2012年11月 4日 (日)

(363) 趣味を持つ

息子は鉄道が好きです。鉄道博物館に行くと、息子の仲間(と勝手に認定しては失礼ですが)がたくさんいます。鉄道ができる前、自閉症の子は何を楽しみにしていたんだろう? と思うくらいです。

鉄道好きにもいろいろあって、趣味や嗜好も人によってかなり異なるようですが、息子の場合、基本的に見るのと乗るのが好きで、かつかっこよい特急列車よりも山手線や中央線といった通勤電車が好きという、私の感覚からするとちょっと「sign02」な嗜好を持っています(どこがいいのかなあ? と正直分かりかねていますが…)。

電車については、かなり知識も増えています。宿題なんかはなだめすかしてやっとやるのに電車の本は喜んで読むからでしょうか、ちょっと電車を見るだけで、何系の電車だと分かり、それがお目見えした年まで得意そうに私に教えてくれますbleah

まあ、余暇が少なくなりがちな広汎性発達障害の子にとって、趣味を持つということは大切なことになります。そして、鉄道というのは、小さい子の将来の夢に必ず「電車の運転手」が出てくる程度にはレアでない趣味ですので、まずは肯定的に捉えることにしています。

なお、鉄道だけというのもどうかと思い、さりげなくフライトシュミレーターゲームを与えたところ、飛行機にも興味を持つようになってくれたりしています。

所詮同じ乗り物じゃないか! と思われるかも知れませんが、興味があるものから少しずつ幅を広げていくことも大事だと思っており、無理やり他のものに興味を向けさせるよりも抵抗が少ないのではないかと受け止めています。

さらに、関連することから教科学習につなげられる可能性もあるわけです(時速60kmの電車が10分間で走る距離は? 等)から、一つの足がかりを作り興味の範囲を拡張していくやり方は、悪くないだろうと考えます。Bestは無理でもBetterを目指すようにしたいと思います。

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

twitter

  • twitterやっています

派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ

  • 派生ブログ:障害児育児から見た世の中のしくみ
    こちらの派生ブログです。 こちらが息子を中心に息子の成長の様子や成長に関わり教育や社会について考えたことを書いているのに対し、同じ発達障害絡みではあるものの、広く社会一般を理解する一方法を軽く書いています。 せっかく学んだ発達障害の知識を生かすとすれば、という視点で書いています。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ